本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件
ここにもあった歴史偽造


茂木弘道(叶「界出版社長)

一.昭和一四年に起こったノモンハン事件といえば日本軍がソ連の進んだ機械化部隊のために大敗した戦として、日本陸軍の愚劣さを象徴する事例にされてきた。五味川純平の虚構に満ちたベストセラー小説が、いつの間にか常識化してしまい、教科書にまで「ソ連は空軍・機械化部隊をくり出し、日本軍に死傷者二万人の壊滅的打撃を与えた」(日本書籍・高校日本史)と書かれているほどである。

二.これらは、基本的にソ連発表による「ソ連の損害九二八四名、日本軍の損害五万二千?五万五千」という情報をベースにしたものである。
ところがソ連崩壊とともにこれはとんでもないウソであることが当のロシアから出てきた公文書によって明らかとなったのである。これまで出てきた資料では、ソ連の損害は二万五五六五で、日本の損害一万七四〇五を大きく上回っている。さらに資料が出てくると損害数が多くなると見られている。すなわちソ連の大デマ宣伝のお先棒を担いだに過ぎないのが、五味川であり、未だにその歴史偽造が大手を振ってまかり通っているということである。

三.ソ連の進んだ機械化部隊などというのも大ウソである。戦車は、走行射撃もできない水準であり、戦車戦では全く問題にならなかった。また日本軍の速射砲・高射砲のえじきになり、約八〇〇台が破壊されている。
これに対して、日本戦車の損害は二九台である。航空戦でも、ソ連のイ15、16(布ばり機もあった)は日本の九七式戦闘機に対して全く太刀打ちできず、一六七三機の損害を出している。これに対して日本側の損害は一〇分の一の一七九機である。

四.日本軍が苦戦をしたことは事実であるが、それは少数の戦力で約一〇倍にもおよぶ敵と戦ったためである。
まさかあんなところに二十数万もの戦力(ジューコフ中将指揮)を投入してくるとは思ってもいなかったこと、敵情把握の甘さ、戦力の逐次投入、そして政府中央の「ソ連を刺激しない」という不拡大方針などのために、日本軍将兵は約一〇倍の敵と戦うことになり、大苦戦しながらも果敢に善戦敢闘して、上に述べたような戦果を挙げたのである。
これを大敗北などというのは、デマに惑わされた恥ずべき妄言であるばかりではなく、敢闘した将兵に対する許し難い冒涜行為でもある。

五.ようやく状況の重大さを認識した軍中央が本格反撃作戦を決意したことを知って、震え上がったスターリンは、リッペントロップを通じてヒットラーに停戦の仲介を頼み込む。不拡大方針をとる政府・軍中央は、一方的に国境侵犯攻撃をしてきたソ連軍の非をとがめること無く、これに応じてしまうである。増援部隊の集結を得て、反撃を期していた兵士は停戦命令に憤激したという。

六.もしこの時に反撃を行っていたら歴史は変わっていたであろう。 この二年前の昭和一二年には外蒙古で大規模な反乱計画があり、前首相・参謀総長を含む二万八千人が処刑されている。これは当時の人口八〇万の四%近くにあたり、それまでの粛清を加えると総人口の六%がソ連=共産党支配者によって虐殺されるという異常事態が進行していたのである。また昭和一四年にも千人が参加した反革命蜂起が起こっている。
そのような反対派を押さえ込み支配を固めることを狙って、断固たる決意で行ったのが大兵力を結集した国境侵犯だったのである。 それが日本軍の反撃によって敗退することになったら、ソ連=共産党の外蒙古支配は完全に崩壊していたであろう。その結果、内蒙古・満州内蒙古人勢力と協力した親日の政権が生まれていた可能性が高いのである。

七.こうした歴史的事実を教えてくれる本が昨年出版された「ノモンハン事件の真相と戦果-ソ連撃破の記録」(小田洋太郎・田端元著)(有朋書院)である。歴史偽造を突き崩す貴重な情報を教えてくれる書である。
多くの人に読まれることを願うものである。

歴史論争最前線の目次