初版 99.2 改訂新版 2008.8

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藤沢さんの周辺のこと
この頁の内容

 08.7 高橋敏夫 呉光生『藤沢周平と江戸を歩く』

■地図『藤沢周平・小説の舞 ■高山秀子『追憶の藤沢周平』■『江戸切絵図にひろがる 藤沢周平の世界』
■地図「藤沢周平ゆかりの地図」【改訂版】出版 
■「藤沢周平ゆかりの地」雑誌『一個人』2001.2月号 ■鶴岡出身直木賞作家---佐藤賢一氏インタビュー追加 
■鶴岡郷土出版---海坂藩の原風景  ■藤沢周平「私とは縁つづきの人」---高山正雄氏 

■作家・藤沢周氏---お名前のゆわれ+画像追加+藤沢周氏の文章追加


本をかばんに江戸の藤沢作品めぐり   

高橋敏夫 呉光生『藤沢周平と江戸を歩く』  (08.7.20 記)
集英社 2008.5.25 1700円

【帯・惹句】

いまもむかしも変わらない「ひとのにぎわい」を愛おしみ、読み、歩く。江戸切絵図、歌川広重、地図、写真…図版150点以上、オールカラーの東京ガイド。

【目次】
1 広重『名所江戸百景』に人の哀歓を読む(市井もの1)
2 絵師たちの江戸(浮世絵師他)
3 探索のまなざし(捕物)
4 出会いと別れと再会と(市井もの2)
5 もめごとを求めて(浪人もの)
6 一瞬の決着にいたる長い彷徨(武家もの)

 50年以上も前、かばんに島崎藤村『夜明け前』の文庫本を入れ、木曽中山道を 歩いた。馬籠(まごめ)の集落からはるか南に山が見える。聞くと「恵那(えな)山」と 誇らしげに答えてくれた。

 同じような経験を10年くらい前にした。かばんに藤沢さんの数冊のエッセイを入れて、庄内を旅をした。「あの山は?」 「この川は?」と聞いた。こちらが藤沢さんの跡を訪れているとわかると 「小説のなになにに出てくるところです」と教えてくれたり、わざわざ道案内を していただいたりした。

 土地の人にとっては、郷土の作家によって描かれた土地の風物は、自慢の種でも あるのではないだろうか。

 今は、体力、経済力などなどで気軽に旅をすることも困難だが、そういうことを 刺激する本だ。


 ★カメラをもって藤沢作品などのお江戸散歩するホームページ「ブログ ウエブ日記 江戸を訪ねるお散歩日記」があります。
     
江戸を訪ねるお散歩日記



作家が“父ちゃん”と呼んだ人の娘さんの思い出   

高山秀子
『追憶の藤沢周平〜留治さんとかたむちょ父ちゃん』
  (07.7.7 記)
集英社 2007.5.10  1300円

 いやあこれはわかりずらい書名とホームページの見出しだ。 簡単に説明しよう。まず、留治さんとは 作家藤沢周平さんの本名。  かたむちょ(頑固者)父ちゃんとは、作家の父親のことではない。作家は、自分の恩人・高山正雄氏のことを“父ちゃん”と呼んでいたらしい。

 では、著者は誰か。高山秀子(米国誌記者)氏は、高山正雄氏の三女です。
 つまり、秀子さんのお父様を“父ちゃん”と慕い尊敬する作家と高山家の物語だ。

 くわしくはこのホームページの下の方の「私とは縁つづきの人」をご覧いただきたい。

【帯・惹句】

父の高山正雄は、藤沢周平を「留治、留治」と自分の息子のように可愛がっていた…。藤沢が人生の師として慕い続けた男の感動秘話。村の風景写真や手紙や葉書などを入れて、ユーモア溢れるエピソードの数々を綴る。

同じ庄内の山々をながめ、同じ小径を歩き、同じ風の声を聞き、藤沢周平が人生の師として慕い続けた男との感動秘話。

【目次】
かたむちょ父ちゃんの書斎 ;大きなマル印; 『かなりや』の唄; 酒徳院常士;  療養中の留治さん; 感激家の和田光利さん; 泥亀と三人のさむらい; ふるさとの味; 筆まめだった留治さん; 村の一本杉; 留治さんからの傘寿の祝い; 最後のとき; さむらいの里の「蝉しぐれ」; それぞれの一分

 1997年の山形旅行のときに、鶴岡市に4泊して藤沢周平さんの地を訪れました。 そのときに、藤沢さんの「一泊して温泉にでも入ろうというひとには、私の村の新山温泉金沢屋旅館、また隣村の湯田川温泉九兵衛旅館をおすすめする。両館は鶴岡駅から車で十、二十分の距離にある」 (「ふるさと賛歌」『ふるさとを廻る六部は』新潮文庫)どおり、両旅館に宿泊させていだきました。

 ただ、「温泉にでも入ろうか」という贅沢なものでなく、貧乏な取材旅行でした。

 金沢屋さんでは、当時銀行にお勤めだった高山邦雄さん(著者のお兄さん)から、藤沢さんのお写真や色紙などを見せていただいたり、「藤沢周平さんを訪ねてきてくれる人がいるのは嬉しい」と市内の案内もしていただきました。
 その後、名産赤株のお漬け物を送っていただき、まったくもって贅沢をさせていただいた客となりました。

金沢屋
  1997.7撮影

 この本には「旅館を止めた」書いてありましたが、インターネットで検索すると 「金沢屋」さんはでてきます。どうでしょうか。(2007.7)


○ 帯の「藤沢周平が人生の師として慕い続けた男との」まではいいとして、「感動秘話」まで書くのはなあ。編集部が書いたものと思われるが、ちょっとなあ。また、正直に言って、「秘話」といえるほどのものもないし・・・。
○ 現地の地図が欲しい。生地、新山・湯田川温泉、・・・。
○ 登場人物のそのときの年齢、没年などが欲しい。藤沢さんが高山さんちで寝ている とき何歳だったのか。

○著者、高山秀子さんやご兄弟、お父様が好きだった藤沢さんの作品はなにだったでしょうか。そのエピソードはなんだろう。


 藤沢周平さんの素養・教養をつくった高山正雄さん、結核療養所の仲間たちへの 藤沢さんの想いはエッセイでよく読みますが、その娘の書は興味あるものです。
 藤沢さんはたくさんの人から愛され慕われていた人だなあとあらためて おもいました。

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藤沢作品と江戸と鶴岡の一枚もの地図  (07.7.21 記)

『藤沢周平・小説の舞台』
 人文社 めぐりシリーズ 800円 04.11

地図索引

○江戸と鶴岡の地図が一枚におさめられています。

● 藤沢さんがガムテープで補修した四角い天眼鏡(ルーペ)で地図らしきものをみている写真がありますね。ああやって見ながら、「おはるさんはこの橋を渡って・・・」と物語を作っていたのでしょうか。楽しそうな作業です。

●読者の私たちも、この一枚物地図や下の地図本で「おけいさんの橋」を探してみる のもおもしろいかもしれません。
 でもかなり時間と心の閑のいる遊びですから隠居の楽しみかもしれません(笑)


○《「石を抱く」『竹光始末』の小伝馬町の牢》を特定することは比較的容易かもしれないが、《しぶとい連中親子が転がり込んだ熊蔵の住む裏店》の特定はどうしたのかなあ。わいわいと議論したのか、編集者ひとりが「えいや」と決めたのか(笑)
○とにかく力作。この出版社の本・地図は特色いっぱいです。

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藤沢作品と江戸と鶴岡の切絵図  (04.6.16 記)

『江戸切絵図にひろがる 藤沢周平の世界』
 人文社 時代小説シリーズ 1600円 04.6.1

●地域別の切絵図
「日本橋 内神田 京橋・・・」---「用心棒・・」「海鳴り」「よろずや・・」他 と作品に登場する舞台の場所などが書かれている。

 ちなみに、用心棒の青江さんが通った私設ハロー・ワークス相模屋さんは、千代田区東神田一丁目あたりで、写真で見ると今はスラックス・スカートの西田衣料店などらしい。「この当たりらしい」と特定した編集者たちの努力はすごいが、なんとなく おかしいです。

●藤沢作品 ハイキングコース

 用心棒日月抄コースなど。又八郎さんの住まいの寿松院をスタートして、最後は 吉良邸跡ヒマはあるが、金と体力のない私でもこのコースなら歩けそう。

●最後に 4頁だけ、「鶴岡御城下絵図」もあります。これは、ま、附録。

これは編集者の企画力とその力作ともいえる書籍だ。藤沢作品の地名を特定し、地図のなかからさがし、作品の要約などをしている。

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藤沢作品と鶴岡周辺地図  (99.11.14 記)(02.10.29 記)

ゆかりの地図  藤沢作品と藤沢さんのゆかりの地を地図に書き込んだもの。藤沢さんをめぐる旅の素敵なガイド地図です。

■『三屋清左衛門残日録』=旅籠町  ■『蝉しぐれ』=龍興寺・三省館(到道館)・湯野浜温泉  ■「花のあと」=常勝寺(常念寺)・湯田川温泉  ■記念文学碑・生誕の地碑 などが書き込まれた洒落たものです。


    ●問い合わせ●
997-0017 鶴岡市 大宝寺余慶44-3
  こぴあ内 鶴岡書店 佐藤氏
     電話0235-23-7041

  1999.10.30発行 100円

【改訂版】出版
http://www.authen-net.com/tsuruokashoten/ 鶴岡書店
全面改訂版 36作品111箇所掲載。
他に、「 藤沢周平文学ゆかりの地図 東京<江戸>本所・深川界隈 」と「 鶴岡文学地図」があります。詳しくは、上記ホームページで。

その作品では、なぜそこを選んだかという解説のようなものが 別冊で欲しいなあ。

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藤沢周平と囲炉裏、そして故郷の味

「藤沢周平ゆかりの地」雑誌『一個人』
 2001.2月号 KK.ベストセラーズ 530円   (01.1.5 記)

雑誌『一個人』  文芸春秋社で藤沢さんの担当編集者であったエッセイスト・阿部達二氏が、鶴岡市に「藤沢周平と囲炉裏、そして故郷の味」を訪ねる。

●鶴岡市湯田川温泉の「七内旅館」「九兵ヱ旅館」のお料理や湯田川の風景などの写真もたくさんあります。


 私が訪鶴したのは夏でした。それに貧乏旅行者でしたから、この雑誌に紹介されているもののうち頂いたものがそう多くはありません。でも、関西では味わうことのできないご馳走をいただきました。「小茄子」と「赤蕪」のお漬け物と「ダダチャ」がとくに思い出の味です。
 季節をかえて再度訪問するのが夢です。
       

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鶴岡・佐藤賢一さん 直木賞受賞 (1999.7.16 記) +(8.21 追記)

1973年夏 『暗殺の年輪』で藤沢さん(46才)が直木賞を受賞して、
26年後の夏 鶴岡在住の佐藤賢一さん(31才)が『王妃の離婚』で同賞作家となる。

 「歴史学は時代ごとの違いを描き出そうとする。でも、どの時代にも変わらない人間を主題にするのが歴史小説。そう気付いたときにやっと筆が進み始めました」

 いま、郷里の山形県鶴岡市に戻っている。・・・スランプの時は同じ鶴岡出身の藤沢周平、丸谷才一両氏の作品に励まされたという。・・・             (99.6.16 朝日ひと欄より)

『オール讀物』99.9月号「直木賞決定発表〜インタビュー」より
藤沢周平さんがいなければ小説はやめていた
■スランプ脱出にどんなことをしていましたか。

■同郷の作家藤沢周平さんの作品なんかもずいぶん読みました。---日課のような感じで。短編は数が多いのですぐにタイトルが出てこないが、長編は『蝉しぐれ』『用心棒日月抄』が面白かった。

---小説って何を書くものかなあと思いながら藤沢作品を読んでいて、ああこれかと思うものがあった。それは、結局人間を描くものなんだなと。人間をまず描かなきゃあいけないし、人間を描くんだけど、人間を裁くのではないと。こっちが善人、こっちが悪人という単純なものではなくて、善人には善人の理由があるし、悪人には悪人の理由がある。---ありのままを描いて、しかしもそれを否定しないのが小説なのかなと、だんだん思うようになったんです。----

この雑誌に直木賞の『王妃の離婚』と桐野夏生『柔らかな頬』が所収されているようにありますが、抄録ですから、ご用心。

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“海坂藩の原風景” (1999.2.7 記)
郷土出版の書籍

冨塚喜吉
『庄内藩城下町 鶴岡の小路-海坂藩の原風景-』

安部久書店(997-0028 鶴岡市山王町8-21 TelFax0235-22-0220) 平成10.9 1800円


『鶴岡の小路』表紙
「鶴ケ岡城下御絵図」
  帯に「作家藤沢周平先生が来訪の折り『海坂藩の主人公たちにこの小路を歩かしてみたい!』と云われた城下町鶴岡の小路。薬湯小路、六軒小路、田元小路など44カ所。写真53葉入り」とある。

 文字通りたくさんの小路が地図・写真つきでそのゆわれなどが書かれている。また、小説「冬ぬくし薬湯小路」とその小説への藤沢さんの直筆原稿も見返しに掲載されている。

 「肩の力の抜けたおもしろい小説でした。時代小説には、こういうやわらかさが必要なのです。武張ってはいけません。しかし肩の力の抜けたといっても、人物造形、場面の描写といったところにはやかりベテランのうまさで、かっての小路研究がさっそく生きましたね。(後略)」と藤沢さん。

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「私とは縁つづきの人」(藤沢周平) (1999.1.27 記)
「敗戦まで」『半生の記』文芸春秋社 より

高山正雄氏ご逝去(鶴岡市新山温泉・金沢屋)


 インターネットで知り合った山形のnoriさんから
高山正雄氏のご逝去を知らせるメールをいただきました。(1998.11.23)

メールには
 高山正雄氏が 1998.11.16日に、享年87才にて安らかに息を引き取られた。 33年間の闘病生活だった。
 ご葬儀は、鶴岡は30cmの積雪で雪混じりの寒い日だった。藤沢さんの親族の方も参列されていた。

そして、noriさん氏は「藤沢周平さんの青年期の一番の理解者だったのかもしれません」      と書かれていました。

高山氏と藤沢氏  お見舞い
高山正雄氏(左)と藤沢さん        お見舞いに訪れた藤沢さん(左・高山邦雄氏)

写真--高山邦雄氏(正雄氏のご令息)所蔵



高山正雄氏と青年時代の藤沢周平さん
 村の高等科を卒業した藤沢さんは、昼は鶴岡印刷で働きながら鶴岡中学の夜間部に進学する。一年後、印刷会社を退職し、生まれた村の役場で勤務することになる。

 「(転職の)手続きの責任を負ったのが役場の助役高山正雄さんだった。高山さんは直接血のつながりはないが私と縁つづきの人である。長姉が働いている丘のむこうの温泉旅館というのは、この高山さんの家のことである。」

 「藤沢さんの妹さんは高山邦雄氏の子守りをしてくださった人で、いろいろお世話にななった私の恩人です」と邦雄氏が話しておられました。

 エッセイでは印刷会社の「私に仕事をあたえ、将来のことまで考えていた中村さん」も登場する。高山さんは、その中村さんと談判して藤沢さんを役場に転職させる顛末が書かれている。

 「最後にあきらめた中村さんが『事情がわかったからやむを得ないが、役場の人たちは呑み助ぞろいで、酔っぱらうと今度は双葉町(遊郭のある町)に繰り出すと聞いている。しかしあれ(私のこと)を連れていくのは遠慮してもらいたい』と言った。」

 それを高山さんは約束する。役場では税務課の書記補。徴税台帳・地租計算・測量などをする。

新山温泉・金沢屋  旧・役場
新山温泉・金沢屋            旧・役場

 「この役場は、昼休みにむかしの庄内藩の藩校致道館ゆかりの「論語抄」を読んだりするところがあった。読書の指導する高山さんは、旧藩主酒井家を中心に経書の講義をうけたり、農事を勉強したりする集まり「松柏会」の幹部で、また陽明学の安岡正篤氏に師事する学究でもあった。」

 酒の席にひっぱり出された藤沢さんは酔ってふらふらと、高山さんと自転車で帰り、高山家にあがりこみ、酔いざましのお茶やお菓子をいただきながら、老荘思想とか吉田松陰・松下村塾の話を聞き、歴史などの本をお借りした、と楽しそうに書かれている。

 高山正雄氏は若き藤沢さんの先生であり、藤沢さんが時代小説を書くことになるきっかけを作られた方かもしれません。
   ご冥福をおいのりもうしあげます。

■新山温泉金沢屋の高山邦雄氏からは、藤沢さんのたくさんの資料も拝見させていただきました■
■ホームページの「藤沢さんをめぐる旅」の「生まれた村」に金沢屋さんの写真がありますのでご覧ください■
■noriさんのホームページ「山形より! noriのページ」は、「私の家庭訪問先・藤沢さん関係」にありますのでご覧ください■

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作家・藤沢周さん
(1998.10.2 記) (99.8.30 写真追加) (00.9藤沢周氏の文章追加)

 芥川賞受賞『ブエノスアイリス午前零時』(河出書房新社) 藤沢周さんのサイン会に出会った。 

 この作品はすでに雑誌『文芸春秋』で持っていたが、お名前の由来についてお聞きしょうと思い、改めて単行本を1000円で購入。            (98.10.2 大阪紀伊国屋書店)

私「あの〜、すみません、お聞きしたことがあります。藤沢周さんのお名前と藤沢周平さんのお名前は何か関係がございますか」

藤沢周さん (サインの手を止め、視線を私に向け)
「藤沢周平さんの本名は小菅留治ともうします。藤沢さんがデビューしたのは私が13才のときです。新聞でお名前を見つけた中学生の私は、藤沢周平の「藤沢周」の活字部分を切り取り、名札にいれました。

 作家として出発するときに、一応仁義をと思い(と照れたような微笑をして)藤沢周平さんにお電話しましたが、呼び出し音が十回鳴ったところであきらめました。とうとうお返事を聞くことなくお亡くなりになりました。
 私の藤沢周とは本名なのです」

藤沢周「名前について」『鎌倉古都だより』(新潟日報事業社)
(資料提供 点訳家 K氏)を引用・編集しました。


 思い返せば、私が中学生の時、パラパラ新聞をめくっていたときに、目に飛び込んできたお名前だった。書籍広告の欄にその方のデビュー作と名前があって、こりゃいいわと鋏みで切り取り、「平」という文字を折り込み、ネームプレートにいれたのだ。

 むろん、教師には怒られるが、人一倍上から物をいわれるのが腹の立つ性格。私はその新聞の切れ端をむしり取られるたびに、「おれの名前らねっかや!」とまた新聞を開いては切り取り、ネームプレートに入れていき、結局最後まで通したような気がする。

 そんなこともあってか、親からもらった大事な名前。仲間たちが「シュウ、シュウ」と気軽に呼んでもくれるいい名前。筆名で小説を書く必然性もない。私は時代小説の文豪がおられることを知りつつも本名でデビューしたわけだが、藤沢周平先生には、本当に一度ごあいさつしたくて、電話をかけたこともある。だが、ご不在で、私は受話器の呼び出し音とともに聞こえる、緊張した自分の激しい鼓動を聞いて電話を置いたのだ。

 いつも思う。これは私にとってメルクマール(指針)なのではないかと。今は足元にも及ばないけれども、「藤沢周平じゃなくて、藤沢周という作家ですか?」といぶかられることから、「藤沢周平ですか、藤沢周ですか?」といわれるくらいの作品をものにしていくのが私の目標ではないのかと。

 確かに、時代小説と純文学とジャンルは違うが、純文学以上に人間の存在を庶民の視点から書き続けた一人の作家を、私はいつも念頭に置いている。

 自分の名前をめぐる文章など僭越でどうかとも思ったが、どうしても書いておきたかった。そして、天上の人に、私のひそかな思いを伝えたかった。

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ご覧の皆さんで情報をお持ちの方は、「残日録」で紹介させていただきたいと思いますので、お教えください。

いつも情報を提供してくださっているKさん・Nさんありがとうございます。これからもよろしくおねがいもうしあげます。


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