2009-06-15 00:18:07 posted by tabibitochaya

スマトラ沖地震

テーマ:ブログ

2004年12月26日 スマトラ沖地震 インド洋大津波


この年、インドネシア・スマトラ島沖にて大地震が発生した。その揺れは地球の地軸に変化を与え、一日の24時間という時間も狂わせ、大海原は激しく狂い立ち、沿岸の島々を津波として襲った。
そして30万人の命が一瞬に消えた。


師走のテレビニュースは、華やかなクリスマスが終わり一転、自然災害の悲劇に映像が切り替わった。
津波の恐怖は、地震大国に住む私たちの想像を遥かに超え、その大きな威力を全世界に知らしめた。


当時、タイには数人の友人がいた。
師走の最中、何人かがプーケットにいっているかもしれないと思い、急いで連絡を安否の確認をとったことを憶えている。
時間が経過するにつれて、死者の数が増える。行方不明者や倒壊家屋、家族を失った人々、悲しみの幹は日に日に大きくなっていた。

インドネシア、インド、タイと放浪していた妻と私は、どこの国とも少なからずなんらかの関係をもっていたため、新年を明けてすこしづつ報道がされなくても、どこか気になっていた。


そして2006年、日本新聞博物館にてインド洋大津波報道写真展が開催され、私と妻と長男の3人で展示会場に訪れた。

http://newspark.jp/newspark/floor/archives2006.html#0605


その時の思いを簡単にではあるが記していた。

もちろん展示のモチーフしだいでチョイスされる写真は左右されるが、日本のニュースの情報からは読み取れない事実がそこにはあり、悲惨な光景であってもその中には、人々が手を握り合う愛情が交差した情景も大きく含まれていた。
随時メディアから流れた悲惨なものと、被災者たちの悲しみだけでなく寄り添う姿、むしろ温かみさえ感じた2つのギャップの事実に、私は大きく混乱したのだ。
そのため、不完全な記事であるままになっていた
しかし、どうやっても、あの記事を締めくくる言葉が見つからないでいた。


今年、4月、ある男と再会した。
様々な独特の活動の中、タイではかなり有名な男になっていた。


白石 昇
バンコクに滞在している日本人の間でも、またタイ人の間でも、有名になっているこの男が最近出版したものに、あの津波の事件を扱った書籍がある。


アンダマンの涙


旅人茶屋-アンダマンの涙


あるマスコミの友人からから依頼された、取材助手という立場から見た手記が、この書籍の内容である。

今回のエントリーは、この本を細かく紹介するのではない。しかし私が見たインド洋大津波報道写真展の未完成な感想に、終止符を打てるきっかけになるであろう書籍である。
やはり、簡単にではあるが紹介しなくてはならないだろう。


書籍は、クラビ県から逃げてきた、白石氏の友人からの電話が始まりである。
その後、日本のジャーナリストの友人から取材の助手を依頼され、現地の人々との通訳や、取材経路の手配、被災者キャンプなどでの出来事を克明に記録している。
取材助手をしながらであっても、白石氏がとっていたこの取材メモの膨大さと詳しさは、さすがだなと率直に感じている。
しかし、また一方では、ジャンルが定まらない作品でもある。
それは、実際に白石氏も発言しているように、ドキュメンタリーでもノンフィクションでもまたルポルタージュでもない。カテゴリーとして分類するとすれば、私小説であるという。
事実を記録していながら、そういった分野の一つにもスッキリと当てはまらないこの作品を評価するのは、正直大変難しい。


しかし、大きく評価したい点が一つある。
それは、忘れてしまいそうなあの出来事を、5年が経過してもなお、あの災害の中にあった悲劇をもう一度思い返してみてはどうか、という点である。

時間が経過すればするほど、一つの書籍もしくわ、なにかしらの作品に仕立て上げることは難しくなってくる。
それでも諦めずにまとめあげたということは、白石氏のタイで経験したタイへの「恩返し」なのかもしれない。
実際、出版に関して19社ほどの出版社に断れ続けたという。
理由は様々であるが、「ドキュメンタリーとしては時期的に遅い、内容がシリアスすぎる、うちでは報道に批判的なものは出せない」など。
これらのハンデを乗り越えたことに、私は大きく評価したい。


そして、もうひとつ。
こういった報道を公表するに関して、ジャーナリストたちに支払われるギャラの問題である。
世界には沢山の事件がある。私がエントリーで挙げたものの中にはアフガン問題や、イスラエル問題など。その記事や写真などをメディアに送り、その対価が支払われる。
確かに事実を伝えるジャーナリストたちには、いつも頭が下がる思いでいっぱいである、しかし、その悲劇や悲惨さの引き換えに得たものとは・・・。
私はこのブログで何人かのジャーナリストとお会いした。
しかし、この問いを正面から聞いてみることが、いつも出来ずにいる。
なにもこの方たちを否定している訳ではない。むしろ、尊敬していることを付け加えておこう。


白石氏の書籍に、取材の助手として得たギャラのことが書かれている。


以下 抜粋


「私は自分が今回の仕事で得た大金の意味を考えてみる。たくさんの人が命や家族、知人、住む場所や財産などを失ったのと引き替えに、私の手元に残ったような気がした。確かに私はこの仕事のために3週間という時間を費やしたが、そのお金はその時間のために支払われているお金ではないような気がしたのだ。

中略

何かが違うような気がした。 そして、いくら考えてもどう違うのかはわからなかった。
ただ、わからない、ということだけが理由もなくはっきりしていた。そして、これからずっと私は、そのことについて考えなければならないということもはっきりしていた。」


そうだろうな。
答えはでないだろうな。
けれど、考えていかなければならないのだろう。
何事もどんなことであっても、答えが出ないからって、答えがないからって、考えるのをやめては、いけないんだろうな、と。


前回のエントリーの、「沈黙を破る ノアム・ハユット氏来日」から暫く経ってしまいました。
(沈黙を破るのサブタイトルは、”考えるのをやめたとき、僕は怪物になった”である。)
どうしてもこの別々の記事を繋げたかったのです。
微妙に、しかし意味的には大きく、私の中でリンクしてしまったのです。

私のサイトにあるインド洋大津波報道写真展の記事は、ブログ内には記しません。
おいおいと考えがまとまったら、HP内で加筆訂正するつもりです。


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