阿部祐亮は実は13日に急死したノア・三沢を知らなかった。それでこの朝、新聞各紙をみて「フーン、三沢ねぇ」とつぶやいたらプロレス博士の馬場哲也マネジャーが聞きつけて「何、三沢を知らん?あのなぁ…カクカクシカジカ」と臨時プロレス講座。「いってみりゃあ三沢選手は阪神では金本さんみたいな重鎮だったわけで…そりゃ大変だヮ」とわかった。しかし、頼りの兄貴もこの日ばかりは“沈黙の戦艦”と化して…。流れの悪いときはあるもので、金本選手の4打席は全部「先頭打者」でせっかく兄貴が四球を選ぶと5番ブラゼルが三振。そのブラゼルがドカンと一発の時は兄貴が凡退したあと…誰か高野山で御札をもらってきたらどうか。
さて試合前から記者席で燃えていたのは我がキャップ野下俊晴。真弓監督は試合前は報道陣を避けるようにグラウンドに出ていき、ほとんど接触がなかった。その監督の胸中は痛いほどわかるが、敗戦の責任は情け容赦なく彼にノシかかる。その苦悩する監督の背をみつめながら野下はいう。
「いくら監督・コーチが創意工夫をしたとしても『笛吹けど踊らず』ではどうしようもない。打つ、投げるは選手なんですから…」。野下は最近耳が痛い。それで「中耳炎」といわれたがセキが続く。今度は「ぜんそく」といわれて吸入器を持ち歩いている。「僕のぜんそくが治まるのが先か? 阪神の“ぜんそく状態”が治るのが先か?」とゼエゼエいってた。