1998年から自身のホームページで日記を綴り、現在は『偉愚庵亭憮録』というブログを開設している小田嶋さん。『人はなぜ学歴にこだわるのか。』 『9条どうでしょう』など多くの著書を持つ氏だが、その実体を知る人は少ない。そこで、まずは小田嶋さんの学生時代についていろいろと聞いてみた。
「学生時代は、中学まで優等生でした。しかし、高校で落ちこぼれまして……。自分ではある程度、勉強ができると思っていたのですが、進学校に入ってしまったらいつの間にか勉強ができない子になっていたんですね。成績は悪くてもプライドだけは高いので、『一生懸命がんばって真ん中あたりにぶらさがろう』などとは思わなかった。で、がんばるくらいならペケのほうが、格好がつくんじゃないかと考えまして、高校の3年間はいつもクラスで最低点をとっていました。勉強をしないかわりに何をするということもなく、のんびりと過ごした3年間でしたね。今もそうですが、私は何かやりはじめると、ほかのことができなくなっちゃう。勉強もせず、かといってほかに打ち込む事もないというさんざんな高校ライフだったわけですが、卒業後に大学へ行こうと思い立ち、浪人してからものすごい勢いで勉強をしました。とはいえ、その反動で大学に入ってからは何もやる気が起きなくなってしまって……。大学生活の4年間は、抜け殻のような生活でしたね。
何事もがんばれば成果は上がるんですけれども、人間ってその分すり減るものですからね。がんばった分は、どこかで減っているんです。がんばると何かが増えるというのは錯覚でしょう。つまり、私の場合は、大学受験でかんばりすぎて、生命力をすり減らしてしまったということです(笑)」
大学卒業後、一流企業に就職したが、たった1年で退職。その後、ライターも含めさまざまな仕事を経験された小田嶋さん。なぜ一流企業という「安定」を蹴って、リスキーな自由業を選択したのだろうか。
「特別な志もなく大学時代を過ごしました。当時は決して就職事情は良くない時期でしたし、本当は商社などに行きたかったのですけれども、自分の所属学部にはその職種の採用枠がありませんでした。ならば、せめて皇居のお堀周辺で働きたいというヘンなこだわりがあって、雪印と大日本印刷そして味の素ゼネラルフーズ(AGF)を受けたんです。その後、AGF に入社してすぐに大阪へ異動になり営業の仕事を担当しました。上司にとっては扱いにくい社員だったと思いますね。AGF を入社1年で辞めた理由は、会社組織が自分の肌に合わなかったからです。あとは親が甘かった。『辞めようかなあ』と相談したら『それじゃ東京に帰ってきなさい』といってカンタンに了承してくれましたからね。
大阪から帰ってみると、友だちがアマチュアのロックバンドを組んでいたんです。本格的な文章を書きはじめたのは、そのバンドの曲を作詞してた時期かもしれません。バンドつながりで、コンピューター技術の本をたくさん出していたある銀行員さんと知り合いになったんです。その人から『会社を辞めてぶらぶらしていても仕方がないから、本でも書けば』と誘われました。それで書籍の原稿を書くようになったんです。当時のコンピュータ関連の本は、まだレベルが低かったので、ある程度の知識があれば誰でも書けました。しかも、メーカーの買い取りだから確実に売れるようなおいしい仕事でしたし。ライターってすばらしい仕事だなあ、とそのときは浮かれてましたね。その仕事と同時に週に2日午前中だけ、といったペースで TBS ラジオのアシスタントディレクターもやっていました。仕事自体はおもしろくもありませんでしたが、ラジオ局にいるということが当時の私には楽しかったんです」
AGF を退職後、さまざまな経験をした小田嶋さん。パソコン雑誌の仕事を中心にライターの仕事をこなしていた氏だが、ライターとしての知名度が上がるとともに、パソコン関係以外の雑誌からも仕事のオファーが舞い込むようになったという。
「ライターをはじめた当時は、パソコン雑誌がたくさん創刊した時期でもあったんですよね。私は『日経パソコン』という雑誌のソフト評価委員になって、原稿を書くたびにけっこういいお金をもらっていました。第1期コンピューターバブルの時代でしたから、それほど専門的じゃない文章でもたくさんお金が入ったんです。そういう時期が2年くらい続きましたかね。初めてパソコン雑誌以外からオファーがきたのは『噂の真相』からでした。この雑誌、当時はまだ怪しい雰囲気が漂っていまして、何を書いてもいいという条件だったので依頼を受けました。そうすると『噂の真相』を窓口にして、ほかの一般雑誌からも原稿の依頼が来るようになったんです。
現在の肩書きであるテクニカルライターという仕事に落ち着いたのは30歳くらいのときでした。結局、30になるまでは親のすねをかじりつつ、自分の気の向くままに仕事をしていたわけです。まるで商家の若旦那みたいな生活でしたね」
小田嶋さんの肩書きにもなっている「テクニカルライター」。30歳からはじめたというこの仕事は、いったいどんなものなのだろうか。その具体的な内容について教えてもらった。
「私がテクニカルライターという言葉を使い出した15年くらい前には、そんな言葉を使う人は誰もいませんでした。当時は、自分の仕事に対して勝手に名前をつけてる人が多かったんですよね。聞いた話ですが、アメリカでいうテクニカルライターとは、企業の内部文章をつくる人たちのことなんだそうです。その言葉が日本に輸入され、いつの間にかコンピュータの雑誌に原稿を書くような仕事をテクニカルライターと呼ぶようになったようですよ。雑誌は新しいものなどに対してとても敏感ですから、珍しい肩書きの人がいるとインタビューに来たりするんです。そんなこともあって、私は自らテクニカルライターと名乗っていました。実際には、パソコン雑誌にパソコンと関係のないことを書くのが主な仕事でしたし、専門的なことでもそれほどテクニカルなことを書いていたわけではありません。ライターという仕事は、先方から依頼が来るのを待つというのが基本姿勢です。私のように取材もしなければ文献も読まないようなタイプの書き手は、媒体に営業をかけてもあまり意味がないと思いますし、仕事をもらいに行くとかえって安く買いたたかれてしまう危険性があります。収入については多少のばらつきはありますけれども、それほど変動はありません。いくつかの連載が終わったりすると、ちょうどほかの雑誌から原稿依頼があったりするんですね。よって、食べていくのに困らない程度に収入を得ているというのが実状です」
テクニカルライターの仕事内容や収入のことを包み隠さず話してくれた小田嶋さん。では、依頼される原稿のテーマはいったいどのようなものが多いのだろうか。また、文筆家として文章や文体へのこだわりを持っているのかどうかも合わせて伺った。
「たとえば、ある編集部が雑誌の本来の色と少し違った色のコラムを連載したい、と思ったりすると私に声がかかることが多いようです。雑誌というものの内部は外から見ているほど一枚岩ではありませんからね。右翼寄りだと思われている雑誌の編集部に左翼寄りの編集者がいたりするし、その逆のケースもあります。依頼される原稿のテーマは自由なものが多かったですね。とはいえ、私はテーマを自由にされるのが苦手なので、『価格』とか『商品』というようにある程度テーマを絞ってもらっています。
文体については特にこだわりはありません。最近は、箇条書き風に書いてしまうことが多いんですよね。読者もその方がわかりやすいのではないかと思って。あと、架空の人物に対話をさせるパターンもよく使います。これはパソコン本の影響からです。パソコン関連の原稿ですと、質問を用意したうえで、それに答えるような一問一答形式の書き方が読者にとってわかりやすかったりするんですよ。その手口をコラムなどに応用しているわけです」
テクニカルライターとしてパソコン関連の原稿を書くことが多かった小田嶋さんだが、実際にインターネットを使い始めたのはいつの頃からだったのだろうか。そして、自身のホームページを作ったきっかけとは?
「ネットに関しては、黎明期のアスキーネット(株式会社アスキーが提供していたインターネット接続サービス「アスキーインターネット(AIX)」。日本のパソコンの草分け的存在)が立ち上がったときから使っていました。その後、ニフティーサーブ(株式会社ニフティが1987年から運営を開始したパソコン通信サービス)に加入して、フォーラム(1987年よりニフティサーブにおいて提供スタート。ネット上で数多くの出会いを生み、それまでになかった形のコミュニケーションを可能にした機能)に出入りしたりしていましたね。パソコン通信の初期のハイブロウな雰囲気や、ハンドルネームという匿名を使い、相手と顔を合わせないやりとりが気持ちよかった。それと、大好きだった酒をやめた時期とちょうど重なったというのもネットをよく使うようになった理由の一つですね。実は私、96年に医者から『君はアルコール中毒だ』と宣告されてしまったんです。当時は幻覚症状が出るだけでなく、物忘れもひどかった。原稿の提出を忘れたりしたこともありました。それで酒をやめる決意をしたわけですが……。酒をやめると飲んでいた時間をどうしてももて余すようになります。『酒をやめるのは簡単だが、やめて余った時間をどう使うのかが難しいんだ』と医者から言われましたが、まったくそのとおりでした。
その長い時間をつぶすために、まず『イギー』という名のイグアナを飼いはじめ、さらにイグアナの情報を集めるためにインターネットをよく使うようになったんです。当時の日本では、イグアナの飼育方法などあまり知られておらず、文献を手に入れるのは困難な状況でしたからね。だから、ネットでコロンビア大学などの英語文献を探して読んだりしていたわけです。その延長で自分のホームページも制作しようと思い立ちました。96年からはじめた『おだじまん』というサイトは、HTMLも自分で書いてました。
それから、私の文章は、学習したり訓練して身についたものではありません。あくまでも自己流です。小学校のときの先生が日記を毎日書かせる人で、先生から赤丸や感想をもらったりするのが楽しくて仕方なかったんです。気がつくと毎日書くようになっていました。振り返ってみれば、自分が書いたものを誰かに誉められたりすることが嬉かったんですね。その気持ちは今もやっぱり変わりません」
小田嶋さんがインターネットやブログを始めた理由には、「アルコール中毒」とイグアナの「イギー」が深く関わっていたという事実に驚かされた取材陣一同。脱サラ後、作詞家、テクニカルライター、ラジオ局 AD 、コラムニストなどさまざまな姿でここまで辿り着いた小田嶋さんのおもしろい話はまだまだ尽きそうもない。
<次回予告>
次回は、パソコン創生期からウェブに関わっていた小田嶋さんのブログ『偉愚庵亭憮録』について、もっと詳しく聞いていきます。文筆家としてブログの文章に何かこだわりはあるのか、イラストの更新方法は? など、小田嶋さんのブログに寄せる想いをお伺いしていくのでお楽しみに!
●文 :谷川茂
●撮影:聡明堂
取材協力: peace café(ピースカフェ)
〒115-0045 東京都北区赤羽1-14-1-1階
電話 03-3901-4521
左の写真は、peace café の人気ランチセット(ほうれん草ベーグル・スモークサーモン&クリームチーズ、ホワイトカレースープ)。ドリンク付きで880円。
<ブログ紹介>
『偉愚庵亭憮録』
サッカーをはじめとしたスポーツの話題や政治・経済ネタの批評、テレビ CM や広告のことまで、小田嶋さんの健筆ぶりを確認できるのがこのブログ。氏の批評精神にまだ触れた方がないという方は一度読んでみるべき。文章だけでなく小田嶋さんが得意とするイラストも見逃せない!!
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「私の今後の活動で何か期待することはありますか? また何か希望があれば教えてください」(小田嶋隆)
1998年から2005年までの膨大なブログをすっきりと1冊にまとめた本『イン ヒズ オウン サイト』と、学歴をテーマに書かれた 『人はなぜ学歴にこだわるのか。』の2冊をプレゼント。なんと小田嶋さんのサインとイラスト入りです!
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当選者の方には、ココセレブ事務局よりご連絡させていただきますので、必ず「メールアドレス」がわかるようにブログ内、コメント欄に明記してくださいね。
9月28日~10月12日(当選者発表は10月19日当記事内にて)
小田嶋隆さんからコメントをいただきました!
小高英司さん
ご応募ありがとうございます。
少子化についてですが、私はあんまり心配していません。
私自身、人口の少ない世代(私が生まれた1956年をはさむ数年間は、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの中間に位置していて、最も出生数の少ない時代でした)の子供でしたが、別段不自由を感じたことはありません。
むしろ、受験やら何やら、あらゆることについて競争率が低くて楽をしたような気がしています。
今後、日本の人口が減ったところで私は困りません。
国力だとかいう指標にも興味ないですし。
でも、子育ては大切ですよね。
うまく育ってくれることを期待するほかに特に智恵は持っていませんが。
ミッキーとっつぁんさん
おお、テクニカルライターさんでしたか。
この言葉が死語と言われて、すでに10年が経過していますが、
肩書きは死んでも人間は生きたのですね。
なんだか足軽みたいで素敵です。
私もできる範囲でテクニカルライティングの仕事ができたらと考えています。
ゲーム関連のお仕事もなさっていたとか。
どこかですれ違っていたかもしれませんね。
あるいは、今後どこかですれ違うかもしれません。
その折は、どうか声をかけてみてください。
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コメント
古くからの小田嶋ファンです。
小田嶋さんがこのようにインタビューに取りあげられるとは、まったく予想もしていませんでした。
私の知らない小田嶋さんの素顔がわかり、ファンにはこたえられません。
ココセレブ、いいぞ~!
投稿: イギーポップ | 2006/09/28 13:24:03
すみません。。小田嶋さん、初めて知りました!
でも、書名(9条どうでしょう等)新聞で拝見したことがあります。
ライター・文筆業等かっこいいですね~
運・縁・才能がかね備わってこそなんですね~
hpも拝見しま~す!
投稿: 碓氷。 | 2006/09/28 15:02:24
はじめまして、小田嶋さん
なんか貴方のブローグを読んでみて
自分の人生を写しているみたいで、書き込んで
しまいましたm(__)m 御免なさいね(^_^;)
人生は、七転び八起きですね
短いREで御免なさいね(^_^メ)
SIMO LENNON
投稿: SIMO LENNON | 2006/10/04 13:38:07
Hi our little brothers.>
投稿: Bob | 2007/07/04 0:45:04
Very good site! I like it! Thanks!r
投稿: zasw | 2007/07/18 11:46:50
Good luck with your site in the future!+
投稿: beni | 2007/10/05 17:16:53