
診察が終わって、日中友人と会食をして居たらしい母が、車で拾って帰って呉れるとのことだったのだが、其の後近所のショッピングモールで買い物に散々付き合わされ、待たされ、自力でバスに乗って帰った方が断然楽だったと後悔した。
帰宅後、疲れ果ててカーペットの上で横に為り、浅い眠りに揺られて居た私を一蹴して、痛恨の一言。
「あんた、治す気有るの?」
其れが判ったら、こんな状態に為って居ないよ。
病気なのか甘えなのか
戻りたいのか戻りたくないのか
生きたいのか生きたくないのか
馬鹿な私は其れが本気で判らないのだ。
其れ等を見極め、確信を持てる様に為らない限り、母の望む私に為れる筈も無い。
病院等、何の意味も為さないと母は言うし、私もそう思うけれど、其の反面若しかしたら、何時かは"見極める"糸口を見出だす切っ掛け位には為るかも知れないと、少なからず思って居る。
夜に寝て朝に起き、三食きちんと摂れば、私の今の症状等改善する程度のものだと云うのが母の言い分だ。
中途半端な時間に眠れば当然不眠は悪化する訳で、先述した母の言葉は其れに起因する。
私だって頭では判って居る。
然し乍ら、幼稚で稚拙な私は、如何にも其れに行動を伴わせることが不可能なのが現状なのだ。
母が身体を壊し乍ら稼いだ給料から、現時点では全くの無駄と言える、週五千円の医療費を払って貰うのは余りにも忍び無く、養育放棄中の父親に何とか払って貰いたいと思って居ると、先日母に告げた。
すると、そんなことが気に為るのであれば、週一回の診察の時間をバイトに充てれば良い、其の方が余程有益だと返された。
本格的にパニック障害を発症したバイトと云う場へ、今の私に行けと?
返す言葉を失った。
私の一番の理解者であり、寧ろ神様であると言っても過言ではない母親に、此処迄理解して貰えないのは初めてのことだ。
母は鬱も自律神経の狂いも、経験して居る筈なのに。
三年前、家庭が崩壊した時、詰まり両親が離婚した時、初めて母のことを、母親としてでなく、一人の人間として見る様に為った。
其れを踏まえても、私の中で未だ母は神様だ。
死ねと言われれば死ねるし、母が死ねば間違い無く、迷わず私も死ぬだろう。
けれど「生きろ」と言われたら?
「"治れ"」と言われたら?
判らない。
母との距離感さえ、見失って仕舞った。
病気なのか甘えなのか。
正直、周りから見ても、私自身が感ずる処も、後者が有力であると言って良いと思う。
腕を切る様に為ってもう一年も経つと言うのに、半端な傷しか創れずに
拒食してもたったの6kgしか落とせず、嫌悪感に苛まれようとも嘔吐さえ出来ずに
眠った儘で居られたら等と切望して置き乍ら、たったの30錠しか呑めずに
発作と言えど高が自己誘発にも近い過換気で
何が病気だ。
滑稽にも程が有る。
病気の真似事に耽って悦に浸り、醜い笑みを撒き散らす私は、結局人様からの同情が欲しいだけなのだろうと言われれば、全く、返す言葉も無い。
何て愚かで傍迷惑で不愉快な女だろう。
再三言うが、殺されない理由が判らない。
矛盾だらけで身動きが取れない
全部自分が蒔いた種
助けてなんて口が裂けても言えない
朝が来るのが恐ろしくて、身体が震える