--- 1958年のお生まれということですが、少年時代にご覧になっていたアニメはなんですか?
「モノクロのアニメ版『鉄腕アトム』が小学校に上がる直前の63年にスタートしました。それまでにも海外作品の『ポパイ』などは放送されていたのですが、同じ年に『鉄人28号』や『エイトマン』も始まり、国産テレビマンガの一大ブームが起きました。
小学校低学年の頃には『ウルトラQ』や『ウルトラマン』、『サンダーバード』などの実写作品、中学校に上がる70年代初頭には『謎の円盤UFO』や最初の『ルパン三世』といったちょっと大人びた作品が始まる。節目節目に年齢にあったものが用意されていて、自分の成長とメディアの成長がシンクロしていたのはとてもラッキーなことです。
この時代に産んでくれた親には感謝ですね。良かったのか悪かったのかはわかりませんけど(笑)。」
--- 歴史的な作品が並ぶ黄金期ですよね。
「ただ、70年代に入ると大きな分かれ目があるんです。70年の大阪万博でバラ色の未来が表現されながら、一方でベトナム戦争や学生運動、公害問題といった現実もある。
『仮面ライダー』と『帰ってきたウルトラマン』が始まった71年には僕はもう中学生で、これを見るかどうかでふるいにかけられました。
小学校時代の友だちは、中二の頃にはエレキギターを弾いてましたからね。僕もギターをちょっとやってみたんだけど、自分の技量に絶望して、音楽にはそんなにはまりませんでした」
--- 変身ブームと第二次怪獣ブームを経由して、続く高校時代はどのような?
「高校の部活で二人のSFファンと出会い、『ウルトラセブン』や『怪奇大作戦』といったSF性の高い特撮番組の話題で意気投合することになります。
そして74年、高校二年のときに『宇宙戦艦ヤマト』が始まったことが決定打。これは凄い、明らかに時代は変わると思いました。もう逃げられない(笑)。
多感な時期だったので、実際の『ヤマト』という作品がどうかという以上に自分の中で増幅されてるものがあるとは思うけど、時の運に恵まれていたのは間違いないですね」
--- 仲間がいたというのも心強いですよね。羨ましいです。
「ただ、当時はアニメや特撮の専門雑誌がなくて、ファン同士が作品を語り合える媒体となると『S-Fマガジン』しかありませんでした。
活字SFのファンからは、アニメや特撮は子どもだましでSFではないとする空気があったんですけど、もうちょっと評価してもいいんじゃないかと、同誌の読者欄で仲間の募集を見たのが同人を始めるきっかけです。そうして交友が学校外に広がる中で初めてエッセイを書いてみたり、洋書屋さんで海外作品の情報が手に入るとか、映画雑誌のコラムにこういうものがあるとか情報交換をして世界が拡大したわけです」
--- ネットなんてない時代ですから、それこそ行動力が勝負ですよね。
「『宇宙戦艦ヤマト』は放送していた時期に制作スタジオの所在を調べて、見学と称して押しかけたんですね。原画を描いてる人を後ろから覗きこんだりして、今思えば迷惑だったでしょうね(笑)。
そこでアニメの制作現場には詳細な設定資料があることを知るんです。『宇宙戦艦ヤマト』では、松本零士さんが描いたメカニックのラフデザインをスタジオぬえというSF専門の会社がきれいに清書した資料が作られていて、完成した映像だけではわからない、より詳細な設定が背後にあることを知るわけです。あまりにも凄いので、みんなでお金を出し合って、メインの資料を一枚10円で一万円、千枚分のコピーをとらせてもらったんですよ。
あとでコピー機の調子が悪くなったって怒られちゃいましたけど(笑)、半端な考えで作られたものではないことも知るわけです」
--- ところがそれだけ熱意を注いだ『宇宙戦艦ヤマト』が半年で打ち切りになってしまいます。
「ヤマトは一般のアニメ会社の作品ではなかったため、普通のマンションをスタジオとして一定期間借りていました。だから、放送終了にあわせて解散するという。そこで、捨てるものは僕らが大切に保管しますからと頼みこんで、設定資料に原画やセル画、絵コンテなどを譲ってもらいました。
なぜそこまでしたかというと、当時は本放送が終わったら再放送されるかさえわからない。ビデオもないし、三年ぐらいしたら世の中から消えてなくなるという強い危機感があったんです」
--- その時の資料って、後に評論家になる氷川さんにとって血肉のようなものですよね。
「例えば絵コンテに"Fr.in"と書いてあって矢印が記されている。これは“フレーム・イン”なんですが、当時は用語辞典もないから正しい意味はわからない。でも全話分の絵コンテで"Fr.in"という指示が何度も出てくると、やがて “これは人物が画面に入ってくることだ” という映像のルールや意味が見えてくる。
また、そうした演出を読み解くことで、画面にはフレームという存在があり、それを操作することでフィルムの実感が生まれる、ということを自分で発見できました。誰かに正解を聞くのではなく、すべて自分の頭で疑問に思い、分析して答えを見つけたことが、後に大きな意味をもつようになるんですね」
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2009年6月11日~2009年7月2日
(当選者発表は2009年7月9日当記事内3ページ目にて)
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2009.06 最近のアニメとニュースの感想(2) from Don's blog
2009.06 anime news impressions[続きを読む] 2009/06/14 0:46:28
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コメント
いつも氷川さんの何かしらの文章を拝見し、楽しませていただいております。
私の忘れられない名場面は、「さよなら銀河鉄道999」の、999号が旅立つシーンです。本来ならスクリーン向かって右から左側に上昇していく線路が、うねり、崩れていくシーンを、ほぼ真横に描いたこのシーン、東海林修氏の音楽と相まって、手に汗握るシーンでした。旅立つ直前に、老パルチザンがポイントを戻し、死にゆく老いた命が、若い鉄郎の旅立ちを見送るモノローグは、いまでも泣けます。前作ではむしろ希望に満ちた旅立ちが、本作では一転して不安にさいなまれるシーンであり、前作との違いを端的に表す名シーンだと思います。
私は今年40歳になる者ですが、氷川さんの文章にインスパイアされ、自分のブログで感想や評論を書くことを始めました。ご面倒とは存じますが、ご覧いただけたら幸いです。
投稿: 木曽克己(波のまにまに☆) | 2009/06/12 19:02:08