
取り敢えず無事生還致しました。
昨晩から今日に掛けてのことに就いて日記でも認(したた)めてみます。
昨晩十二時から日本史の課題を開始。
ほぼ白紙で答案を出した為、余りの点の低さ故のペナルティの様なものです。
教科書十五頁分の本文を書写するだけのこと。
ルーズリーフで四枚、ノートで言うと八頁分程度の量に為りました。
其れで出席率の低さや点数の低さに因る成績の悪さを少しでも軽減して貰えるのならば、甘いにも程が有る、寧ろ有り難いペナルティです。
けれど此れを出さねば単位を貰えないと言われました。
必死にやりました。
朝の六時頃迄はカッター片手にではありますが、ぶっ通しで何とか順調に進めて居たのですけれど、提出期限は朝の八時二十分迄。
間に合わないかも知れないと云う焦燥感と、逃げられないのだと云う義務感。
勉強に対する単純な拒絶。
一度涙腺を緩めて呼吸を乱せば動けなく為るのは目に見えて判って居たので、提出し終える迄は我慢しようと思って居たのですけれど、想定して居たよりも早く糸が切れて仕舞い、発作が出ました。
同時に面白い位に身体が震え始めて、腕さえ切れない状態に為って、更にパニック。
今日ばかりは頓服に頼るのが癪だったので呑まないつもりで居た筈が、妥協して一錠。
0.5mg如きのデパスが私の身体に作用した試し等御座いませんが、プラシーボ上等です。
何時迄もへばって居られないので再び作業を再開。
字がふにゃふにゃ過ぎて解読不可能でした(笑)
七時半には終わって居なければ提出時間に間に合わないと云うのに、もたもたして居たらタイムオーバー。
そして又も妥協。
何処迄も自分に甘い人間です。
未完成でも制限時間内に提出するか、時間に遅れても終わらせるか。
せめて誠意だけは判って欲しかったので後者を選びました。
結局一睡もせぬ儘(こう云う時には便利ですよね、不眠って)、食事も摂らず、朝の薬も呑まずに家を出て、九時に学校に到着しました。
職員室に直行。
期限を過ぎては居るが、取り敢えず受け取って下さると云うこと。
他の生徒の成績は二日前には付け終わって居るのに、私だけ最大限に引き延ばして待って居てやったのだから、卒業したいのなら最低限のこと位はやって、期日は必ず守れと云うこと。
結局はテストの点が余りにも低過ぎることと期限を過ぎたことが原因で、此の課題を提出した処で必ずしも評価が上がる訳では無いと云うこと。
詰まり、必ずしも単位を貰えると云う訳では無いと云うこと。
まぁ当然と言えば当然の、世の中のマナーと言うか摂理と言うか、頭では判って居つつも私が放心状態で呼吸を乱し始めて居た為、非常に言い辛そうに、始終苦笑いでそう仰いました。
憐れ男性教員。
私が彼の前で泣くのは卑怯だと思ったので其の場では何とか堪え、職員室を出た途端再び糸が切れ、発作→保健室→崩→薬→ソファと云うお決まりのコース。
何故か又、寒くもないのにがたがた身体が震え始め、ベッドへ行かせて貰えたので、少しだけロイヤルコースです。
暫く悶え苦しんで居りましたが、すとんと落ちる様な質の良い睡眠が摂れたので、お昼には何とか仮復活出来ました。
帰りに事変のニューシングルを買うべく駅の近くのショッピングモールへ行こうと思った処、運命的且つ必然的に、じゅんこがお茶に付き合って下さることに相成りましたので、待ち合わせて合流し、楽しい時間を過ごさせて戴きました。
大変有り難いことで御座いました。
お勧めの漫画やCDを又お借り出来てほくほく。
学校に居る間は、今日の内にこんな風に笑ってお話が出来る時間を持てるだなんて、とても考えられませんでしたので、とても幸せでした。
外出先から帰宅途中の母が拾って帰って呉れました。
何故朝方部屋に電気が点いて居たのかと訪ねられたので、昨晩から朝に掛けての一連の出来事を話すと、
「莫迦じゃないの、あんた本当に自分を追い詰めるのが好きね」
と大笑いされました。
一気に頭が冷めました★
えぇ、冷めましたとも。
全く仰る通りで御座います。
然し乍ら、此処最近の母は、親と云う立場上、私が甘ったれに成らぬ様、意図的に私を突き放し、色々なことに気付かない振りをして居るのだとばかり思って居りましたのに。
例えば部屋で声を上げて泣いて居たことだとか、如何ともし難い状況に、窒息しそうに為って居ることだとか、頭の中は常に生死の間を彷徨って居ることだとか。
如何やら本当に気付いて居ないみたいです(笑)
そろそろ神様と然様ならをする時が来たのでしょうか。