作家太宰治が生まれてきょうは、ちょうど百年目。61年前、くしくも東京・玉川上水に入水自殺した太宰の遺体が発見された日でもある。
太宰をしのぶ「桜桃忌」には、例年以上に多くのファンが集まることだろう。生誕百年を記念して関連本の出版や代表作の映画化も相次いでいる。既に公開された映画「斜陽」は、後楽園など岡山市内でもロケが行われた。
時代を超え、今も若い世代を中心に根強い人気がある太宰文学。39年という短い生涯を駆け抜けた劇的な人生とも相まって、多くの心酔者に読み継がれる。
太宰の文体は、インターネットのブログの文体にも通じるといわれる。自身の投影でもある「人間失格」の中で描かれるのは孤独な人間の実存だ。内面や弱さをさらけ出す語りが、人間関係の希薄な「ネット社会」を生きる若者たちの心をわしづかみするのか。
一方で、ユーモア精神にあふれる作品も脚光を浴びる。深く刻まれた罪の意識を自覚しながら太宰はこんな言葉も残した。「幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。」(「斜陽」)。何とか希望を引き寄せ、必死に生きようとした姿が思い浮かぶ。
閉塞(へいそく)感が漂う生きにくい今の時代。泉下の太宰はどう見ているだろうか。