知人の自殺をきいて
ごく私事といえば私事なのだがなんとなくブログに書いておきたくなった。知人が自殺した。一歳か二歳年上のかただった。パソコン通信時代からの知り合いだった。そのころの知り合いは、私が言わなくてもこのブログのことをは知っているものだが、彼についてははっきりとこのブログを書いていると告げた数少ない人だった。当初は私が珍妙な古代史観をもっていることに興味を引かれたらしくそんな交流をしていたものだった。
あのころの私は今のようにネット上での交友関係から引きこもるふうでもなく、よくオフ会なども出たものだった。でも不思議と奇妙な縁で彼と面識をもつ機会がなく、初めて会ったのはこの夏の終わりだった。そしてそれが最後になった。それから数日して彼は自殺したということになる。
彼とは喫茶店で二時間も尽きぬ話をした。その後の古代史観についても話した。古代史というのは、素人にはトンデモ説花盛りの幻想の領域だし、彼もそこを楽しむ人ではあったが、私も彼も、どこまでが正統説でどこまでがトンデモ説かの線引きの意識があった。この趣味を持つ人だと意外とこのあたりの線引きの意識をもつ人は少ないものなのだが。
彼はその話題を一通り終えると、もう古代史の興味は終了しましたと言った。私ももう終了していますよと答えた。正確に言うと私の場合は、これ以上考えても、あの一線を越えて主張できるものはない。いずれ二百年もすれば我々の考えのほうが常識になりますよ、とも私は言った。だから私は誰にも言わないけど、おりをみてこっそり考え続けますよ、と。彼にも、そうでしょという含みで言った。
しかし、彼はそうではなく、本当に終わりにしました、と言った。今思うと、その終わりをきちんと私に告げたかったのかもしれない。
そのあと、雑駁な歴史の話をしたあと、そういえばキリスト教発生の歴史について最近はどう考えていますかと聞くので、ブログなどにも書いたことがない私なりの考えを話すと、彼は驚き、そしてそれに関心を持った。私としてみると、キリスト教発生についての奇妙な仮説など、よほどの酔狂でなければ関心などももたないだろうと思っていたのに、しかも儀礼的に関心を向けるというふうでもなかったので逆にこちらが不思議な感じがした。そして、ここまで言うと気違いじみていけないかというところまで、さらに話した。彼はその話をまとめないのですかと私に聞いたが、私は公開する気はないですよ、語ったところで狂人の戯言みたいなものですから。私一人、死ぬまで孤独に考えていけば十分です、と答えた。
私の答えのなかに「死」という言葉が出てきたのはその時だったと思う。彼は笑いながら少し考えていたようだった。そうですか、もったいないなぁとつぶやいていた。
今思うと、あんな話ができる相手は彼しかいないし、彼としてもその話題をフォローできるのは彼しかいないかもしれないという関心の持ち方があったのかもしれない。そしてそうであれば、彼がいない今、名実ともにこの孤独な思想は私のなかで死ぬまでじっと抱えていくことになる。そんなものかもしれない。
彼の死、自殺の知らせを不意に聞いたときは、自殺なのかと思わず声を上げ、たまたま居合わせた人を驚かせてしまった。あまり穏当な話題ではない。私はちょっとパニックに陥った。きちんとした筋から聞かされたので嘘ではないのだろうが、パニくりながら今一つ彼が死んだ、しかも自殺だったということに現実感がもてないでいた。伝えてくれた人は、どうやら私と彼との交友の質もよく知っているようだった。
どのような自殺であったかについては聞かされなかったし、私も聞かなかった。正式な遺書があったかは知らないが、親族には録音したメッセージを残していたようだった。絶望して死んだというわけでもないし、精神的な問題ということでもないようだった。実際、私があった時、彼には特にそうした雰囲気はまるで感じられなかった。
たぶん、古代史の関心を終えたようにいくつかの関心を終え、元気なうちに、このあたりで死ぬがよいのではないかと考えて、静かに自死を迎えたのだろう。
そして、そのことをじっと私なりに考えてみると、彼は、私が彼の死をそれほど悲しまないと確信していたのではないかというふうにも思えてきた。
私は自殺ということを肯定しない人だ。それ以前に死の恐怖にのたうちまわる心性が強い。どんなことがあっても、自殺なんてするもんじゃないと思っていたし、今でもそう思っているのだが、彼に死なれてみて、彼は彼の生き方としてそれを選んだことを私が理解できると思っていたように、思われた。そんなことがあるだろうかとなんども考えなおしたが、それが一番妥当なように思えた。
このブログで以前「極東ブログ: [書評]高学歴男性におくる弱腰矯正読本(須原一秀)」(参照)を書いた。実は、須原一秀については、「“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した」(参照)と、彼の自死のあと出版された「自死という生き方―覚悟して逝った哲学者」(参照)も読み、続けてエントリを書こうと思ってなんとなく挫折していた。須原の生き方や死に方にどうも納得いかないものがあり、それでいてでは否定できるかというとよくわからなかった。
最後の書籍で私は初めて須原一秀に息子があったことを知り、そしてその息子が父である須原一秀の生き方と死に方をある意味で自然に受け入れているふうな話を、不思議な違和感のような感銘のような言い難い思いで受けとめた。
この本では、自死を決めた須原がその理由を長年の友人に語った話がある。友人としても須原の自死の決意を止めることはできなかった。六五歳まで生きたらそれなりの人生の終局というのもあるかもしれない。
自殺した私の知人は、私に会ったとき須原のように自死を決めていたかはわからない。まだ五五歳にもなっていなかったはずだ。が、思い返すと、いろいろ自身の人生に見きりと終わりを付けている感じはあった。あの時、これから死にますよと言われたら、私はもちろん止めただろうが、逆にそう語ることで私はそれを正常には受け止められなかっただろう。冗談のようにその場を過ごしたに違いない。であれば、ああいう形で、私がその死を後になって信頼できるまで話したというのが彼の思いだったのかもしれない。
私は四〇代の厄年に死ぬ思いをしたことがあった。自らの人生の不運に絶叫したことがあった。声が枯れるほど泣いて絶叫するなんてことが現代人の、しかも自分にあろうとは、若い頃は思ってもいなかった。そしてなんとかして生きていたいと願った。そして不思議となんとなく生きていた。ブログを始めたころにはまだ死の影を引いていた。が、あろうことか暢気にブログを五年も書いている。ということはずるずる生きてきた。幸せであったかと言えば、それ意外になんの言葉もない。生きていることはいいことじゃないかと思う。死を思う人がいるなら、どうせだから生きてみたらいいじゃないか、どうせ生きていてもいなくてもそれほど重要性のある人は少ないから、生きてみようと冗談のように言いたい。
そして、今思うのは、死んでしまった彼に、そう言いたい気がする。
死ぬなよというのではなく、彼がまだ生きていてその思いを聞いてくれるかのように。
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コメント
まぁ結局は本人のやることなんじゃけえ、言うだけ言うて言われるだけ言われて、やるだけやってやられるだけやられたら、そこで仕舞いで、ええんじゃないですかね? それで本人が得心しとるんじゃったら、そんでええでしょ。
自殺ゆうのんは、宗教的にはどうなんやら知らんけど、普通?に日本マインド?で言うなら「得心の証明」ですけえ、それ以上の意味は無いんですなあ。周囲の人間からしたら情も未練もあって当然じゃけえ、勿体無い思うて然るべきかもしれんけど。本人の意向が「もうええよ」じゃったら、そこは汲まんと却って可哀想かもしれんわけで。
生きるのんは難しいなぁ思いました。
投稿: 野ぐそ | 2008.11.12 00:30
知人にとってみれば、
生を思う人がいるなら、どうせだから死んでみたらいいじゃないか、どうせ生きていてもいなくてもそれほど重要性のある人は少ないから、死んでみよう。
という心境であったのではないでしょうか。
素直に解釈すれば、”託した”ということだと思います。
投稿: ejun | 2008.11.12 03:30
私の場合は、今のところは、死んじまうまで生きてみる、という考えでいます。死に急ぐことは考えていません。
でも、自分みたいなくだらない生き方しかできなかったやつが、看護されたり、介護されたりして老いて死ぬのはいやですね。
老衰前に、他人をひどくわずらわせなくてはならない状態が長く続かないですむように、医者には、自分が弱ったら、睡眠薬を投薬して、クラーレを静脈注射して、世間様にご迷惑をかけないですぐにあの世にいけるようにしてもらいたいと思っています。
生きているときに周囲に迷惑ばかりかけたから、死ぬ前にはあまり迷惑をかけたくないと思います。
私がG.I.グルジェフの信望者であるのをやめたのは、彼が、最晩年にフランスの病院で、看護者と介護者の手をひどく煩わせるような息の引き取り方をしたためです。
投稿: 私の場合 | 2008.11.12 06:43
よほどの有名人でもない限りかつての知人の死を知ることもなく、日々生きて行くことになるんでしょう。自他の違いはありますが、自殺以外の死(病死、事故死)のほとんどで、本人は自分が死ぬこと(死んだこと)に気づけない、まあ因果地平的な無意味な話ですが、そんなことをふと思いました。
投稿: Sundaland | 2008.11.12 09:48
自分の生の意味を時代やある種の観念群との関わりで意味づけようとするのは一つの欲望だと思うけれど、なんだか大げさな話をしたがる人が多いなとは思う。江戸時代の人なんかはどう考えていたんだろう。自然に仏様が云々って形で納得してたんだろうか。メディアの影響で思索の質が大量生産品的になっている人は、他人から聞いた常套句をあたかも「自分の本心」であるかのように思いなしてしまっている場合もあるのではないか。二十代だからこんなふうに思うのかな。不用意なコメントかな。「ただ単に生きて、ただ単に死ぬ」のであってそこに意味は無いし、あえて「人生には意味など無い!」と主張するところにある種のラディカルさを見出すのもありふれていると思うので、それこそ本当になにげなく生きてなにげなく死ぬのが一番潔いと思ってしまう。そういう意味で、自殺した人をことさら持ち上げてそういった人物の思索には特別な深みやある種の真理が含まれているに違いないといった考え方自体が「物凄く」軽薄に見えるてしまうし、どうあがこうがなんとなく死ぬことしかできないということの恐ろしさについて考える方がなんだか素直な気がする。だって知識が全然無い人や原始人なんかにも彼ら彼女らなりの死の受け入れ方があったろうし、そもそも人間なんて毎日クサルホド死んでるし。生まれてるし。
彼ら
投稿: 偉そうですみません | 2008.11.12 12:35
つまり人生観や死生観などは犯罪報道などにも見られる「物語化の欲望」の派生物にしかみえないというか。
文学的過ぎるというか。
つまりつまり自分の生物としての、もっといえば物体としての存在論にあまりにも無関心だなと思ってしまう。
生まれた国や地域によって住む環境、死ぬまでに食う量や出す排泄物の量は違うだろうし、排泄物を処理してくれる文明が無ければまた人生観は大きく違ったろうし。
今の安穏とした生活自体がある種の異常事態と思えないことそのものが自己客観視の失敗を意味していないかとか。昔の人からしたら魔法みたいな世界に今自分がすんでいるんだぞ、と自分に言い聞かせる必要があるんじゃないかとか。というか、「生物もしくは物体としての人間」という観点自体が、多くの人に支持されている「人間主義的人間観」を完全に相対化してしまう忌まわしいものであるのだろうとは思うが。
投稿: 偉そうですみません | 2008.11.12 13:00
finalventさん、こんにちは、
たてつづけに死に立ち会う経験をしました。40代になると死とは身近にころがっているものなんですね、知りませんでした。自死であれ、病死であれ、死にたくない、死んではいけないと、もう息もしないしゃべりもしない死体を前に改めて思いました。
投稿: ひでき | 2008.11.12 13:53
考えないことです。
投稿: | 2008.11.12 21:18
人は全員いつかは必ず死ぬし
人が人にそれほど何かしてあげられるわけでもない
ただ、自分が生きている同じ瞬間に
生きている人々を愛してたい
それだけ
投稿: | 2008.11.12 22:23
死ぬ前に自分が思ってることを全部ブログに実名で書いちゃえばよかったのに...そして適当に大炎上した後、吉原をみつめるおいらんみたいに涙を流しながら炎上したブログをみつめつつ息を引き取るとよかったのに
投稿: i | 2008.11.12 22:48
こんばんは
突然で失礼かと思いますが、
キリスト教の話を教えていただけませんか。
とても、興味があります。
歴史と言えば、残っている事など半分は嘘だと
思ってます。
そういう意味では資料をつぎはぎして歴史を
語る、歴史家は嘘を語っていることになります
がそれが現実だとおもいます。
むしろ、心が納得する説の方が真実をふくんで
いるとおもいます。
投稿: | 2008.11.12 23:26
なぜ知人さんが自殺を選ばなければいけなかったのか?
彼の苦しみを察してあげることは出来なかったか?
私がfinalventさんだったら同じように考えると思います。
私の場合、すごく身近の人が自殺をしてしまい、
とても悲しい思いをした者の一人で、
自殺についていろいろ考えた事があります。
1、それは、人間の行動は「苦しみ」と「喜び」たったこの二つ
観念がコントロールしているということ。
2、「喜び」から「苦しみ」に変わるとき「苦しみ」は大きくなり
「苦しみ」から「喜び」に開放されるとき「喜び」は大きくなるということ
3、そして最後に重要なのが、人はその一瞬に「苦しみ」か「喜び」の
どちらひとつしか感じれないという事。
人間は「苦しみ」と「喜び」の間を揺れながら生きていると言えると思う。
病気や、経済的不安、過労、心の病、人間不信などのいろいろと原因は有ると思うが、
その問題が大きければ大きいほど、またそのよい解決策見つからない時、言い換えれば
「苦しみ」から抜けられない状態が長く続いた時、この苦しみが永遠に続くと考えてしまう。
死ぬことでのみ「苦しみ」から開放できる。という考えがとても魅力的に見えてしまう。
このときその人にとって、死ぬことは彼の考えうる唯一の解決策である事が多いと思う。
しかし彼の考えうる唯一の解決策が正しいとは言えない。
なぜなら生きることへの解決策は人の発明のヒラメキようになかなかやってこないからだ、
いくら考えたって出てこない時は出てこないし、思いもよらないことが解決策である事があるので
普通はその可能性を考えない、しかし必ずその解決策は有るのだ。
一度解決策が見つかってしまえば、死ぬという考えがどれだけ馬鹿なことだったか考えるに違いない。
しかし「苦しみ」の中にいる人間に生きる「喜び」を教えることは、3、の理由から難しいであろう。
また、「苦しみ」の中にいる彼の「苦しみ」が死ぬほどのことではないと気づかせるのも同じ理由で難しいであろう。。
私が身をもって発見した事は、ありきたりだが、「時間が解決してくれる」ということだ。
どんなに身近な大切な人の死で有っても、人はそこから立ち直る事が出来る本能を持っていると言う事。
どんなに困難な問題でも、長い時間をかければきっと答えを見つけてくれる、ひとつでなくいくつも。
時間と共に自分の価値観や考え方も変わり元の問題という観念すら、問題で無くなる事がある。
どうしても解決できない大きな病を持って毎日が苦しくても、その中で人のやさしさを発見し
生きることの価値観が変わる事だってある。
生きるということは「苦しみ」と「喜び」の発見の連続だと思う、
生きている間中、「苦しみ」と「喜び」は無限に存在するのだと思う。
人間は「苦しみ」の中にいるとき、(自分が)生きるということが、馬鹿馬鹿しく見える。
また人が「喜び」の中にいるとき、(自分が)死ぬということが、馬鹿馬鹿しく見える。
それだけのことなのかも知れない。
死ぬほどの問題にぶつかって、苦しみ、死にたいと考えるとき。
苦しみの先に必ず「喜び」が待っていると考える。
また、死ぬということが、馬鹿馬鹿しく思える日を想像するというのが良いのかも知れない。
投稿: 自殺を肯定しない人 | 2008.11.13 02:42
知人の自殺という悲しいエントリーへのコメントでこんな事を言うのもなんですが、
今回のエントリー、非常に美しい文章ですね。一切飾らずに素直な心のこもった文章だと関心しました。
生とか死とかとやかく言うつもりはありません。
またいつものような雑多で興味深いエントリーを楽しみにしています。
投稿: Leaf | 2008.11.13 10:56
生き死には、難しいです。
仏教みたいに、いずれ無にかえると考えると何をしても無意味に感じて空しくなる。
だけど、たまたま意識が生まれて、その意思で動く実体を持っているのだから、実体があるうちは楽しまなければ損と考えるのか。
生老病死、四苦八苦、とか現実は厳しいのかもしれないですが、もしかしたら歴史の中で今ほど自由があるのは稀有なのかも。
私にとっては、自由があり過ぎて何でも出来るようで、何をしてよいのか分からずにいて何も出来ていない苦痛もあるのですが・・・。
自分が生きていることで、親、兄弟、友達、だれかしら喜んでくれたりする人がいると思うだけで十分のように思うようにしています。
他人に甘え依存している気もするのですが。
私は、最近歴史に興味を持つようになったのですが、歴史を追っていくと何がホントで嘘かわからなくなり、宙ぶらりんになるので、昆虫や草木や気象とか定義に変化の無いものに興味を持つほうが、健全に生きれるのかな。と思うようになってきました。
今は、テレビで流される消費される知識、音楽、が増え全てが流行で終わってしまい、世の中、安定した思考を持てずに精神的に不安定になってきているように思えます。時代にとり残される恐怖です。多様化した結果の孤立感。
一番強い人は、どんな時代でも環境に関わらず、食べていく能力を身に付けている人やその環境に逆らわずにうまく流される人でないのか。
など、ない頭で中途半端に考えるのが一番良くないのに考える私は、だめだこりゃ。
いつの時代も変わらないことを知りたいです。
このブログで紹介される本も、読む本を選ぶ時の参考にさせて頂いています。
投稿: 最近、本読むのが楽しい | 2008.11.13 21:59
自死という言葉に違和感を感じます。
頭は死のうと考えていても、
体は生きる事しか考えてないのではないでしょうか。
スピヴァクのポストコロニアル理性批判の、
第三章の最後を思い出しました。
投稿: | 2008.11.13 23:37
キリスト教発生についてではありませんが「ガセネッタ&シモネッタ」という本の一部分に何故ここまで発展拡大したかというと懺悔なる儀式を発明したからではないかと書いてありました。
投稿: lba | 2008.11.14 21:21
私の姉がハワイ島の大学に通っていたときに、ニューエイジな先生がいて、その人は手をかざして花を動かしたりする人だったらしいのです。
自分の前世は絶望するでもなく自ら死を選んで海に入っていったことを覚えていたのだそうです。
何年も前に聞いた話ですがふと思い出しました。
投稿: coo | 2008.11.20 02:43
淡々と読んでいたけど、最後の1行で急に涙が出てしまいました。これ今度あの人に言おう、と思ってから、あ、もう伝えられないんだった。と気付く感じ。行き場のない間抜けな気分。自殺なんてされたら、その意図を考えてしまうのに、答え合わせは永久にできない。やっぱり自殺っていやだなと思います。
投稿: D | 2008.11.21 05:17
五年ほど前、父の一眼レフを勝手に持ち出して写真を始めた頃に、私はひとりの職人さんに出会いました。彼は現像屋で、彼の元を訪れるヒトは皆「これほどの職人さんはもういない」と自分のことのように誇らしげに言い、当の本人は「写真屋なんて流行らないからなぁ」と黙々と作業されていたのが印象的でした。一年に三日ほどしか休みを取らず、いつ行っても作業の合間に私の相手をしてくれ、撮影のイロハはすべて彼から学んだと言っても過言ではありませんでした。
その後、私は大学の近くに引っ越し、その店に行くこともなくなってしまいました。そして半年後、暇ができたので写真を持って彼の店に出向いたのですが、なぜか閉まっている。そこで私は彼の死を知りました。三ヶ月も前の大晦日の晩に店で倒れ、家族が発見した時には亡くなっていたそうです。
私はそこで、死は残った者の中に空白をつくりだすこと、そしてその空白のある風景が私に何かを語らせようとすることを知りました。残すこと、伝えるということは、不可侵な沈黙の中にもあるということを知りました。
死は、彼にとっては「終わり」だけだったのでしょうか。
投稿: liez | 2008.11.21 06:16
いつも貴重なご意見拝読させていただいております。わたしは特に何かの宗教に帰依しているわけではありませんが、日々生かされているという思いで過ごしております。人が生まれ、死ぬのは何か大きな意思、宗教でいえば神にあたるものの采配があるんじゃなかろうかと。もちろん家族とか友人、知人のサポートがあり、社会や国の役割もあってこそですが。
たとえば、わたしが自転車通勤の途中の事故で亡くなったり、植物状態になるのも、老いさらばえてノタレ死ぬのも、それはそれでアタクシの役目なんじゃないかと思っとります。もちろん死なないように細心の注意を払うか、それともロックンロールなスタイルを貫くか、など選択肢はいくつかあるでしょう。そして、それは自分の年齢や、時代の雰囲気に影響を受けます。ただ、どんなに気をつけていても、死ぬときは死ぬ、その時は自分の役目が終わったということではなかろうかと。
ズルズルな生き方にもズルズルなりの意味があって、この世に本当の無駄死、犬死なんてない。もちろん自殺にだって意味があるでしょう。こうやってブログにエントリーが書かれて、それを読んだ人たちが意見を述べているわけですから。人はみんな好きなように生きられればいいと思います、ただ、自分の死をコントロールしようってのがわたしにはいささか傲慢に見えます。それはあなたが決めることじゃない。この世に生まれてくるのをあなたが選んだわけではないように。
投稿: nozacs | 2008.11.22 12:29