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2009-06-18

梅田望夫にオープンソースを語るなとガツンと申し上げたい

例えば、インターネット社会にもたらしたインパクトのひとつに「オープンソース」という考え方があります。これは元々ソフトウエア開発に端を発した概念なのですが、いまやそれにとどまらず、世の中をより良い方向に導くと思われるテーマネット上で公開されると、そこに無数の知的資源が集結して課題を次々に克服していくといった可能性を含む、より広い応用範囲での思考や行動原理意味しています。サブカルチャー領域への応用は少しずつ進んでいるのですが、全体として、こうした動きがいまだに日本では根付いていません。政治とか社会変化がテーマとなると特に、陰湿な誹謗・中傷など「揚げ足取り」のような側面の方が前に出てきていて、ウェブポジティブな可能性──何か知的資産が生まれそうな萌芽がネット上に公開されると、そうしたことに強い情熱を持った「志向性の共同体」が自然発生して、そこに「集合知ウィズダム・オブ・クラウズ)」が働き、有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。

イノベーションはなぜ起きたか(上) 「指さない将棋ファン」がとらえた現代将棋の「もっとすごい」可能性著者インタビュー 梅田望夫氏 JBpress(日本ビジネスプレス)

本人の希望によりはしょっていた部分を戻しました。次のやつが、最初に引用したやつね。別に恣意的に間違って解釈させる気なんてないけど。そんなことをしても、もとの文章を見ている人がほとんどなので意味はないから。

最初に引用をはしょったのは、はしょっても意味は変わらないと判断したためです。追記にも書いてあるとおり、意味は余り変わっていないと思いますが。

例えば、インターネット社会にもたらしたインパクトのひとつに「オープンソース」という考え方があります。

全体として、こうした動きがいまだに日本では根付いていません。

何か知的資産が生まれそうな萌芽がネット上に公開されると、そうしたことに強い情熱を持った「志向性の共同体」が自然発生して、そこに「集合知ウィズダム・オブ・クラウズ)」が働き、有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。

イノベーションはなぜ起きたか(上) 「指さない将棋ファン」がとらえた現代将棋の「もっとすごい」可能性著者インタビュー 梅田望夫氏 JBpress(日本ビジネスプレス)

おい望夫(怒っているのであえて呼び捨て)。

お前はオープンソースの何を知っているというのだ。

何を根拠に日本オープンソースを育む土壌がないというのだ。

どれだけの日本人オープンソースにかかわってきたのか本当に知らないなら、オープンソースについては、語らないほうがいい。薄っぺらい言葉は直ぐにぼろが出る。


別に自分見解オープンソースにかかわっている人を代表しているとも思わないが、オープンソース世界は、行動することに価値を認める価値観だと思う。それが多くの人に役に立つならなおさらいい。


望夫よ。今回の翻訳プロジェクトでお前は何をしたというのだ。「この本は誰が何語に翻訳してウェブ上にアップすることも自由」と宣言する以外に。(水面下でいろいろやってたというならごめんよ。)

翻訳プロジェクトに参加している人はすばらしいと思う。実際に行動しているからね。


仮に、水面下でいろいろやってたとしても、わずか三ヶ月でオープンソース本質がつかめるとも思えないし、本質をつかんでいる人なら、「日本オープンソースを育む土壌がない」なんて軽はずみなことはいわないだろう。

オープンソースというのは、日の目を見ない地道な活動がほとんどだ。有名になるプロダクトなんてほんの少数。でも、すべてを含めてオープンソース世界が成り立っている。


知らないことを軽々しく語るなよ。


追記:全文引用に変えましたが、オープンソース的な動きが、日本にはないといっている意味では同じでは。日本Webが残念だという梅田さんの主張は一つの見解だと思いますが、だからといって日本オープンソースが残念というのは、おかしいと思いますよ。

論理的に私がどのように捉えたのかを書いておくと、

「こうした動きがいまだに日本では根付いていません」の「こうした」は、「オープンソース」という考え方をさしていると思います。

また、「有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。」の土壌がないというのは日本をさしていると思います。

つまり、「日本には、オープンソースが根付いていなし、オープンソースを育む土壌がありません。」という風にいわれているのだと思います。

それに対し、「日本にも地道にオープンソース活動を続けている人はいっぱいいるし、それを支える土壌もある」といっているのです。

umedamochioumedamochio 2009/06/18 12:22 引用部分から削除された部分が恣意的に過ぎませんか。
正しく引用すると、僕がソフトウェアの話なんかしていないことがわかるでしょう。
『例えば、インターネットが社会にもたらしたインパクトのひとつに「オープンソース」という考え方があります。これは元々ソフトウエア開発に端を発した概念なのですが、いまやそれにとどまらず、世の中をより良い方向に導くと思われるテーマがネット上で公開されると、そこに無数の知的資源が集結して課題を次々に克服していくといった可能性を含む、より広い応用範囲での思考や行動原理を意味しています。サブカルチャー領域への応用は少しずつ進んでいるのですが、全体として、こうした動きがいまだに日本では根付いていません。政治とか社会変化がテーマとなると特に、陰湿な誹謗・中傷など「揚げ足取り」のような側面の方が前に出てきていて、ウェブのポジティブな可能性──何か知的資産が生まれそうな萌芽がネット上に公開されると、そうしたことに強い情熱を持った「志向性の共同体」が自然発生して、そこに「集合知(ウィズダム・オブ・クラウズ)」が働き、有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。』
引用する場合は少なくとも(中略)と入れないと、正確な議論になりません。されは最低限のルールだと思いますよ。

higayasuohigayasuo 2009/06/18 12:44 引用をはしょっている部分は、誤解を招く可能性も出て来ますね。申し訳ありません。はしょらないようにしました。
そしてそれに対する意見を追記に書きました。

umedamochioumedamochio 2009/06/18 12:46 最初に、どれほど恣意的な引用をしたかが、「本人の希望により全文引用に変えました。」なんて言い方で、もうわからなくなって(隠ぺいされて)しまいましたね。

umedamochioumedamochio 2009/06/18 12:52 このエントリー自身が、恣意的な引用をするという意志(「はしょった」というのとは本質的に全く違いますよ)から始まっているのは、明白だと思いますよ。ルール違反だと思うなあ。あとからどれほど文章を改ざんしても。

higayasuohigayasuo 2009/06/18 13:16 何かを意図的に誤解させようとして、引用をはしょったということはありませんよ。そんなことをしても、もとの文章を見ている人がほとんどなので意味はないからです。
最初に引用をはしょったのは、はしょっても意味は変わらないと判断したためです。
追記にも書いてあるとおり、意味は余り変わっていないと思いますが。
さらにいうと、引用部分と追記以外は何も変えてませんよ。何を持って改ざんといっているのかわかりませんね。
それほどいうなら、元の引用も載せておきます。

BlueくんBlueくん 2009/06/18 13:24 これを読むと、やっぱりもっちーは「オープンソース」と「バザール方式」の混同があるように見えるなー。
オープンソースといいながらソフトウェアが対象外、とか。
読んでないなら、とりあえず伽藍とバザールを読んでみるといいよ。

なまえなまえ 2009/06/18 14:09 umedamochioは、なにをどうして欲しいかを明確にせず、ルール違反だとか訴えて、結局議論する姿勢は見せないのね。それだけでも、どちらの発言に自信があるかは明白だと思いますよ。

tetsumatetsuma 2009/06/18 15:12 よーく読むと、梅田さんはソフトウエア業界とそれ以外では、オープンソース的な動きがあまり無いと言ってます。

でも、二、三回読まないと文章が分かりにくい。長いプログラムに似てます。。。。

もう少し、シンプルで分かりやすい表現がいいのではないかと思いました。

あと、知的活動の範疇ではないかもしれませんが、冤罪事件の弁護団など、手弁当で活動している方は沢山いらっしゃいますよ。

tetsuma tetsuma 2009/06/18 15:13 ×ソフトウエア業界とそれ以外では、オープンソース的な動きがあまり無いと言ってます。

○ソフトウエア業界以外では、オープンソース的な動きがあまり無いと言ってます。

むむーむむー 2009/06/18 15:39 誤読による曲解を指摘するならまだしも、指摘に対して真摯に対応(=はしょらなくした)を隠蔽だの、改竄だの...
higayasuoに「恣意的な引用をするという意志」があるように誤読してるっぽいumedamochioが、いちゃもんつけてるだけのように読める...

文字だけでの意思疎通は難しいってのがここでも証明されてるってわけですかね

mojiyamamojiyama 2009/06/18 15:47 「ソフトウェアの世界にはオープンソースって凄いものがあって
他の世界でも見習い・真似されるべきなのにまだ全然根付いてない」って
モッチーは言ってるように読めるけどなぁ。
自分の守備範囲に過敏に反応する気持ちは分かるけど、
頭茹で上がった状態じゃまともな議論にはならないと思いますよ。

外から見た分には、モッチーもひがさんも面白くて応援したくなることしていて、
思想も発言も行動もぶつかり合うような内容じゃないと思うんだけどなぁ…。
それとも足の引っ張り合いしてる方が将棋やオープンソースに関わってるより面白いんでしょうか?

kito_yurianusukito_yurianusu 2009/06/18 16:07 飛び入りで申し訳ないですが、1つ。
今回の問題点は、誤読・誤解ではないですか??
具体的には、
A オープンソース概念が育っていない。と解釈。

B オープンソースの概念に見られるような、みんなでネット上で共同で、答えに向けて取り組む姿勢が育ってない。と主張。

例えば、ミステリで犯人を捜すときに、この描写から【凶器は、ナイフだ】とかの誰かの仮説を、オープンに(皆が利用し合って)犯人を見つけるために話し合うことなどですかね。
一人ですべて考えるのでなく、皆で誰かのいいとこ取りして答えに辿り着こうとする姿勢というか。

Bさんが、Aさんに対して、オープンソース概念がない!!とは主張してない。と再主張(返信)する際に、『引用を恣意的に行ったために、あなたが誤読したのだ。』と回りくどく誤解を指摘したせいでこじれたのかと。

的はずれな指摘かもしれませんが
対立の解決になれば。

kito_yurianusukito_yurianusu 2009/06/18 16:32 念のため、2つ補足です。

私が使った、オープンソース概念とは、一般的なオープンソースという語と同じです。ソースを共有・公開することですね。

2つめは、厳密に誤読の原因を指摘すると
“こうした動き”がいまだに日本では根付いていません。の“こうした”の指す文章の範囲の誤解ですね。

『世の中をより良い方向〜〜〜応用範囲での思考や行動原理』までかと。こうした=オープンソース と読んだ点で、お互いがずれたのかと。

kzgskzgs 2009/06/18 16:32 mojiyamaさん,kito_yarianusuさんに同意ですね

otsuneotsune 2009/06/18 16:34 参考文献
http://kazuhiko.tdiary.net/20090519.html#p01
http://enbug.tdiary.net/20080315.html#p02

kito_yurianusukito_yurianusu 2009/06/18 16:51 秀逸な指し手ですね。otsuneさん。

引用ではない、発言の全ての記事(3ページ)を最初から最後まで読めば、すぐ上のkito_yurianusuの拙い説明なんかよりも、梅田さんの真意がわかりますね。それでは。

なまえなまえ 2009/06/18 17:11 >umedamochio 2009/06/18 12:22
>引用部分から削除された部分が恣意的に過ぎませんか。

しい‐てき【恣意的】
1 論理的に必然性がないさま。
2 自分の好みやそのときの思い付きで行動するさま。

[株式会社岩波書店 広辞苑第六版]


いと‐てき【意図的】
目的や思惑を持って行動するさま。

[株式会社岩波書店 広辞苑第六版]

digdig 2009/06/18 17:19 umedamochioのコメントにかなりかなーりがっかり。なんか本性が出てきたような。
IT革命、WEB2.0、そして将棋、なんかお題目見つけて大袈裟な論陣を張って、人をあおるだけあおって結果は知りませーんといういわゆる典型的なコンサルですな。
勿論、何をしようと勝手ですが、日本のネット界から退場して欲しいです。

hayahaya 2009/06/18 17:27 梅田さんに反論があるとしても、なぜそのような失礼な表現で書かなければならないのですか。

生産的な議論にならないのは、まず第一に、けんか腰の中学生のような、ひがやすをさんの幼稚な態度によるものだと思います。

良い大人に言うことではないかもしれませんが、まずはその失礼な言い方を梅田さんに謝ったほうがいいのではないですか。

haTshhaTsh 2009/06/18 17:38 ここで答えている梅田さんは、本物なんだろうか?
twitterには@umedamochio というニセ者もいるし(本物は@mochioumeda)
反論するにしても感情的で言いたい事言って退場というのは違和感がある。
(ここに書いてある事を言いたくて書き込んだのかという思いも含めて)

と、思ったのでtwitterでご本人ですか?と今日、聞いてみました。
もしご本人でなければ、お返事をいただけるか、ここに書き込みがあるかと思います

shiroshiro 2009/06/18 17:48 「Blueくん」さんに同意なのですが、ちゃんと反応を読んでいてかつ今でも「オープンソース」という言葉を使い続けているということは、梅田氏は「オープンソース」の原義も「バザールモデル」という言葉も知っていながら何らかの信念をもって後者を「オープンソース的」と呼び続けているように思えます。オープンソース関係者にとっては困ったことではありますが、梅田氏本人に改める気がないのなら、読者のために地道に本来の意味を宣伝してゆくしか無いような気がします。

ところで本の場合、スクリプト言語と同様、利用者の手元には既に人間可読な「ソース」が届いているので(組版情報などの「ソース」は別として)、古来から全ての本はソースが公開されているようなものじゃないでしょうかね。そして本を読んだ読者が内容について自由に引用したり、批評したり、カウンターとなる本を著すといったことが本来の意味での「オープンソース的」な動きと言えるんじゃないかと (その意味で、「オープンソース的」な運動というのは言論の世界ではもともとあった話)。

インターネットが可能にしたのは地理的その他の制約をうけずにみんながわっと公開された問題に取り組むってことですが、それはやっぱり「バザールモデル」と呼ぶしかないように思えますね。

naoyanaoya 2009/06/18 18:19 > 主に id:shiro さん

これは以前にかずひこさんが梅田さんを批判されたときに目にした議論なのですが、バザールモデルというのは一般的に見ても馴染みの薄い言葉なので梅田さんは敢えてオープンソースと呼ぶようにしているのではないか、という話がありました。

"オープンソース関係者にとっては困ったこと" とのことですが、私の見る範囲では、バザールモデルの解釈のために「オープンソース的」という表現を使うことにはあまり違和感を感じないというオープンソース開発者もそれなりに見かけました。ですから、オープンソースソフトウェア関係者全てが、バザールモデルをオープンソース的と表現されることに抵抗があるというわけではないのだと思います。

私はオープンソースの世界にはそれほど深くコミットできてはいませんが、梅田さんとつきあいがあるということを抜いても、バザールモデルをオープンソース的と表現されることにはあまり違和感はありません。というよりは、その方がより多くの方に興味のきっかけを持っていただけるかなと思いますし、コミュニティ的にも一番届いて欲しいであろうエスタブリッシュメントな方に知っていただくためには、まずは興味を持っていただくという意味で、より適切な表現ではないか、と思います。梅田さんはそういう所も狙って、オープンソースという言葉を使い続けているのではないでしょうか。

今回のインタビューをよく読むと、オープンソースの分野のうちソフトウェアに関する分野の日本の現状に関しては、特に何も言及していないことが分かります。サブカルや、政治・社会分野のみに関しての言及です。ソフトウェアに関する何かしらの現状分析を避けたのは、以前に同様の批判があった事に対する配慮なんだろうと思います。そういった背景があるので、ひがさんの最初の引用ではソフトウェア分野に関する言及であると誤解を招く可能性があると反論しているのでしょう。

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