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続「珊琥島」物語 |
☆★☆★2009年06月18日付 |
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大船渡港湾のシンボルとなっている国の名勝「珊琥島」。 名勝に指定されてから六十六年。市民ボランティアの「さんご島をきれいにする会」では、今月二十八日(日)に島に渡り、今年も清掃奉仕を行うという。 きれいにする会が結成されたのは、昭和五十三年五月。現在は、珊琥島の大半が市有地となっている公園内で草刈りに汗を流す。当日は午前八時半に赤崎町山口岸壁からボランティアを乗せた船が出発し、大船渡町砂子前でもボランティアを乗せて、島に向かう予定。 島はもろもろの変遷の歴史を刻みながら、美しい景観を保っている。名勝の島内をいまだ見たことがない人は、この清掃奉仕の日が上陸するチャンスでもある。 きれいにする会が発足する以前にも、大船渡、赤崎の両漁協婦人部、市民の奉仕グループなど、島を愛する人々が自主的に島の刈払い作業に励んできた歴史があり、大船渡町の平節夫さんも昭和二十九年ごろまで船で渡り島の草刈り作業をしたという。 平さんによると、珊琥島は今、アサリの宝庫となっているそうだ。島の南側にある一部分が明治二十四、五年ごろまで同家の所有地だったとか。見せられた登記簿にある名称も珊琥島となっていた。 珊琥島の名称の由来については、前回、きれいにする会の記念誌に掲載されている内容を紹介した。それによると、江戸時代の気仙郡絵図(元禄十二年、生江助内の製作)には、「三江嶋」と記されており、「赤崎、大船渡、末崎の三つの浦の会合するところ、三村共通のシンボルとなっていたことがうかがわれる」と書かれている。 ところで、珊琥島は、江戸時代の別の絵図には、「三郷嶋」「三交嶋」とも記されているらしい。 「三江嶋」という名称の由来について、大船渡町の本増寺の木村勝行住職は、三江嶋の三江とは、大船渡町を流れる矢崎川(現在の須崎川)、赤崎町の後の入川、盛川の三つの川のことで、「この三つの川を合わせて、三江嶋という」との説を述べている。 三江島と同じ名称の島が、遣唐使の時代に中国への上陸地だった杭州湾にもあるそうで、木村住職は、「風光明美な島なので、そこから付けられたのでは。おそらく平泉時代では」と推測する。同住職はさらに、大船渡湾に注ぐこの三つの川の河口の三地点の延長線上に、五葉山があり、五葉山神社の山王神社に行きつくという。 日頃市町の五葉山神社の奥山行正宮司によると、山王神社が最初に五葉山の八合目に建てられ、その後、山頂に五葉山神社ができたのだとか。山王神社は、日枝神社の名前でも呼ばれ、修験所であったという。その山王神社のある場所は、地番が「五葉山一番地」となっているそうだ。 珊琥島と五葉山。何かつながりを感じさせるものがある。「珊琥島物語」はどんどんと広がりをみせていくのである。五葉山の山王神社に立ち、珊琥島を眺めたその先には、いったい何が見えるのだろう。(ゆ) |
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インフルと気仙広域連合 |
☆★☆★2009年06月17日付 |
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世界的に流行が拡大している新型インフルエンザ。日本でも海外からの感染者を防ぐ「水際作戦」が行われた。しかし、兵庫県や大阪府などで渡航暦に関係ない高校生らの間で感染が拡大し、沈静化したかと思えば、岩手県内でも感染者が確認された。 WHOは十一日に警戒水準を最高レベルに引き上げ、世界的大流行を宣言した。感染者が広がる一方、最も心配された「強毒性」は否定されつつもある。WHOも重症者、死者が突然急増することは予想していないようだ。 国内では現在、感染者拡大を防ぐ「警戒」と、過剰な意識による混乱を避ける「冷静さ」が、行政機関などから住民に対して同時に発信されている。どちらも必要ではあるが、そのバランスを保つのが難しい。国内の感染者には比較的軽症が多く、早期に快方へ向かうケースが多い中、情報への対応、管理の方が人々の体力を奪っているような印象さえ抱く。 まだ感染者が確認されていない気仙でも、影響が出ている。その一つが、気仙広域連合が毎年三市町の中学二年生を米国にホームステイさせる海外派遣事業を中止とした判断である。 先月二十七日に開かれた広域連合臨時議会の場で明らかになり、まずは一報として記事にすべきと思った。実際、翌日の紙面に掲載されたが、個人的にその後も何か引っかかるものがあった。 日々インフルの情報が押し寄せる中、この判断をどう受け止めるべきか、自分でも正直よく分からない一面はある。しかし、生徒や保護者、行政関係者、そして地域住民がこの判断を深く考えなければならないような気がする。 先月から今月にかけ、海外への修学旅行の自粛などは全国でも少なくない。広域連合による判断が特徴的だったのは、中止と決めた海外派遣の実施時期が来年一月という点である。 今年秋以降に流行し、さらに毒性が強まるとの予測が出ている「第二波」を考慮しての判断だった。海外に派遣される生徒は例年、大船渡市六人、陸前高田市四人、住田町二人の計十二人が選ばれる。選考作業が本格化する前に判断することで、生徒の落胆や混乱を避ける意図もあったようだ。 判断を決めた一番の要因は「生徒たちの安全確保を最優先に考えた」ということに尽きる。世界的な危機を他人事として受け止めず、生徒の安全を第一に考え、早期に判断を固めた姿勢は素直に評価すべきだと思う。 一方で、危機への認識や備えがそこまで達しているのであれば、別な配慮も考えなければならない。これまで積み重ねた実績、生徒が異国で得ることができる経験という財産である。 自らの安全を最優先にすることは、時として他方面に痛みや喪失が生まれる。「中学生を派遣しているサンディエゴ市が、最初に流行したメキシコ国境に近いことも考慮して中止を判断した」と、毎年受け入れてきた現地住民が聞いたら、どのような感情を抱くだろうか。感染が拡大した関西圏では、風評被害や経済損失の大きさが問題になっている。 海外派遣は、各学校で一人選ばれるかどうかの狭き門でもある。異国での経験を望み、学校によっては複数の志願者があり、綿密な選考作業が行われると聞く。 今年度の中学二年生は、来年度の対象にはならない。選ばれる機会を失った現在の生徒たちに、広域連合ができることはあるだろうか。海外派遣に代わる行動は、十年以上続けてきた意義や価値を広域連合自体がどう認識しているのかが表れるようにも思える。 判断自体は誤りではないが、感染への危機を避けただけでは、責任を果たしたとはいえない。生徒の経験の尊さや過去の実績を再確認した上で、新たな行動を示すことができるか。広域連合の今後の姿勢を注視していきたい。(壮) |
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フレームの外側の世界 |
☆★☆★2009年06月16日付 |
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誰もが初めからプロではない。日々経験を積み、技を磨き上げて初心者から熟練者へと成長するのだと自分に言いきかせて、失敗も何のその、日々仕事も何事もまい進しているつもりだ――暴走や迷走している場合が多いのだが。 この欄と同じ紙面で毎日掲載している「週間天気」。隔週で写真を担当しており、今週は三陸町綾里を撮影。迷走しつつも安全運転を心がけ、写真の腕前はいかんせんとも撮影してきた。移りゆく四季や気仙の風景をお届けしたい――と勇んで撮影に臨むも、撃沈することもしばしば。目で見た感動をそのままカメラに収めるのは難しい。 その中でも、特に動物との遭遇時に実力以下の腕前を発揮。出くわす機会が低い上に、幸運に出合っても、「いたっ!撮るぞ、あっ逃げられた…」と地団駄を踏んだこと数知れず。小紙でカモシカなど動物の写真を見るたびに撮影した先輩に尊敬のまなざしを送る。優しい人に動物はなつくと言うから、やはりこれは私の性格が…これ以上は言えません。 そんなある日、チャンス≠ェ巡ってきた。陸前高田市広田町へ撮影に出かけた時のこと。何か季節感あふれる景色はないかと黒崎仙峡まで車を走らせていると、菊が群生している空き地を発見。青空の下で咲き誇る菊の花は色映えした(といっても使用時はモノクロなのだが)。車を路肩に止め、カメラ片手にいざ撮影へとドアを開けた瞬間、道路脇にある竹やぶと目が合った。 もちろん竹やぶに目があるわけがない。凝視すると、トラ模様のネコが一匹、竹やぶの前にあった小さなコンクリートの標柱の上に陣取っていた。なんだこりゃ?こんな小さい柱の上にネコが丸くうずくまっている…よく座れるなと感心しつつもピンとひらめいた。 世間では「たま駅長」なるネコが大人気を博し、県内でもIGRいわて銀河鉄道の「マロン名誉駅長」なるイヌが注目を集めたりしている。ここ気仙でも、公の場(?)にいるこのネコに注目が集まったりはしないだろうか……。 『逃げるな!』と心の中で叫んだくらいにして、じりじりと距離を詰めながらシャッターを何回か切る。お構いなしにくつろぐネコ、かたや『よーしよし。いいよー、いいねぇ!』と心の中で被写体を褒めちぎる似非カメラマン。 よりよい写真が撮れるよう、至近距離で――と足を踏み出したところで、ネコはギャッと叫び竹やぶへ突っこんでいってしまった。その場でデジカメの再生ボタンを押して画像をチェックすると、標柱の手前に生えた雑草が、「陸前高田市」の文字とネコの表情を遮っていた。しくじった! 仕方なく竹やぶに背を向け、当初の予定である菊を撮影して車に乗り込もうとしたところ…同じ場所、同じポーズで同じネコがいた!今度こそ、とカメラを身構えただけでまた逃げられる。 「チャンスは一瞬、ものにできない方が悪いのニャー」 「師匠、あんまりです…」 と実際に言葉を交わしたわけではないのだが、人生の厳しさまでを教わった気分。しかし厳しさの中で分かったのは、師匠(ネコ)はどうやらそこが定位置らしい。 次に師匠が現れた時にグッドポジションで撮影できるよう、周りの草をむしっておいた。よーし、これなら…と、菊の写真を撮りながら待っているとすぐに定位置に戻ってきた。その姿をなんとかカメラに収めることに成功した。 しかし、会社に戻っていそいそと写真を印刷してみると……かわいくない。おかしいな、実物はあんなにかわいく見えたのに。結局、ネコは不採用。替わりに菊の花で天気欄を飾り、その写真は取材メモ帳に貼っておいた。 日向で焦りながら撮影している新米カメラマンの背後にネコ師匠の視線あり。フレームの外では意外なドラマが詰まっている。(夏) |
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空から降ってきたのは? |
☆★☆★2009年06月14日付 |
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うっとうしい梅雨の季節。空から水滴が降ってくるのなら分かるが、大量のオタマジャクシが降ってくるとはただ事ではない。こんな奇々怪々な現象が、今月初めに石川県内で相次いで発生したことが過日報道されていた。 なぜ、オタマジャクシが空から降ってきたのか。このように、空中にはあり得ないものが降ってくる現象は、「ファフロッキーズ現象」と呼ばれ、その原因として「竜巻説」がよくいわれている。 これは、発生した竜巻が川や沼などからオタマジャクシなどを巻き上げ、竜巻が消えると空から落ちてくるというもの。一見、超常現象めいたものを分析すると、どうも“犯人”は突風とかつむじ風というのが“落としどころ”のようだ。 ところが、今回はいささか状況が変わっていた。地元気象台によると、当日は竜巻が起こる気象条件ではなかったという。周囲に人の気配はないことからイタズラ説も考えにくい。鳥の仕業という説もあったが、一度にドサッと百匹ものオタマジャクシが固まって降るなど考えられない。 テレビのワイドショーでも連日、この“珍事”を取り上げていた。同じころ、東京の世田谷上空を飛行していた警視庁のヘリコプターから、アクリル製の窓が落下したというニュースもあったが、こちらはあまり騒動にはならず、オタマジャクシに助けられた?感じだ。 この「オタマ騒動」の一部始終をテレビで見ながら、頭の中ではまったく別のことを考えていた。じつは、二十年ほど前、これと似た怪奇現象が大船渡でも発生していたことを思い起こしていたのだ。 しかも、あの時、空から降ってきたのは、「オタマ」ならぬ「おカネ」。長い記者生活(といってまだ二十三年と四カ月)の中でも、屈指の町ダネとして今も脳裏に焼きついている。 それは、こうだ。 昭和六十三年四月、大船渡市盛町の民家あたりで、空から百円玉から一円玉まで大量の硬貨がバラバラと降ってきた。しめて四千三百円なり。まさにビックリ仰天。近所の人たちは「ねずみ小僧か、はたまた烏天狗の仕業か」と大騒ぎとなった。 何しろ、ほんの短時間ながら、二度にわたって「チャリン」「チャリ〜ン」と民家の屋根や地面、車のバンパーなどに“天の恵み”が降り注いだのである。 子どものイタズラにしてはタチが悪い。 ガマ口をカラスがくわえて落としてしまった」「いや、神社のお賽銭をネコババしたネズミの屋根裏貯金では」など諸説紛々。折しも市議選最中とあって、選挙がらみのバラマキ説まで飛び出した。ただ、硬貨の多くは最近使った形跡のない古びたものばかりだったように記憶している。「カラス説」もまんざらではないように思えた。 通報を受けた大船渡警察署でも「犯罪に関係はないか」「単なる遺失物扱いにしてよいものか」と困惑しきり。あの一件も、すでにお蔵入りとなっているはずだ。 ワイドショーでは、まだ「オタマ事件」を延々とやっている。「総選挙も間近というのに、マスコミで真剣に扱うネタなのか」と眉をひそめるコメンテーターに、「それならもっと科学的に説明してくれ」とムキになるレポーター。ともに大人げない。 後日、バックナンバーから二十一年前の“事件”を読み返してみた。『晴れのち雨お金』(昭和63年4月16日付)のタイトル。取って付けたように関連記事として「管内にあられ降る」と“落ち”までついている。翌日、巷ではこの話題で持ちきりになったことはいうまでもない。 「今だったら、ワイドショーものだったかな」―。犬も歩けば棒に当たる。たまには上を向いて歩こう。「思いがけないものが空から降ってくるかもしれない」というのが、町ダネ記者のモットーなのである。(孝) |
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自宅で「とりっこ・み」 |
☆★☆★2009年06月13日付 |
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今年はすでに愛鳥週間(五月十〜十六日)が過ぎてしまったが、五月は同週間にちなんだニュースを相次いで取材した。 一つ目は、陸前高田市米崎町にある民家の蔵の軒先に、何とスズメが大きなスズメバチの古巣を利用して子育てしているというユニークな話題。時折、巣の真ん中に空けた穴から親スズメが顔を出し、愛嬌を振りまく光景はほのぼのとした雰囲気で、家主は「スズメに警戒されないよう、近くで大きな音をたてないようにしています」と柔和な笑みを浮かべたのが印象的だった。 もう一つは、気仙町の竹やぶの中で伐採作業をしていた人が、抱卵中のウグイスの巣を見つけた。その男性は「まだ卵とはいえ、小さな命が宿っている」とし、巣立ちの時期まで周囲の刈り取り作業を中断しているというネタ。どちらの話も野鳥に対する人の愛情がうかがえる内容で、心温まる思いがした。 そんな折の五月下旬、わが家の庭木に掛けている巣箱からも、昨年に続きシジュウカラのヒナが巣立った。 春先から親鳥が巣箱を何度も出たり入ったりしていたかと思ったら、五月中旬にはヒナの鳴き声が聞こえるようになり、それ以後はわが家の家族もヒナたちの成長を願いながらそっと見守ってきた。昼間には親鳥が巣箱にせっせとエサを運ぶ姿が見受けられ、その様子から、子どもを思う気持ちは野鳥も人も変わりがないことを改めて実感した。 その親鳥は、巣箱に入る際必ず入り口前の小枝にとまってさえずり、ヒナにエサを運んできたことを知らせる。そうすると、食欲旺盛なヒナはねだるかのように大きな声で鳴き始め、親鳥が巣箱を出て行ったとたんに鳴きやむ。 これらの行動をじっくり観察していると、親鳥が巣箱前で鳴く声にヒナが答えるのは、巣箱の中で何も異常がないことを知らせる合図のようにも思え、親鳥が巣箱から出て行ったとたんにヒナが鳴きやむのは、カラスやネコといった外敵から自分たちの身を守るための行動として、生まれながら体内のDNAに組み込まれているかのようである。 五月下旬の朝、わが家の娘二人が小学校へ登校しようとしていた時のこと。庭の巣箱近くの枝で親鳥がけたたましく鳴き始めたかと思ったら、その声につられるようにヒナが次々と巣箱から飛び出し、少々ぎこちない飛び方で近くの森へと向かって行った。その姿を家族で見送りながら、また来年も庭を訪れてくれることを願った。 わが家の庭には巣箱が二つ掛けてあるが、シジュウカラは昨年も今年も同じ巣箱で子育てした。どちらも材料も大きさも同じで、二年前の秋に子どもたちが小友町箱根山の市民の森にある「杉の家はこね」で組み立てたものだ。 家に持ち帰ってさっそく庭木に掛けていたが、しばらく経ってもどちらの巣箱にも野鳥が訪れる気配がなかったことから、「入り口が狭くて入れないのでは」と家人が気を利かせ、一つの巣箱の入り口を大きくした。 ところが、その入り口を大きくした巣箱には、昨年も今年もシジュウカラがすみ着かなかった。その原因は、どうも入り口を大きくしたことで外敵が入りやすくなると思い、親鳥が利用しなかったようだ。 巣箱を設置する季節は秋が適しているという。その理由は冬の間にねぐらとして利用し、春になってそのまま巣として使うことが多く、入り口の方角は西日が当たらないよう北か東向きがいいらしい。 今秋はわが家の庭にもう二つほど巣箱を増やし、シジュウカラの子育てぶりをじっくりと観察する機会を増やしたいと思っている。庭の巣箱に野鳥が訪れる光景はとても心をなごませてくれる。それだけに、自宅での「とりっこ・み」をぜひ多くの方に勧めたい。(鵜) |
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今さら身長も髪も… |
☆★☆★2009年06月12日付 |
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若い方々はご存知ないだろうが、かつて玉川カルテットというお笑い歌謡浪曲グループがテレビによく登場し、こんな定番ギャグでお茶の間をわかせたものだ。 「♪金もいらなきゃ女もいらぬ〜わたしゃも少し背がほしい♪」 この一節を聞いて私も、 「♪おれもも少し背がほしい♪」 と同調し、心の中で歌った。 クレオパトラの鼻ではないが、 「身長があと五a高かったら、おれの人生も変わっていたのではないか」 と若い頃は思ったものだ。 そんな私が少し前にインターネット・ヤフーのニュースで衝撃的≠ネ記事を見つけた。 『身長の高さで収入に差』とその見出しにはあった。南半球はオーストラリアでの話だ。 なんでも、オーストラリア国立大学の研究グループが全国から集めたデータを基に、オーストラリア人の収入に関する調査を行った。その結果、身長が高い男性の年収が多くなる傾向にあることが分かった、というのだ。 調査対象となった男性の平均身長は一七八a。それより五a高い一八三aの男性の年収が日本円で約六万七千円(1・5%)も多かったらしい。 その記事を読み、私には不完全燃焼感だけが残った。調査結果のように平均身長より五a高い人の年収が多かったとして、では十a高い人も多かったのか。十五a高い人はどうなのか。 いくら傾向とはいえ、身長が低くても、身長の高い人より収入の多い人もいるはず。だいたい、身長の高い男性と年収の多さの因果関係について、記事は全く触れていない。 当方にひがみもあるせいか、 「だから、どうなのだ!」 とついつい反論したくなる。 ちなみに女性の場合、身長差は統計的に有意なほどの影響は見られなかったという。 記事にはこちらの心を見透かすように、ご丁寧に、こう付け加えられていた。 「体重は影響なし」 体重と収入が比例するのであればダイエットをやめ、食べたいものを食べたいだけ食べ、体重とともに収入も増やそうと考えた。しかし、世の中、こちらの都合がいいようにはいかない。 さてさて、人に身長を問われれば、見栄を張って二十年も前の公式発表値で答えている。しかし、ただでさえ高くない背丈は年々、少しずつ縮んできた。生活習慣病検診で身長を測られるたびに実感する。要因の一つは、かつて実際の身長をプラス補整してきたボリュームいっぱいの髪が少なくなったためだ。 そんな私の目に、今度はこんなヤフーの記事が飛び込んできた。 『〈抜け毛〉原因にかかわる遺伝子発見』 こちらは日本の国立遺伝学研究所と慶応大学の研究だ。 読むと、抜け毛の原因にかかわる遺伝子をマウスでの実験を通じて見つけた。人も共通の仕組みを持つ可能性が高いという。 「詳しい仕組みが分かれば治療薬開発の糸口になるかもしれない」 とのコメントもあった。 抜け毛に悩む人たちには、まさに朗報。一日も早く治療薬が開発されることを願う。ところで、仮に新薬ができたとして、私のように抜けてしまった人にも、果たして、その薬は効くのだろうか。 年を重ねても豊かな髪の人を見るといささかうらやましい。フサフサフサフサとは言わない。フサフサでいい。いやいや、そんな贅沢も言うまい。せめて、フサぐらいでもいいのに、と思う。 しかし、いくら望んでも今さら身長は伸びないし、髪も増えてはくれない。世の中には願っても叶わぬことがある。ないものねだりをせず、今の自分を受け入れ、身の丈に合わせて地道に生きるしかない。最近目にしたニュースを読み、そんなことを思った。(下) |
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森を見て木を見ず |
☆★☆★2009年06月11日付 |
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先日、住田町の種山ケ原森林公園内をフィールドに開かれた野鳥観察会の取材に行った。同じ日、同じ時間帯に「種山高原山開き」の取材も重なっていたため、一時間も同行できなかったが、この短い時間だけでもホオジロやキセキレイ、カッコウ、キビタキ、ヒガラなどの声や姿を見聞きし、改めて種山の自然の豊かさを感じさせられた。 同町出身で日本野鳥の会会員の立花邦夫さん(金ケ崎町)を講師に、姥石公民館(種山集会センター)から出発して森を歩くルートだったが、一歩森に足を踏み入れると、鳥たちのさえずりをかき消すほどに、「ジー、ジー」というセミの声がけたたましく響いていて、参加者の中には「六月なのにセミの声がすごい」と少々驚いた様子の人もいた。 観察会を主催した同町の自然ガイド、「すみた森の案内人」(佐々木義郎代表)のメンバーによると、この声の主はエゾハルゼミとのことだった。 エゾハルゼミは「蝦夷」の名を冠しながらも北海道だけではなく、全国的に分布。冷涼な低山地のブナなどの広葉樹林を好むといい、五年ともいわれる長い期間を土の中で過ごして成虫になり、二カ月ほどの間で子孫を残し、その命を終える。 種山ではちょうどいまごろ地上に出て、七月にかけて森中に大合唱を響かせるという。 この日は声はすれど姿は見えずで、案内人メンバーの一人に、「鳥もセミも、よっぽど高いところにいるんですね」と聞いてみたところ、「セミはそうでもないよ。抜け殻だったらその辺にいっぱいある」との返事。 そこで、一本の木の幹に近づいて見ると、二、三aほどの半透明の抜け殻がいくつもあった。手にとってみるとふわりと軽く柔らかい。 珍しがって眺めていると、「あっちにもそっちにもある。雨上がりだから一気に出たな」と案内人さん。 それまでは風景にすぎなかった木の一本一本に目を凝らしてみると、確かにたくさんの抜け殻を見つけることができた。 子どものころ好きだった虫取り≠思い出し、観察会の撮影そっちのけでしばし抜け殻探索に夢中になるうち、手の届くところに成虫の姿も発見。 まだ絵本の世界でしか虫を知らない一歳の娘に見せたらどんな顔をするか、捕まえて持ち帰ってみようかとも思ったが、地上に出てからは、はかない命。カメラに姿を収めるにとどめた。 本来の目的も終え、再び案内人さんに、「よく遠くから、あんなに小さい抜け殻が見えますね」と声を掛けると、「抜け殻だけに集中してれば見えるもんだべ」と笑っていた。 細部に気をとられて全体が見えないことの例えとして、「木を見て森を見ず」の言葉があるが、この日の場合は「森を見て木を見ず」だっただろうか。 曲がりなりにもだが、新聞記者という職業についてから、もう十年になろうとしている。 顧みるに最近は、忙しさにかまけて「森を見る」型の取材や記事の頻度が増えたように思う。それにつれ「もう少し詳しく、もう少し丁寧に」の感想やアドバイスを寄せられる回数も増してきたと実感している。 「木を見る」ことの大切さを忘れてはいないか。エゾハルゼミをめぐる何気ないやりとりから、大きな示唆を与えられた気がした一日だった。(弘) |
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地名の飛鳥変化 |
☆★☆★2009年06月10日付 |
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地名には、ポタラカ山が日光山となったように本来の意味が隠れてしまう日光変化≠ェ結構多い。さらに、どうしてそう読むのか、まるで見当がつかないものもある。その代表例が飛鳥だ。 それをみていく前に、地名ではないが、七夕も読みにくい。本来は「七夕の棚機」から転じた言葉。年に一度、織り姫と彦星が出会う七月七日の夕方が、もともとの七夕。 昔から、「六歳の六月六日」という言い伝えがある。お茶やお花などの習い事は、その日から始めるとよく身に付くとされたものだが、織り姫伝説にちなんで、七月七日に女の子たちの手芸上達を願う風習もあった。 今日では男女を問わず、星に願いをかける七夕行事となっている。この七月七日夕(七夕)の機織り(棚機)が、七夕だけでタナバタと呼ばれるようになった。 飛鳥をアスカと読むのも、この変化と同じ。日本の歴史発祥の地とされる飛鳥には、もともと明日香というレッキとした地名がある。山が近くにあって飛ぶ鳥が多く、「飛鳥の明日香」と形容された。やがて飛鳥だけで明日香の地を意味し、ついにはアスカと呼ばれるようになった。これが地名の飛鳥変化≠セ。 春日をカスガと読むのも同じ。もとはハルヒと読み、霞にかかる常套句として用いられた。よく霞のかかる場所が霞処となるが、この「春日の霞処」から春日だけでカスミガ、やがて省略形のカスガとなった。 長谷川や長谷部という地名や苗字がある。この場合、長谷をハセと読ませる。これも、本来は「長い谷の初瀬」から生じたとされる。 初瀬は、泊瀬とも呼ばれていた。川の上流部から見て、小舟が停泊できる最初の場所を意味する。そこからさらに上流は舟の乗り入れは困難となるだけに、初瀬のある場所は長い谷が連なることになり、長谷だけでハツセと呼ばれ、その短縮形からハセの読みが生まれた。 東海林も、ちょっと不思議な地名であり苗字だ。トウカイリンとも、ショウジとも読む。これも「東海林の荘司」から生じたという。 荘司というのは、荘園の管理者のこと。古代の貴族や豪族などは多くの荘園を全国各地に所有した。そして所有者の多くは、荘司という代理人を置いて荘園を管理した。 秋田県などに東海林という地名が多いそうだが、東海林という場所で荘司を務めた人が「東海林の荘司さん」と呼ばれ、やがて東海林だけでショウジと呼ばれるようになった。もちろん、本来の地名のまま東海林をトウカイリンと読ませる人もいるので、全部が全部ショウジさんとなった訳でもないところに複雑さがある。 苗字にはまた、隠し名(ハイドネーム)というテクニックもある。政権の変化に伴う落ち武者など、何かの理由でもとの意味をカモフラージュする手法。小此木が小柴に、梶原を荻原と変化させた例などがそれだ。 小柴が小此木に通じるのはすぐ分かるとして、荻原のどこに梶原の意味が隠れているのだろうか。これは梶の字が尾と木で構成されているから尾木原、すなわちオギワラに転じたというから苗字は難しい。 一事が万事ということわざもあるが、地名や苗字の世界は一字が万字≠ノ変化する。その一字ずつの本来の意味を探ることは、自分の苗字や出身地の意味、さらには人生の意味を考えるということにもつながるのではないだろうか。 「そんな事に何の意味があるの」「自分が生きていたって何の意味もない」などと簡単に言う若者もいるが、それは意味がないのではなく、その意味を知らないだけではないのか。物事の本質を理解しようとする姿勢、そのヒントが、予想もつかないような由来を持つ地名や苗字の探求にもある気がする。(谷) |
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菌をもって金を集める |
☆★☆★2009年06月09日付 |
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「世界ふしぎ発見!」というテレビ番組はためになって面白い。世界にはこんな不思議があるのかとそのつど思うばかりだが、世界だけでなくこの日本にも不思議なことがある。 最初聞いたときは冗談だと思ったが、実話だと聞かされてもなかなか信じられなかった。そうであろう。最高の幸せ者だが裏返せば最大の不幸者となる人物がこの世には存在する(した)という事実はまさに小説より奇なりだからだ。 その人物とは、酒を飲まなくても酔うという特技?の持ち主で、かりにAさんとしておこう。この方は胃袋に食べ物を送ると必ず酔ってくる。別に酒を飲まなくともである。左党にとってこれほど羨ましいことはない。だが、仕事もなく車を運転することもなくただ「小原庄助さん」状態でいられるならではのことである。仕事を持つ身にとってこれは大変厄介なことになる。 常時飲酒運転状態、常時ほろ酔い加減勤務では世間が許さない。案の定、職場でも咎められ、抗弁しても「飲まないのに酔うわけがない」と耳を貸してもらえない。 悩みに悩んだ末病院を訪れたが原因が判らない。だがそこは現代医学。やがて真相が究明された。Aさんの体には酵母菌が「常駐」していたのであった。つまりパラサイト・シングル(独身のすねかじり)ならぬパラサイト(寄生生物)が、Aさんを宿主としてすねかじりをしていたというわけである。 医師がこれを抗生物質で殺し、おかげでAさんは周囲から白い目で見られなくなった。以後は酒を飲まない限り「常時酔い」から解放されることになったからメデタシ、メデタシ。ある意味で羨ましい体験にしても本人にとっては確かに毎日が苦痛だったろう。 この実話を聞かせてくれた北里大学名誉教授の野村節三博士の説明によると、この菌はキャンディーダという酵母菌で、病原菌として悪さもするが、善玉菌であるサッカロミセスという酵母菌同様アルコール発酵させるため、「エサ(食べ物)」が胃袋の中に入ってくるとこれを分解してAさんを酔わせていたのである。以上の例は事実関係以外当方が若干脚色しているが、いずれにしてもこれは希有な例だという。 ここから話は飛んで、博士の専門分野である微生物研究の話題となった。バクテリアの中には有機物だけでなく無機物が好きな「悪食」もあって、たとえば鉄やマンガンを好むバクテリアも存在する。これが鉄を食べると酸化鉄に変える。この特性を生かして産業に利用することを「バクテリア・リーチング」と言い、各種分野に応用の研究が盛んになっている。 たとえば、カビに効く抗生物質を抗ガンや抗ウイルスに使うというのもその一つで、毒性を持つバクテリアを使い副作用なしにカビやガン細胞を殺す、つまり「毒をもって毒を制す」研究が注目されているのは、抗ガン剤の副作用が排除されていない現状を医学界が打開したいためである。この「選択毒性」がやがてガンの治療に一石を投じるのは時間の問題であろうか。 鉄やマンガンを好む菌がある以上、金を好む菌があってもいいはず。これを大量培養し山中に投じて砂金を量産することはできないか、と最後は二人で大笑いになったが、微生物とはかくも「目に見えない」功績を果たしているのである。なお文責は当方にあり。(英) |
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『1Q84』とセルの再評価 |
☆★☆★2009年06月07日付 |
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小説家、エッセイスト、米文学翻訳家として著名な村上春樹さんの新作小説『1Q84』(新潮社、二巻)が、爆発的なヒットになっているという。ネット予約段階で二万部がたちまち売り切れ、店頭に並んだあとも品切れ状態になっているとか。 全国紙やテレビ報道によれば、新潮社は初版で第1巻を二十万部、第2巻を十八万部印刷したが、ネット予約での沸騰≠ヤりから発売直前に急きょ五万部を増刷。四日現在で1巻を五十一万部、2巻も四十五万部まで増刷したが、それでも印刷が追いつかないよう。出版不況の中、業界内外から驚きを持って受け止められている。 村上さんは一九四九年京都生まれ。早大卒業後、ジャズ喫茶経営を経て、七九年の『風の歌を聴け』で文壇にデビュー。米文学の影響を受けた作風と文体で注目を浴び、時代を代表する作家として国内外に幅広い人気を持つ。 主な作品は『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』など。群像新人賞、野間文芸新人賞、谷崎潤一郎賞、読売文学賞、フランツ・カフカ賞など国内外の受賞多数。今年のエルサレム賞授賞式で、アラブ寄りと受け止められる発言でも注目された。ノーベル文学賞の有力候補と目される。 新作は七年ぶりの書き下ろし長編で、予断を持たずに読んでほしいという村上さんの意向や村上ファンの希望を受けた新潮社が、事前の宣伝で内容の一切を明らかにしない作戦≠とったことが、逆に関心を集めたと分析されている。 とういことで、どんな物語なのか知りたくなって新潮社ホームページをみると、「一九四九年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。そして二〇〇九年、『1Q84』は逆の方向から一九八四年を描いた近過去小説である云々」としかない。 「ならば」と、ネット検索すると既に読んだ方による「あらすじ」がいくつか公開されている。それによれば……。が、本欄で紹介すると営業妨害≠ノなりかねないので控えるが、「小説に登場するジョージ・セル指揮、ヤナーチェク作曲『シンフォニエッタ』を収めるCDを、発売元が数千枚を追加生産した」(読売)との記事に接し、同書に一層関心がわいてきた。 というのは、セルは一番贔屓にしてきた指揮者だからだ。このCDは一九六五年にクリーヴランド管弦楽団を率いて録音したCBS(現ソニーミュージックジャパン)盤で、バルトークの管弦楽のための協奏曲(通称・オケコン)とのカップリング。確か最初のLP盤は別の曲と組んでいた。 セルはハンガリー出身の指揮者で、米国演奏旅行中に第二次大戦が勃発したため帰国できず、そのまま永住。カラヤンやバーンスタインらのような知名度はないが、SP時代から第一線で活躍し、団塊世代以上のクラシック音楽、レコードファンには忘れられない音楽家だ。 常任となったクリーヴランド響団員に楽譜に忠実、かつ一糸乱れぬ合奏を要求し、世界トップレベルのオーケストラに育てた。筆者はステレオ初期のLPレコードで存在を知った。贅肉をそぎ落としたような音が魅力的だった。半面、「冷たい」とか「面白味に欠ける」などと評され、一般ウケしなかった。七〇年の大阪万博文化事業で初来日し、モーツァルトらの名演を披露。NHK・FMで放送された音楽は熱く、それまでの評価を覆すものだった。 一方、『シンフォニエッタ』はチェコの全国体育大会ファンファーレを発展させた管弦楽曲で、ヤナーチェクの代表曲。その祝典的な響きを一度聴けば誰もが忘れられまい。『1Q84』ではどんな場面に登場するのか知らないけれど、村上さんも聴いていたのかと思うと、なんだかうれしくなった。セルの再評価にもつながってほしいと願っている。(野) |
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