1960年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業。東京大学大学院情報科学科修士課程修了。94年からシリコンバレー在住。97年にコンサルティンング会社、ミューズ・アソシエイツを創業。2005年より株式会社はてな取締役。著書に『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』『シリコンバレー精神』『ウェブ時代5つの定理』などがある。趣味は将棋鑑賞、大リーグ野球観戦。ブログは「My Life Between Silicon Valley and Japan」
サブカルチャー領域への応用は少しずつ進んでいるのですが、全体として、こうした動きがいまだに日本では根付いていません。政治とか社会変化がテーマとなると特に、陰湿な誹謗・中傷など「揚げ足取り」のような側面の方が前に出てきていて、ウェブのポジティブな可能性──何か知的資産が生まれそうな萌芽がネット上に公開されると、そうしたことに強い情熱を持った「志向性の共同体」が自然発生して、そこに「集合知(ウィズダム・オブ・クラウズ)」が働き、有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。そんな苛立ちもあって、何か自分が実験台になってやれないだろうかと考えていたのですが、なかなかそういういい機会が巡ってきませんでした。
ところが、今度この本を書いて、ハタと思いました。まず、この本は経営コンサルタントである自分の本業とはまったく関係がない。これは自分が愛してやまない将棋の世界に何かしらの貢献をしたいという純粋な動機からのみ書いたものである。自分自身のビジネスや私的な利益とは無縁な、まさに「無私の情熱」の産物である。次に、将棋人口は日本に偏っているわけですから、この本を営利目的で翻訳して海外で出版しようとする人はまず現れないだろう。けれども、将棋という素晴らしい日本文化をグローバルに伝えることには夢も意義もあるから、「よし、ひとつ手伝ってみるか」とある種の人々に思わせる力はあるんじゃないか。さらに言語の翻訳となれば参加のためのスキルがきわめて明確である、等々。
つまり、これまで自分がずっと考えてきた「オープンソース的協力」のための基本的な成立要件がここにはすべて揃っている、ということに気づいたわけです。ただ、成算があったわけではありません。英訳については半年か1年後に何か少しはできているといいな、それ以外の言語は多分無理だろうな、というのが正直な気持ちでした。ですから、その後に起きたことは驚き以外の何ものでもありません。人生は非常に面白いと思っています。
「僕たちは日本のウェブを明るくしたいんです」
河野 翻訳プロジェクトに参加した人たちは、実際「見ず知らず」の人たちばかりだったのですか?
梅田 ふた通りの人がいます。まず将棋の世界を広めたいという活動をしてきた人たちで、彼らとはまったく面識がありません。もうひとつは、『ウェブ進化論』以来、僕の著作を読んできてくれた若い人たちで、彼らには僕の始めようとしていることが以心伝心で伝わったようです。一緒にやってみようと即座に反応してくれました。中にはシリコンバレーで1度会った人もいますが、基本的には知らない人たちです。
僕から「やってくれないか」といった働きかけは一切しませんでした。オープンソースで大切なのは、人に何かをさせるという強制のメカニズムがないところです。自発性だけで物事が動くという点が肝心なので、友達にも誰にも助力は求めませんでした。ですから、このプロジェクトはウェブ上で告知が行われ、それに自由意志でコミットした人たちが発展させてくれたものです。若い人たちからこういう動きが生まれたことは嬉しい限りです。
河野 「みんなで丸ごと英訳」プロジェクトのリーダーである21歳の青年が「限界とそして希望」という文章を書いていますね。自分たちが抱いている思いを要約すれば、「WE WANT TO BRIGHTEN THE NOW GLOOMY JAPANESE WEB」なんだと*4。「僕たちは日本のウェブを明るくしたいんです。揚げ足取りのネガティブなウェブから高め合いのポジティブなウェブへ。ここまで当プロジェクトがやってきたのは、ポジティブな風を少しでも吹き込めるようにするための土台作りです」と。
梅田 最近、こんなに感動した文章はありませんでした。翻訳の細部の質なんかよりもっと大切なことがあるはずだという、新しい価値観で行動した彼らを心から賞賛したいと思います。
*4 http:⁄⁄d.hatena.ne.jp⁄shotayakushiji⁄20090507⁄1241710009
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