
昨晩はお食事の後片付けなんかを手伝ったりして、随分遅い時間に帰宅致しました。
母が先にお風呂に入ると言うので、制服を着た儘母の部屋で横に為ってお風呂が空くのを待って居たら、其の儘眠って仕舞ったらしく、早朝覚醒してベッドから降りて来た母の気配で私も目が覚めました。
ホットカーペットもクッションも足元で丸まる愛猫も夜明けの空も何だか途徹も無く暖くて、昔良くそうした様に、煙草を吸う母の背中に何と無くおでこを擦り付けて甘えてみたら、涙が出そうに為りました。
母は特に気に留めるでもなく、煙草を吸い終わったら又ベッドの上に戻って行きました。
再入眠出来ない様で、咳払いが聞こえて来ます。
生きて居るものの体温や呼吸を確かに感じて居られる空間と云うのは、妙に落ち着くものです。
ずっと此の儘時間が止まって居れば良いのに。
どうせ衣替えで、もう夏服を着ることもないから、幾ら皺に為ろうと構いやしないし、只此の穏やかな空間の中に、少しでも長く身体を埋めて居たいのです。
一昨日亡くなった方と云うのは、母の親友の弟さんだと云うことは先述致しましたが、其の母の親友の娘さんは私より年齢が一つ上で、唯一の十年来の幼馴染みだったりします。
其の子にとっては伯父さんを亡くしたことに為る訳で、大泣きして居たので、私なりに慰めて抱き締めて話を聞いて居たら何とか泣き止んで呉れたので安心しました。
お焼香の際やお食事の後片付けの合間に、亡くなった方のお顔を何度も拝見させて戴きました。
不謹慎とは判りつつも、只純粋に興味が有って、母の親友も親族の方々も、部外者の私の申し出を快く承諾して下さったので、誰もがご遺体から目を背ける中、其れはもう、まじまじと拝見させて戴きました。
私は柩の中の方と全く面識が無かったからこそ出来たことなのだとは思うけれど、仮令[タトエ]自らの知り合いであれど、私はそうしたのではないかとも思います。
親族の方々は口々に、「眠って居る様だ」と表現して居たけれど、私はとてもそうは思えなくて、只々お人形の様だと思いました。
血の気が失せて浮腫んだ男性の姿は、屹度ご遺体と為った男性に親しみや愛情を持つ人間が見ても、決して視覚的には美しいと表現出来ないものだったと思います。
其れでも私は、強がって居る訳でも、軽率に格好を付けて言う訳でも、死を過剰に美化して居る訳でもなく、心から“綺麗だ”と感じたのでした。
伏せられた儘、ぴくりとも動かない瞼の縁[フチ]から一本一本真直ぐに伸びる睫毛も、お化粧で無理矢理に隠した肌色や唇も、決して風にそよぐことのない、柔らかそうな髪の毛も、真白な装束に包まれ、真白なお花に埋もれて微動だにしない、総てを全[マット]うした姿も、兎に角美しいと感じたのです。
語彙に乏しい上に、妙に人とずれた価値観をして居る私ですので、上手く此の感情を表現出来ませんし、身近に親しい方を亡くされた方からしてみれば、本当に不謹慎に感ぜられ、憤慨されて仕舞うかも知れません。
けれど此れが、私の感じた正直な気持ちでした。
今日のお昼には、彼は灰と煙とに姿を変えて、お空へ還って行かれるそうです。
皆さんがニックネームで呼んで居た為、本名さえ知らない、けれど身近な一人の男の人が、碧い碧い秋の澄んだお空に還ってゆきます。
昨晩あの場所で悲嘆に暮れて居た人々や、今日急いで駆け付ける人々の、涙や淋しさや絶望的な哀しみも、如何か一緒にあの果てし無く広大な碧へと還ってゆきます様に。
神様が居るなんて到底信じること等出来ないけれど、お空は何時も私達の上で、広く大きく両の手を広げて居て、屹度全部を抱き締めて呉れるから。
生に執着出来ない罰当たりな私が、祈る資格等は無いのかも知れないけれど、只々心の底からご冥福をお祈り致します。