Wikipediaは、一時期は「じゃんけん」など、独特の視点に基づく「珍項目」が目立つような特殊なサイトとして人気があった。しかし、現在では既存マスコミや評論家のコピーとしか言えない平凡な編集方針に戻ってしまっている。 既存マスコミでも、暴論を言う有名人でも、マスコミで発言さえすれば、それはWikipediaの世界では「出典」となる。 特に、既存マスコミが絡む記事では、組織的な執筆者バッシングを行い、記事を骨抜きにし、偏った記事になってしまっている。もちろん、既存マスコミにとっては、自身が当事者であるため、中立性として問題があるとしか言えないことがわかっていない。当事者の主張など、信用面から言えば、かなり差し引かねばならないことなど、だれでもわかることであろう。 Wikipediaでは「真実よりも検証可能性」との編集方針だが、引用などする側からしては、明らかな真実でなければ引用すること自体危険である。ましてや、真実の追究をしても、マスコミが情報操作すれば、上部はそのコピーのような記事を作るしかないシステムである。 一般人は、記事がどんなに間違っていても、マスコミを持っているわけではないし、マスコミも真実を追究せず、情報操作を行う例も珍しくない。そのため、JANJANなどは出典として認めず、既存マスコミだけを出典としなければならない。 私をはじめとして、その内容の変化にはうんざりしていた。 つい数年前までは、出典自体より真実が優先されていた。そのため、執筆者が独自の視点で常識的であれば、文章には問題があっても、その記述自体は生かそうとしていた。 しかし、出典絶対主義兼独自研究排除という方向性ができた。そのため、家庭料理や方言など、実際に評論家が文章にするわけではない記事はすべて「独自研究」の扱いである。 たとえ独自研究であっても、事実であり、万人が認めるものなら、百科事典にふさわしくないとは言えないはずである。 もう、この状態であれば、Wikipediaは百科事典として失格である。調べ物に使おうにも、生きた記事もなく、特定勢力のコピーでしかないものがネット社会では引用の対象になっている、これはJANJANも含め、引用に値するか議論すべきであろう。 |
6月8日〜13日
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