4日前に相談…三沢さん、年内引退決めていた
事務所に設けられた献花台の前で悲しみに暮れるノアの仲田龍取締役
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13日の試合で頭部を強打し、頸椎(けいつい)損傷に伴う頸髄離断で亡くなったプロレスラー三沢光晴さん(享年46)が、今年限りでの引退を決意していたことが15日、分かった。三沢さんの参謀役としてノアの創立時から支えてきたリングアナウンサーの仲田龍・取締役統括部長(47)が明らかにした。三沢さんは引退後、起業家になるプランを持っており、仲田取締役は引退させてあげられなかったことを悔やんだ。
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三沢さんの急逝後、沈黙を守っていたノアの仲田取締役が衝撃の事実を口にした。この日、東京・有明の事務所を訪れた同氏は、三沢さんが年内で引退し、起業家として新たな人生を送る決断をしていたと明かした。9日に行われた静岡・沼津大会のロッカールームで、引退の期日や引退後のプランを相談されたという。
全日本プロレスで故ジャイアント馬場さんの秘書を務めていた仲田氏は、00年8月のノア創立時から三沢さんを支え「三沢の参謀」とも言われていた。長年苦楽をともにしてきた「盟友」には、三沢さんは心境の変化を打ち明けていた。仲田氏は「以前からサヨナラ・ツアーをやらないかとも言われていた。自分と奥さんは(引退が近いと)聞いていたんです」と告白。三沢さんはノアが10年目を迎える節目を機に、マットから去ることを決意していた可能性が高い。引退後は会社を立ち上げるなどのプランを持っていたとみられる。
しかし「沼津会談」から4日後の広島大会で、ノアの象徴は相手選手の岩石落としで頭部を強打し、帰らぬ人となった。ツアーに同行しなかった仲田氏は広島に駆け付け、三沢さんと対面。「笑っている顔に見えた」と寂しそうに話した。
18日で47歳になるはずだった三沢さんは地方の試合でも絶対に手抜きをせず、常に全力投球。社長業も兼ね、心身ともに限界に達していた。今回のツアーでは本調子にはほど遠かったと指摘する声もある。仲田氏は「2、3年前に(引退できる)環境を整えてあげないといけなかった。誰のせいかと言われると…」と自分を責めるかのようにつぶやいた。
屋台骨を失った団体の新体制について、仲田氏は「いつかは決めないといけない。落ち着いてから取りかかりたい」と話した。引退を決意しながら天国へ旅立った三沢さんのためにも、今後ノアの土台はより強固なものにすることが求められる。
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