
えぇと。
抽象的な駄文続きでしたので、近況報告をば。
自分の中でも全く整理が出来て居ない状態ですので、上手く文章にする自信は御座いませんが・・・
昨日、母に腕の傷がバレました。
五日の記事を書いた直ぐ後、何故か母はベッドの上に上がって来て、血液の付着したティッシュを見て、「何其の血?」と問い詰めて来まして、力任せに身体を抑え付けられて左の袖を捲られて、「此の程度の傷か」と嗤われて。
其の後馬乗りにされて、髪の毛を引き抜く勢いで掴まれ、此れでもかと云う程に殴られました。
鼻をやられると大変美しくない状況に陥って仕舞うと危惧し、鼻だけ庇って暫く大人しく打たれて居ました。
顔も頭も身体も、何処も彼処も殴られ放題。
未だに身体が痛むのです。
多分髪の毛の下は痣だらけ。
挙げ句、カッターを手に取って「同じ様にしてあげる」「こう云うのが見たいんでしょ、やってやるよ」等と言いつつ、自分の太股(手首は気持ち悪いらしい)を切り付けようと刃の出たカッターを振り回します。
必死に其れを抑えます。
「取っ組み合いの喧嘩もしたこと無い癖に、あんたあたしに勝てるとでも思ってるの?」
「学校なんか辞めて仕舞え、退学届出してやる」
「入院させてやる」
等々ヒステリーを起こして、叫んで殴り続けます。
何とかカッターを手から放させてからも色々罵られては殴られて。
其れから解放されたら今度は「持つ資格が無いから」と、携帯・パソコン・お財布の中の保険証・お薬を問答無用で取り上げられました。
そして本来なら父と二人で行く筈だった新しい病院に自分も同行すると言い出し、即座に父親に連絡して居ました。
其の間も懲りずにザクザクザクザク。
そしてだばだばと泣き乍ら逃げる様に登校しました。
学校に辿り着いて保健室に雪崩れ込んだのが五限目。
暫く屍と化した後、六限目は気力で半分出席致しました。
其の時点で既に母を乗せた父の車が駐車場に停めて在りました。
今掴まったら入院させられるか、退学させられて四六時中母の監視下で飼い殺されるに違い有りませんでした。
其れで私の状態が改善すると、本気で思って居るのです。
・・・・此の先も色々々有ったのですけれど、此れ以上書くのが非常に億劫に為って参りました。
取り敢えず現状としては、取り上げられたものは保険証以外取り返せたものの、母とはほぼ絶縁状態で、祖父母は其々行く先不明の旅行に出掛けて行ったので、みぃ宅にて匿[カクマ]って戴いて居ります。
結局病院にも行けて居ません。
今度こそ、本当に帰る場所が無く為って仕舞いました。
全く先の予想が付かないのです。
久々に、本気で絶とうと思いました。
矢鱈窓の多い学校ですから、出口なら何処にでも、腐って朽ちる程在るのです。
母に沢山暴力を振るわれて、沢山の酷い言葉を投げ付けられました。
けれど私も同じ位、否、もっとずっと酷なことを沢山沢山母に言いました。
でも、勢い等ではなく、全部本心でした。
腕を切ると云う行為は、母曰く人として最低限やってはいけないことなのだそうです。
小さな頃から、自分を傷付ける行為だけは絶対にしないと云う約束もして居ました。
其れを破った私は殴っても殴り足らない程の罪を背負い、そんな人間と自分は関われないのだと、母はぼろぼろ泣き乍ら、でも妙に冷めた表情と口調で言って居ました。
一年半近く私の腕に刻まれ続けた傷に、一度足りとも気付こうとしなかったよね、と呟いたら、信用して居たんだろうがと又殴られました。
此の行為で私はぎりぎりの均衡を保って来たんだよ、と言っても嘲笑われるだけで、真面に話を聞いて呉れません。
後は「そうやって全部あたしの所為[セイ]にして置けば良いじゃない」の一点張りです。
母をあんなにも狂気に満ち溢れた表情にしたのは、心身共にズタズタにして追い詰めたのは、他の誰でもない、私。
償い切れない罪に為す術も無く、刃物を変色した肌に食い込ませる行為を、其れでも止めない馬鹿で頭の足りない、私。
振り上げたカッターで其の儘、頸動脈を掻っ切って貰ったら良かったのにね。