June 18, 2009

くるりのニューアルバム「魂のゆくえ」をヘビロテ中です。

僕は彼らが「図鑑」を出した頃からのファンだけれど、それにしても「大人のバンド」になったなあ、と痛感。
2ndアルバム「図鑑」は、たしかに「街」や「宿はなし」などの名曲を収録した快作だった。
でも、あまりにも演奏がラフ。
オリジナルメンバーの「モッくん」のドラムが、どうにももたつく。
岸田氏のボーカルもよれよれだ。
その次の「TEAM ROCK」には、「ばらの花」やら「ワンダーフォーゲル」やら、その後の代表作となる作品が入っている。
でも、インスト曲とのバランスがどうにも悪い。
なかなかアルバムを通して聴き通せないほどのバランスの悪さ。
そう。
昔、彼らは「才能はもの凄い! でも、どうにも荒削り」という齊藤悠葵(カープ)のようなバンドだったのである。
だが、時は流れる。
前作「ワルツを踊れ」、更には今作「魂のゆくえ」。
完成度の高さはもの凄いよ!
もちろん、最初期のような勢いはない。
あのわけのわからないパワーも、妙な怒りもない。
あれはあれで魅力的だ。
でも、それではバンドは長続きしない。
村上春樹がインタビューで言っていた。

「若い作家が小説を書く時の良さっていうのは、文体がどこか抜けていようが、スカスカしていようが、澱んでいようが、ちょっとバランスが悪かろうが、熱意と勢いがあれば正面突破できちゃうところですよね。むしろそういうバランスが悪いところが、読者にとっては魅力になったりする。これは若い作家の ― せいぜい四十歳までの ― 得な点だと思います。(中略)四十まではそれでうまくいくんです。だからって、四十過ぎても同じようなことをしていると、人はてきめんに読んでくれなくなります。もっと大きな深い物を書きたいという気持ちと、それを書くためのテクニックが並行して向上して行かないと、だんだん読者ってついてこなくなっちゃう」(monkey business 2009 spring vol.5)

予備校の授業も同じだろう。
そろそろ僕も「若手」とは呼べない年齢になってきている。
だからこそ、同じことを同じようにしているだけではダメになっているし、だから毎年少しずつ授業に修正を加えて行くのだ。

更には、このブログも一緒だろう。
初めて4年。
最初の内は、「イイタイコト」が溢れて溢れて、何の技術も何の策略もなく、文章を書きまくっていた。
今、改めて読み返してみても、「いい加減なことを言ってるなあ」と思いつつも、中には我ながら猛烈に「こりゃ面白い!」と感じる文章もある。
しかし、それだけではうまくいかなくなる。
もっと「洗練」させていかなくては...。
でも、だ。
それができない。
僕が未熟であるせいか、この文章にまで気力と体力と時間が回らない。
本業の授業に、テキストの編集に、参考書の執筆に、たくさんの時間を取られて行く中で、徐々に自分が書く内容にも不満が募るようになってきていた。
それでも、毎日300件を超えるアクセスがある。
そんな中で、満足のいく更新ができていない事実を、この半年くらい、どうにも申し訳なく思っていた。
多分、そろそろ潮時だろう。
...ということで、この「日常のコギト」、今日が最後の更新である。
今日が最後。
本当にアクセスをありがとうございました!

もちろん、この仕事を辞めるわけではない(当たり前か)。単にこのページの更新をストップするだけである。
だから、傍目には何も変わらない。
けれど、僕としては大きな変化だ。
このページにアクセスしてくれる皆さんは心の支えでもあったから。
「こんな未熟なオレでも、誰かが言葉を聞きたがっているんだ」というのは、授業して行く上でも大変な自信になった。
特に、「英語について」や「受験勉強の仕方について」というような「予備校英語講師的」な内容を意図的に排除していたにも関わらず、戯れ言につきあっていただけた。
そのことで、更に気が引き締まった。
皆さんには感謝してもしきれません。
また、ちょっと時間に余裕ができたら、新しくページを始めるかもしれません。
でもそれまでは、ちょっと休憩します。
6月いっぱいは全ての文章をページに残しておきますね。

では、まだまだやることはたくさん。
「日々是決戦」を体現しながら、お互い前へと進んで行きましょう!

今日の1曲:くるり「魂のゆくえ」



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June 12, 2009

またまた間が空いてしまってすみません。
いろいろあったのだよ。
ご飯を作っているときも、近所の野良猫と遊んでいるときも、トイレで用を足しているときも、ずーーーーーっと頭から離れなかった(特に、怒った編集者の顔が)「読解の問題集3冊」をなんとか脱稿した。
おめでとう!
今まで4冊の本を作っているけれど、正直、こんなにキツいのは初めて。
書き終えることができたのは、僕一人の力によってではない。
ウチの奥さん(英文学で大学院出てる)の知恵も借りまくり、元生徒たちの受験生時代の記憶も総動員して、なんとか終わった。
この場で皆さんにお礼を言いたい。
ありがとう!
まだまだ作業はたくさん残っているし、通算7冊も本を出しまくっても村上春樹並に売れるとは到底思わないのだけれど、でも今までの中で最も「クセのない」本なので、間口は広いはず。
秋頃に店頭に並んだ際には手に取ってみてください。

そんなこんなで忙しくて、ここのところカリカリ。
30過ぎのオレっちですらきっちり頑張っているのに、受験生という立場で頑張っていないなんて!
などという都合の良い理由で、寝てる生徒には厳しく当たってしまった。
言い過ぎていたらごめんなさい。
でも頑張ろうよ。
頑張ろうと思えば、思い切り頑張れる立場なんだから。

数年前、目の不自由な生徒がいた。
視力がままならない状態で授業を受けるのは、そりゃ大変なことだ。
板書が見えないから、口頭の言葉だけで理解をせねばならない。
「ほら、こちらを見てごらん。こことここが同意表現だよね!」の、「こちら」「ここ」「ここ」がわからないのだ。
その状態で授業内容をマスターするのは至難の業である。
もちろん僕も話すときに考慮はしたけれど、それでもどれだけ貢献できたかわからない。
でも、いつも授業態度はまじめだった。
そのがんばりを見て心を動かされると同時に、その3つ隣の席でいつも思いっきり眠っている生徒がいて、やりきれない気持ちになったことがある。
お前が寝てるその間だけ、視力を貸してやってくれよ。
そうすれば、どれだけ彼が楽に勉強に取り組めるか。
本当に情けなくなって、私、半泣きでブチ切れたことがあったけれど、どれだけ寝てたその生徒がわかってくれたかと思うと、正直自信がない。

実は僕自身も、1浪時代に、某K塾の講師から、思い切り怒られたことがある。
別に寝ていたわけではない。
休みがちだった授業に久々に出てみたら当てられたのだ。
「そこのお前、答えてみろ」と。
僕は答えられなかった。
そうしたら、人差し指を突きつけられて言われた。

「今、答えられなかった自分自身を捨てろ! 今すぐ捨てろ! そして、授業には休まず出てこい!」

僕を覚えていたのだ...。参った。
休んでいたことはバレていた。
もちろん、僕はその先生の授業に二度と出ることはなかった。
ったく、恥をかかせやがって!
本気で腹が立った。
あまりの怒りに、丸一日ご飯が食べられなかった。
授業に出るも出ないもオレの勝手だろ!
オレの方が「客」じゃねえか。
へたくそな授業をしてるから、オレは行かねえんじゃねえか。
しかも、オレの金で、お前は飯食えてんだろ!
誰のおかげで生きてられると思ってんだ!(←アホだ...)
けれど、だ。
この年になって、逆の立場になればわかる。
怒った彼の気持ちが。そしてメッセージが。
そりゃ、僕のことを「変えたい」と思うだろう。
だって、そのままじゃ「努力のできないダメ人間」のまま、人生を終えることになっていただろうから。
30になったら、ようやくその先生の言葉が沁みるのだ。
あの言葉は、僕を傷つけようと思っていったのではない。
もちろん、恥をかかせようと思ったはずもない。
「変えよう」としただけなんだよね。

実はついこの前まで、僕は中央大の後楽園キャンパスのすぐ近くに住んでいた。
理工学部のある所だ。
そして、あの殺人事件のあった場所だ。
リアルタイムでその動向を見ていたのだけれど、まさか教え子が逮捕されるとは。
なぜ教授の言葉が「身に沁みなかった」のか。
生徒を傷つけようとして言葉を発する教師などいない。
そこにあるメタメッセージを読み取ることのできない愚か者に、僕はやりきれない憤りを感じる。
彼は、高窪教授を殺しただけではない。
教える立場にある人間を殺してしまったのだ。
そう思うと、僕自身、無力さにただ絶望する。

いろいろなハンディキャップを背負っても、それを物ともせずに努力を続ける人がいる。
その一方で、全てを他人のせいに押し付けて生きる人もいて、それでも日々は続くわけだ。
問題集。めちゃ大変だったからと言っても、愚痴を言わずに、もう少しだけ頑張ろうと思った初夏の夜であったり。
とにかく、少しずつ努力を続けましょうよ。いいことあるから。

今日の1曲:くるり「さよならリグレット」

salto_mortale1977 at 23:24  この記事をクリップ!

May 07, 2009

久々の連続更新。
締め切りを過ぎている原稿もあるのに...すみません、急ぎます。

GWが明けて、学習もようやく軌道に乗り出す時期である。
ただ、それと同時に脱落していく生徒たちも多い。
心配...。
高3生は学校があるからまだいい。少なくとも、家に閉じこもることはないから。
周りの状況を見て、少しは焦るだろう。
ただ、浪人生はそうもいかない。
彼らの場合、予備校に行かなくなるとどうなるのだろうか?
僕も1浪の時は予備校から脱落したからわかるけど、「何もすることがなくなる/誰とも接することがなくなる」のである。
昼過ぎに起き、スウェットのまま起きだして、近所の本屋で「週刊ベースボール」や「Smart」を立ち読みをして、夜はカープ戦と深夜番組を見て、一日が終わっていく...。
当時は携帯もメールもないから、コミュニケーションを取る相手は家族くらいしかいない。
孤独...。
さすがにこのままではヤパイ!...と思い、たまに予備校に顔を出したりもしたが、予習する箇所するわからない授業では理解できるはずもない。
そして、結局また脱落。
アホだ...。
最終的に「不合格」の烙印を押されるまで、僕は変われなかった。
本気で頑張ることができなかったのだ。
幸運にも今まで病気になることもなく生き延びられたから、こうして「アホだ...」と笑い話のように言える。
けれど、同級生たちの中には亡くなった人たちもかなりいる。
もし22才くらいのとき、僕が「余命3ヶ月」などと宣告されていたら...。
ぞっとするよね。
貴重な一年をなんて無駄な形で過ごしたのか。
本気で悔いただろう。
皆さんにそうはなって欲しくないからこそ、是非完全燃焼をしてほしいのだけれど、この想いがなかなか届かなくて、とても、とても歯がゆい。

       *       *       * 

先日、生徒と話しているとき、カープの「炎のストッパー」、津田恒美のことを話題に出されて、驚いた。
知っている人は知っているんですね。
「ストッパー」などという言葉は、今や死語である(みんな「クローザー」と英語式に言う)。
津田の現役時代知る者も、恐らく30代以上のはずだ。
まあ、伝説になるほど凄い投手ではなかったのだけれど(藤川などの方が数段上ですよ)、早く亡くなってしまったこともあり、今でも多くの人に知られている。
他にも漫画。
生徒の多くは「ドラゴンボール」やら「スラムダンク」やらについても意外に詳しい。
「スラムダンク」は、僕らが中学生のときに一世風靡した漫画だ。 
20年前だよ!
当時僕はバスケ部に所属していたので、その人気の高まり具合をよく覚えている。
今でも読み継がれているんですね。
まあ、僕らも、一世代前に全盛期を迎えた「タッチ」やら「めぞん一刻」やらを読んでるもんね。
世代を超えて受け継がれるものって、やはり素晴らしい!
同じように、音楽でも、僕らの世代に全盛を迎えたものでも未だに聴き継がれているものも多い。
例えば、「ニルヴァーナ」。
かなり多くの「音楽好き」の生徒が、彼らの存在を知っている。
カート=コバーン(正しい発音は「コベイン」)のTシャツを来ている若者を見かける機会も多いもんね。
彼は、日本で言えば、尾崎豊のような存在だった。
一言で言えば、「反抗」である。
超有名な、

「Hello, Hello, Hello, Hello, How Low?」

という「Smells like teen spirit」の歌詞を筆頭に、彼は現在の状況に「NO!」を突きつけた。
そして、徹底して「Low」状態をアピールした。
「若者の反抗」だ。
不幸な生い立ちを始め、周りの状況に徹頭徹尾噛み付いていった。
ただ、彼は何故人気を博したか?
そして、今も語り継がれているか?
それはもちろん、「反抗」したからではない。
「音楽」という形で表現をしたからだ。
表現。
しかも、形に残るような表現。
それを皆に対して主張をしたからこそ、語り継がれる。
当たり前のことだが、彼と同じように生い立ちが不幸で、貧しく、ドラッグに溺れ、若くして散った者でも、自分の苦しみをアピールできなかった人々のことは皆忘れる。
それだけのことだ。
「反抗」というのは、自分の主張を表現できてこそ成り立つ。
ボブ=マーリィだって、チェ・ゲバラだって、カストロだって、そしてオバマだって、自らの理想と「反抗」を、人々が納得できる形で示したからこそ、今でもカリスマなのだ。

       *       *       * 

何故、こんなことを書いているか。
実は、数年前に個別指導をしていた生徒に言われた言葉が、未だに「心の網」に引っかかったまま消えていないからだ。
実話なのだが、もう時効だと思うので、書いちゃいます。
その生徒は、猛烈に英語が苦手だった。
中1レベルのことも全く理解ができていない(高3)。
衝撃だったのは、youngの意味がわからなかったこと。
「ヤング」と声に出して読んだら、「ヤングって、どんな意味でしたっけ?」と聞かれた。
この子は、これまでの18年間に数百回は聞いてきたであろうこの言葉を、理解していなかったのか...と思うと、正直、気が遠くなりそうになった。
他の言葉も駄目。
heavyだって、「ほら、ボクシングのヘビー級」と言っても、「軽い」か「重い」かすらわからなかった。
でも、だ。
これからできるようになっていけば良いのだ。
今から「変わ」れば良い。
だから、僕は言った。
「とにかく、英単語を覚えないとまずいからね。次に言う言葉の意味は、来週までに必ず覚えてよ。『young』、『heavy』...」
そう言って、めちゃくちゃ基本的な単語を僕は書き出した。
すると、それを見て彼は言ったのだ。
「なんで覚えてこないといけないんスか?」
「...英語ができるようになりたいなら...」
そう言うと、彼は僕の言葉を遮って、こう言い放った。
「オレ、『やれ』と言われると、反抗したくなるんスよね」

もちろん、僕は偉そうにも彼を叱った。
そうしたら、結局彼はその数週後に予備校を辞めてしまった。
うーん。
「反抗」。
当たり前だが、そういうことを「反抗」とは言わない。
上達のための努力を怠ることは「反抗」でもなんでもない。ただの「怠惰」だ。
これまで彼が「反抗」と称してスキップしてきたたくさんの事柄を思うと、正直、悲しくなった。
もし彼が本気で反抗をしたいのならば、その気持ちを表現せねばならない。
歌でも作って、人々にアピールせねばならない。
そして、納得させねばならないのだ。
ラップだったら、意外にいいかもしれない。

「♪Hey! Teacher 栗山 こんなこと言う 『youngって言葉を覚えろ』と No! そんなの本気でくだらねえ 英語講師は死んじまえ! YO!♪」

なんてね...って、アホか!
それで誰を納得させられると言うのか。
今頃、彼は何をしているのだろう、と思うと、頭がグラグラしてくる。

勉強をしない理由を「くだらないから」とか「つまらないから」などと言うことがどれほど情けないことか。
予備校に行きたくなくなったら、是非もう一度考え直してほしい。
それが「反抗」なのか、「怠惰」なのか、と。
カートや尾崎やゲバラが格好良いのは、「反抗」したからではないのだよ。
「反抗」を昇華させ、それを人々に納得させたからだ。
それに気づかずに、愚かな我々は、つい「こんなものは意味がない」と平気で断罪してしまう。
「英語なんて、勉強する意味がない」と。
「失われたときを求めて」の中で、プルーストはこう記している。

「このような人たちは、大方の文学者よりもはるかに文学通で、(中略)大方の画家よりも「楽々と」描く腕を持ち、自分たちの送っている生活は自分たちにはふさわしいものではないように思い...」(「失われたときを求めて1 スワン家の方へ 鈴木道彦著)

そんな人間がどれほど情けないかは言うまでもない。
僕自身も、かつてはそんな考えを持っていたからこそ、その情けなさはわかる。
だからこそ、皆さんにはそうなって欲しくない。
そうなる前に気づいてほしい。
「勉強がつまらない/くだらない/やる必要がない」なら、まずその主張をカートたちのように形にすれば良い。
それができないのならば...やると決めたら、最後まで頑張りましょう!
僕も、最後まで皆さんを支えたいと思う。
応援します。

今日の1曲:Cheekbone "Behind the irony"

salto_mortale1977 at 22:20  この記事をクリップ!