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カルチャー

【宇野常寛×荻上チキ】


「生きた"小さなメディア"を作れ」若手評論家が語る「新聞・雑誌の死後」(前編)

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若手批評家として、ひっぱりっだこの二氏。

 近頃、30歳前後の若手批評家たちがメディアへ登場する機会が増えた。本誌連載陣でもある宇野常寛氏と、『ウェブ炎上』(ちくま新書)などの著書を持つ荻上チキ氏は、その代表格ともいえる2人である。

 彼らには、いくつかの共通項がある。ひとつには、それぞれインディペンデント・メディアを自ら運営していること。宇野氏は自身が主宰する企画ユニット「第二次惑星開発委員会」からミニコミ誌「PLANETS」を発行しているし、荻上氏は人文系ニュースサイト「トラカレ!」を運営するほか、批評グループ「シノドス」が発行するメールマガジン「αシノドス」の監修も行っている。形態こそ雑誌とウェブで異なるが、どちらもメディア関係者をはじめ、広く注目を集めている。

 そしてもうひとつは、本誌創刊編集長で4月に『新世紀メディア論──新聞・雑誌が死ぬ前に』(バジリコ/記事参照)を上梓した小林弘人氏(通称こばへん)の薫陶を深く受けていることだ。同書のタイトルにあるように、新聞・雑誌メディアが死に体となりつつある今、その向こうにあるべき"メディアのこれから"とは一体どのようなものなのか? 既存のメディアは本当にこのまま死に至るのか? 若手評論家2人が、同書に鋭く応答する!

宇野(以下、宇) 僕がやっている「PLANETS」という雑誌は、初期「サイゾー」の影響をかなり受けているんですよ。99年創刊当時の「サイゾー」は、総合誌的なものがどんどん通用しなくなっていく中で、「この方向でやれば、辛うじて生き残れる」というところをすごくうまく突いていた。雑誌のメタ度を上げることと、男性誌に偽装することで、ギリギリ総合誌的な知性を保ってたんですね。でも、そのやり方は2000年代後半の今ではもう通用しないだろう、と自分でメディアを始めるときに考えたんです。「PLAN ETS」は言ってみれば、これから業界人になりたい学生さんと、ネタに困っている現役編集者やプロデューサーに読ませるつもりで作っている。部数は少なくても、それを通じて、間接的にベタなメディアをジャックしていく、というのが基本的な戦略です。総合誌的な知性というのは、おそらくそういう形でしか残れないと思うから。今回、『新世紀メディア論』を読んで、やっぱりこばへんの影響は大きいとあらためて思ったんだけど、チキさんはどう?

荻上(以下、荻)  『新世紀メディア論』で重要なメッセージは、「チャンネルビジネスからコンテンツビジネスへ」ということになるかな。僕は「αシノドス」というメールマガジンの監修をやっていて、この5月には「シノドス」で『日本を変える「知」』(光文社+シノドスリーディング)という書籍を出したんだけど、これを作るに当たっても、こばへんがずっと掲げてきたメソッドを自分なりに投入したつもり。「ウェブはウェブだけ、紙は紙だけ」ではなく、テレビも雑誌もネットも"パブリッシュ"と大きくくくったうえで、コンテンツを効果的につなげていこう、という発想ですね。こばへんのそうしたスタンスは、ずっとリスペクトしています。

 さっき「総合誌的な知性が成立できなくなっている」と言ったけれど、「代わりにできることがいっぱいあるんだから、それをやっていけばいい」って、ほとんどそれだけをこの本で小林さんは延々と書いているんだよね。僕が「PLANETS」をやっているのも、今の自分のリソースでは、メタメディアとして総合カルチャー誌のミニコミを作るのがいいだろうというのが理由だし。

 今、雑誌がどんどんつぶれていく理由として、報道への不審とか論壇の崩壊とかいろいろ言われているけれど、やっぱり「不況が長引いているから」という身もふたもない話が大きいですよね。特に評論や文芸の多くは、それ自体でマネタイズできなくてもそれなりに回っていけるという環境がなければ成立しにくくて、不況時ということで真っ先に切られてる。そこにたまたまネットという技術が現れたから、飛びついて言論活動をやろうという人たちが出てきた。だけどそれも、「積極的な選択」を宣言しつつも、実際は「消極的な選択」な部分がある。「これからはウェブの時代だ」とかって話ではなくて、こういった経済状況下で生き残るため、そうした技術をオルタナティブとして声高に掲げなければならなかった。

 要するに、物語化が必要だったわけだよね。ホリエモンみたいな団塊ジュニア世代のネオリベ自己啓発系が好む「ネットがマスメディアを打ち倒す」っていう図式に代表されるような、デジタル革命幻想が。アジテーションとして意図的に物語化を行うならまだしも、彼らはそれを、けっこう本気で信じてしまっている。比喩的に言えば、彼らはロックを信じてた最後の世代(笑)。敵か味方か、の二分法なんだよね。

 安易な「マスゴミ批判」やら「デジタルネイティブ礼賛」やらね。

 そういう革命言説を安易に信じた人間は、いま経済的にもお寒くなっているわけでしょう。デジタル革命的な発想が好きなのはかまわないけど、実際にその領域で実績を残した人間は、革命言説に乗らず、もうちょっと冷静にウェブを受容した人たちだということは銘記しておきたいですね。

ロスジェネ+団塊左翼 復刊「朝ジャー」が売れたワケ

 雑誌カルチャーについてさらに言及すると、かつては名物編集者といわれるような人が存在しましたよね。で、2000年代のそれは誰かっていうと、「新潮45」(新潮社)の"オバはん編集長"中瀬ゆかりは別格として、「ファウスト」(講談社)の太田克史、「小悪魔ageha」(インフォレスト)の中條寿子、「LEON」(主婦と生活社)の岸田一郎だと思う。この人たちは、最初から「総合誌的知性」を放棄して基本的に「大きなマイノリティをオルグする」ということをやったわけ。僕も出た「朝日ジャーナル」(朝日新聞出版)が、5万部も売れてるらしいけど(笑)、これが言論・思想の分野になると、団塊世代のぬるい左翼論壇がその「大きなマイノリティ」になるってことだけだと思うんですよ。別に「総合誌」的な批評の場が復活したわけじゃない。

 でもまぁ、わりとおもしろく読めたよ。

 ありがとう(笑)。でも、あの雑誌は完璧にロスジェネシフトなわけで、「ゼロ年代の批評」の実態は、加藤典洋や内田樹みたいな団塊左翼のおっさんとロスジェネ論壇が対立して「やれやれ、最近の若い者は」、みたいな構図でしょ。それでその横に、宮台真司さんや東浩紀さんのような若者向け評論の人がいて、それに影響を受けた僕のような若いやつらも出てきた、くらいに思われている。僕らは次の10年でこれをひっくり返さないといけない。

  それと、もう一つ考えておきたいのが、テレビリアリティの問題。「テレビが死んだ」ってよく聞くけど、広告媒体としてガタガタだというのはその通り。でも正確には、死んだというよりも、受け取り方が変わっただけだと思う。求心力が低下した反面、回路が増えたと解釈するべきだよね

 モニターが増えただけですね。ただ、多くの人たちが言うほどには、影響力は落ちていないでしょう。むしろ「終わった、終わった」と根拠薄のままに見くびることで、現実にはそれなりに機能してしまっているメディアを放置してしまったり、まだまだ脆弱な対抗メディアを過大評価しすぎるほうがまずいと思うけど。

 デマ研究家のチキさんらしい視点ですね(笑)。
(後編へ続く/構成=河村信/「サイゾー」7月号より)

宇野常寛(うの・つねひろ)
1978年生まれ。編集者、評論家。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)がある。本誌今月号(2009年7月号)より、新連載「現代用語の『応用』知識」がスタート。

荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年生まれ。編集者、評論家。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)『12歳からのインターネット』(ミシマ社)など。現在、「SPA!」(扶桑社)にて「荻上チキのトラバルメーカー」を隔週連載中。


新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に


ご一読あれ。


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2009.06.17 水   はてなブックマーク BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク livedoor クリップ みんトピに投稿 newsing it! この記事をChoix! 友達に知らせる