先日2チャンで京都教育大学を擁護するカキコをしたところ、「京都教育大学の方」にされてました。 おかげですっかり若返り、偏差値も上がり、そして性転換までしてしまいました。
しかしワタシはこの大学側の対応は正しいと思います。
大学は「集団強姦」の現場を見たわけではありません。 「被害」女性の話を聞いただけです。
ところで彼女は何のために警察ではなく大学に話をしたのでしょう? 19歳でも大学生です。 大学には刑事事件の捜査をする能力も権限も無く、まして処罰をする権限など無い事は知っているでしょう。
彼女が「犯人」達を処罰して欲しければ、一日も早く警察に行き、証拠の保全等がすみやかにできるようにするべきでした。
それを大学なんかに言ったのは彼女が、この事件を集団強姦とか準強姦のようなオドロオドロしい物と言う認識がなく、セクハラのやり過ぎぐらいに認識していたか、或いは表ざたにしない形で大学ができる処罰、つまり「犯人達を放校する」ような事をして欲しかったからでしょう。
そもそも彼女が大学に事件をどのように訴えたかも、報道されていません。
しかし大学も一方の話だけで、学生達に厳罰を与えるわけには行きません。 そして双方の話が食い違えば大学側がその真偽を判定する権限もありません。
「なんだか集団強姦みたいだね。 被害者が告訴したかどうな何て知らないけど。」
これで警察に持って行っても、警察だって困ります。
「被害者」が自分で警察に行けば済む事を、何で大学にその判断を委ねるのか、そしてなぜ大学を責めるのか実に奇怪です。
そして何より呆れるのは、この問題でマスゴミ始め、ネラーもブロガーも圧倒的多数が、もう完全に男子学生達を犯人にしている事です。
彼らは告訴、逮捕されただけで起訴もされていません。 真実はこれからの捜査によるしかなく、それも非常に難しい捜査になるでしょうね。
なにしろ「被害者」は物的証拠なんか完全になくなる頃になって告訴したので、この事件には証拠なんか何にもないでしょうから。
「証拠は無いけど、オマイ強姦魔だろう」と言うのが今回の世論なのです。
しかしまあ、個人的感想ですが、ワタシがうら若い乙女だった1970年代から比べると、隔世の感がありますね。
あの時代はこれとは全く逆で性犯罪では、女性が圧倒的に不利でした。
ワタシはこれは女性として勿論不服でした。
尤も本来の近代国家の裁判では「疑わしきは罰せず」です。 性交の有無は物証で確認しても、同意の有無は、当事者同士の証言ぐらいしかありません。 処罰が難しいのは仕方がないでしょう。
ところがそれから1970年代の末、ウィメンズ・リブが盛んになる辺りからこれが逆転しました。 何と人権も糞をあらばこそ「告訴されたら有罪強姦魔!!!」で良い事になったのです。
これを日頃人権を喚く連中が推進したのです。
これは正常な社会とは思えないのですが、驚くべきはこの蒙昧主義に女性ばかりか、圧倒的多数の男性が同調しているのです。
この蒙昧主義の最大の成果が「従軍慰安婦捏造」でした。 何一つ証拠が無い捏造を、お笑いでしかない証言だけで、純然たる売春を完全な拉致監禁強姦と断罪したのです。
NHKの問題番組「戦争はどう裁かれたか」のバウネットとの裁判で政策プロディーサーは
「辛い思いをされた方々の証言を疑うことなどあってはならない」
と証言しました。
当に蒙昧主義の鑑とでも言うべき発言でした。
しかしこの蒙昧主義を日頃批難しているネラー達までが、この事件ではNHK並みの蒙昧主義を露呈しました。
がっかりしました。
性犯罪が厄介なのは、証拠が残り難いにも関わらず、罪が重い事です。 だから裁判には男性有利、女性有利などと言う馬鹿な状況を廃して、なんとか冷静で客観的な司法を期待します。
一方でまた性犯罪では司法による量刑以上に問題になるのが社会的制裁です。
昔は女性が男性を強姦で告訴するとなぜか女性のほうか「ふしだらな女」などと思われて社会的な不利益を蒙りました。
しかし現在はそれが逆転して「告訴されたら強姦魔」です。
こんな事はどちらもマトモではありません。
司法の厳正を求める事は勿論ですが、私達国民は「このような裁判は難しい」と言う事を肝に銘じて、安易な批難を慎むべくではないでしょうか?
また興味本位での報道を慎むようにさせるべきでは無いでしょうか?
そして個人個人は安易な正義感で、直接加害者でもない人達にまで訳のわからない批難を浴びせる事を慎むべきでしょう。
by iza07596303
労働者を搾取する者