無愛想でちょっとスケベで筋の通った男…
<三沢光晴選手死去…ファン追悼メッセージ=38>
◆ノア旗揚げ時のタイトル、「自由…そして信念」。そう、あなたは信念の人でした。プロレスを誇りにしていた人でした。だからみんながついていき、僕もついていきました。なのに、こんな形で終わってしまうなんて。悲しいとか、辛いとかという言葉だけでは言い表せません。一日たった今でも信じがたい現実なのですが、どうぞ安らかに-。そして、本当にありがとうございました。(男性30代)
◆あなたのファンでよかったです。そしてプロレスファンでよかったです。この悲しみの分だけNOAHの選手達が今以上に益々頑張ってくれると信じてます。だからいつまでも、プロレス界を見守っていて下さいね。本当にお疲れ様でした。そして多くの夢と感動をありがとうございました。FOREVER…。初代GHCヘビー級チャンピオン 三沢光晴 (男性40代)
◆三沢さん今までありがとうぎざいました。(男性40代)
◆たぶん、日本最強です。(男性30代)
◆人の運命とは本当にわからない、これだけの影響力のある人がこうも早く亡くなるとは。無愛想に見えても実はちょっとスケベで、人望が厚く、筋の通った男、マンガに出てくるヒーローみないに格好良く本当に男として尊敬していました。ただただ残念ですが、今までお疲れ様でした。そして一人の男としての生き様を見せてもらい有難うございました。(男性30代)
◆まだ学生の頃、年に数回しかなかった全日本の札幌興行。すごく楽しみでした。今まで、多くの感動を頂けた事、そしてアナタと同じ時代に生きられた事、とても感謝しています。ありがとうございました。(男性30代)
◆Noahを旗揚げした当初からファンになりました。三沢さんが社長として築き上げたNoahという団体はプロレスファンには欠かせない団体です。これから三沢社長の試合が見れないのは残念ですが三沢社長が残したNoahという団体、数々の名試合はファンに多大なる影響を与えたはずです。ありがとう。(男性20代)
◆あなたの築いたプロレスは、三沢さんは、間違いなく私の青春でありました。ただただ御冥福をお祈り申し上げます。(男性20代)
◆小学生の頃に三沢対ジャンボ鶴田に魅せられて以来の三沢ファンです。当時のプロレスの良さを今に残しつつ、今の時代のプロレスを表現しようとする三沢さんのノアが大好きです。王者の強さ、受け身の美学、意志の強さ、とにかくプロレス=三沢光晴です。今はとにかくこの現実を受け入れられません。信じられません。これからも三沢さんの残したノアを応援し続けます。心よりご冥福をお祈り申し上げます。それから斎藤選手、頑張ってください。プロとして。応援してます。(男性30代)
◆正直、実感がわきません。プロレスラーってみんなエネルギーの塊のような人たちばかりだから、「亡くなられた」といわれてもピンときません。馬場さんのときも、橋本さんのときもそうでした。とりわけ三沢さんは、やられてもやられても立ち上がってくる人でしたから。ハンセンにも、ゴディにも、鶴田さんにも、全日四天王にも、秋山さんにも、高山さんにも、どれだけやられても立ち上がって、見ている僕らに「なんでそこまで…」という驚きと感動を与えてくれた人でしたから。だから余計に実感が伴わないのでしょうか。馬場さんが亡くなられたのを実感したのは、馬場さんのいない全日の試合会場の売店を見たときでした。今度は三沢さんのいないノアの会場でそれを実感することになるのでしょうか。ともあれ、いままですばらしい試合をたくさん見せていただいて、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(男性40代)
◆元々全日が好きでノアを見てましたが、三沢社長の活躍と手腕に感動していました。特に小橋選手との伝説的名勝負の数々は忘れません。本当に残念ですが、最も記憶に残るレスラーとして一生忘れません。ありがとうございます。(男性30代)
◆J鶴田、天竜、川田、ハンセン、ウィリアムズ、ジョニーエース、ベイダー…。みんな強かったが、三沢選手が誰よりも強かった!(男性40代)
◆2003年の3月1日の対小橋戦を観てプロレスファンになりました。あなたがいなければプロレスファンにならなかったと思います。数々の感動をありがとう。(男性10代)
◆私がプロレスが好きになったのは、三沢選手がジャンボ鶴田選手が初勝利を挙げてからです。タイガーマスクという仮面から素顔の三沢光晴として、エースのジャンボ鶴田選手を倒し、世代交代を告げた時からでした。その後は、川田利明戦、スタンハンセン戦、小橋建太戦、数々の名勝負築いたのは言うまでもありません。激しく、楽しいプロレスを体現し、私を含め多くのファンを虜にした三沢選手は誰よりどの選手よりもすばらしい方であると痛感しました。もうゆっくり体を休めて次世代の選手の方々、プロレス界を見守ってあげてください。なんかこんなこと言うと「見守ると言ってもね~」とあしらわれそうですが、どうか安らかに眠ってください。勇気をくださってどうもありがとうございました。(男性30代)
◆三沢さんお疲れさまでした。今もこの事実を受け入れる事は出来ません。レスラーと社長の両立とTVやその他問題で多大なる苦労とストレスを溜めていたと思います。どうか天国では安らかにお眠りください。そして天国では先に行かれた先輩方と素晴らしい試合をまたしてください。地上のノアとプロレス界は我々ファンが一生懸命に守って行きます、どうか天国で見守ってください。(男性20代)
◆10年以上前ですが、全日が京都に来た時に観に行きましたが、メインの試合を終えて花道を引き揚げる三沢選手の肩に触れた時の感触が今でも忘れられません。柔らかくて、それでいて、とても頑丈で…鍛え上げられたプロの肉体でした。選ばれた人にしかできないのがプロレスなのだと、あの時私に身をもって教えてくれたような気がします。本当に、お疲れ様でした。(男性30代)
◆私は全日・ノア時代含め小橋選手のファンで、その小橋選手に立ちはだかる三沢選手には、いつも悔しい思いをさせられてきました。アンチ三沢だったのかもしれません。でも、なぜでしょう。そんな三沢選手がいなくなって、こんなに切ない想いになるのは。今まで素晴らしい試合を見せてくださってありがとうございました。天国でも、大好きなプロレスをやり続けてください。(男性20代)
◆信じられない。こんなに受け入れがたい現実ってあるだろうか。僕がプロレスを好きになったのは三沢さんがいたからです。浪人時代に三沢さんの試合ビデオを見てはげまされたのを思い出します。鶴田さんに何度も投げ飛ばされる姿をみて、ベイダーに勝った姿をみて、三沢さんは僕のヒーローになりました。「本当に強い男」そんな目標がいなくなったのか? やっぱりまだ信じられません。(男性20代)
◆ずっとずっとファンでした。何度も何度も立ち上がる三沢選手の姿に、いつも感動していました。たくさんの勇気をもらいました。本当にありがとうございます。しかし、本当に残念でなりません。心より、冥福をお祈りいたします。(男性30代)
◆なぜ? という思いでいっぱいです。ただ、ただ悲しい。(男性30代)
◆自分が就職して一人暮らしを始めた頃、ちょうど虎の仮面を外して鶴田やハンセンの分厚い壁に果敢に挑む姿を偶然テレビで見て、いつかその壁を乗り越えることを期待しながら三沢のプロレスに魅せられていった。遂に全日の頂点に立って以後の四天王時代、何処までも身を削り合う姿に涙し、しかしその中で「自分達は本当にここまで期待して良いのか?」と言う自己疑念を抱くぐらい、技の応酬は高度になっていった。だから、こんな日が来るかもしれない、行き着く先はそこしかないのかもしれない、そんな不安はファンならいつも引き摺っていた。でも、その一方で、三沢なら奇跡を見せてくれるという期待感は圧倒的だった。多分、三沢選手自身が一番悔やんでると思うが、まずはお疲れ様だ。今まで奇跡を見せてくれてありがとう。本当にありがとう。(男性40代)
[2009年6月17日2時59分]
関連ニュース
注目
※ニュースの日記を書く方法はこちらで紹介しています。
このニュースには全0件の日記があります。
キーワード:
- 三沢光晴
PR
- 新日派だが三沢という価値を尊敬していた [17日03:08]
- 三沢選手の夢と希望が詰まったノア継承を [17日03:07]
- 礼節を欠く者は絶対リングに上げなかった [17日03:06]
- 三沢さんと同じ時代に生まれてよかった [17日03:05]
- 博多スターレーンに姿がなく、現実を痛感 [17日03:04]
ソーシャルブックマークへ投稿
ソーシャルブックマークとは