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カルチャー

天下の日経もヤンキーに注目! ヤンキーを制する者は日本を制すのか!?


「ヤンキー論」に必ずつきまとうナンシーの影を追っ払え!(後編)

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「ヤンキー消費者」の指向と時代に見事にハマった
EXILE。次は何人になるのかな......。

■前編はこちらから。

ヤンキー論のグループを3つに大きく分けてみる

 前の『ヤンキー文化論序説』の中身においてもヤンキーの定義はバラバラである。ここでは、ある程度乱暴にではあるが、ヤンキー論を大きく3つに分類してみたい。

 過剰なバッドテイストとして「ヤンキー」をとらえる論者の代表が、相田みつをの書と暴走族の「喧嘩上等」的なセンスに通底する日本人のヤンキー性を論じる編集者の都築響一。そして建築・インテリアから改造車につながる過剰にデコラティブな様式としての「ヤンキーバロック」の存在を指摘する建築批評家の五十嵐太郎もここに当たる。こうした論は、ヤンキー=精神科医の普遍的な価値観であると見る立場でもあり、「平安時代にもヤンキーはいた」というエッセイストの酒井順子の説、それに同調する斎藤環らは「ナンシー派」もしくは「ヤンキーは日本の心派」グループである。

 一方、ヤンキーを村祭りに積極的に参加する、将来の町内会やPTAの担い手である「裏の地域共同体」と捉えるのは宮台真司。70年代以降のコンビニ化・ファミレス化という「共同体の空洞化」とともに絶滅寸前であるのが「ヤンキー」であり、コギャルやチーマーは、地域共同体からはみ出した存在と定義する。こうした「ヤンキー絶滅論者」には、ヤンキーの受け入れの場の減少を説く社会学者の阿部真大、ヤンキー漫画をモラトリアムとしてとらえる漫画評論家の森田真功らがいる。

 また、音楽評論畑の近田春夫や磯部涼らは「ヤンキー」をアメリカ文化の日本流の受け止め方としてとらえている。リーゼントや革ジャンといったファッションのルーツは、50年代アメリカのジェームス・ディーンやエルビス・プレスリーが生んだものである。それが日本に渡り浸透する際に、訛りが生じて定着したものを「ヤンキー文化」とする見方だ。

 そう考えると、矢沢に憧れた暴走族からB-BOY系やジャパレゲ(ジャパニーズ・レゲエ)系へと連なる日本の不良文化は、すべて「アメリカの影」として説明可能になる。ここのグループは「ヤンキーはアメリカの影派」と呼ぶべきだろう。

 大きく分けるとこの3派なのだが、これ以外にも、オタク側の論客から見たヤンキー論として、
『電波男』(三才ブックス/※講談社で文庫化)の本田透と『オタク女子研究 腐女子思想大系』(原書房)の杉浦由美子が用いる「ヤンキー」という文脈もある。二次元ではない現実の恋愛に金を注ぎ込む「恋愛資本主義」に生きる層=ヤンキーという解釈である。

 またこれ以外にも、現代の若者の「地元志向」が強くなっていることを説く『〈非行少年〉の消滅』の著者で社会学者の土井隆義、「新たな中間共同体」として「地元」を描いたドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS)の重要性を唱える批評家の宇野常寛ら、00年代以降のネオヤンキーの復権の立場を取る「ヤンキー復権派」がある。

日本版「カルスタ」は本当に成立しないのか?

 このように、始まったばかりのヤンキー研究の分野においては、言葉の定義ですら固まっていないのだ。

 また、現時点でのヤンキー研究は、基本的にはサブカルチャーとしてのヤンキー研究にとどまっている。学術的な領域からのヤンキー研究という意味では、本来もっと前面に出なくてはいけないのが、90年代に日本で普及したカルチュラル・スタディーズの学者たちだろう。

 カルスタは、イギリスでは労働階級と結びついたパンク、アメリカでは黒人文化から生まれたヒップホップなど、階級・民族と文化の関連を研究する分野。だけどなぜか日本では、カルスタの文脈でのヤンキー文化研究は、盛り上がらなかった。おそらく、日本においては民族や階級と文化のかかわりが希薄と思われていたのだ。

 しかし、本当にそうか。たとえば、70年代の不良文化を代表する『スクール☆ウォーズ』(TBS)は学園青春ツッパリドラマだが、のちにリメイクされた映画版においては、「川浜一のワル」が川向に暮らす被差別部落出身者であることを匂わせる描写が登場する。また、80年代を代表する不良漫画『BE-BOP-HIGHSCHOOL』(きうちかずひろ/講談社)には、作者は否定するが、70年代に朝鮮高校と国士舘高校の間で繰り広げられた対立構図が見え隠れする。単なるサブカルチャーのように見えるヤンキーの物語にも、階層や民族の問題が見え隠れするというのが実際のところである。この辺りは、カルスタの分野で研究されなくてはならない、重要な研究材料ではないだろうか。

 これからのヤンキー研究は、まずは"ナンシー関の影"から抜け出ることをその一歩とするべきだろう。
(文=速水健朗/「サイゾー」7月号より)

速水健朗(はやみず・けんろう)
1973年生まれ。ライター・編集者。音楽、芸能、広告、コンピュータなど幅広い分野で執筆活動を行う。著書に『ケータイ小説的〜再ヤンキー化時代の少女たち〜』(原書房)、『自分探しが止まらない』(ソフトバンク新書)など。[ブログ]犬にかぶらせろ! 〈http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/


俺達には土曜日しかない


過剰なバッドテイスト。


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2009.06.18 木   はてなブックマーク BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク livedoor クリップ みんトピに投稿 newsing it! この記事をChoix! 友達に知らせる