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【格闘技】

ノアが博多大会を決行 故三沢社長のはなむけ

2009年6月15日 紙面から

テンカウントゴングで三沢光晴氏の冥福を祈る(リング上左から)小川良成、小橋建太、遺影を持つ百田光雄副社長、田上明=福岡市博多区の博多スターレーンで(圷真一撮影)

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 天国の三沢さんに届け−。プロレスリング・ノアの人気レスラー兼社長の三沢光晴さんが試合中に心肺機能停止し、46歳で急死した翌日の14日、ノアの選手らは「試合をすることがはなむけになる」として、予定通り福岡大会に出場。気丈にファイトすることで、哀悼の意を示した。三沢さんをしのぶとともに、そんな選手らを応援するため、会場は朝からファンが殺到。2600人で超満員となり、立ち見客もあふれ返った。会場では追悼セレモニーも行われた。

 盟友、そして教え子たちが、つらい悲しみを乗り越えリングで戦った。どんなことがあってもファンを喜ばせるのがプロレスラー。気丈に振る舞い、そして大胆な技の攻防を見せる。亡き三沢光晴さんの遺志をしっかり受け継いだ。

 午後5時1分。会場の博多スターレーンで哀悼のテンカウントゴングが鳴らされた。リング上には三沢さんの遺影を抱えた百田副社長、小橋建太、田上明、小川良成が立ち、選手たちがリングを囲んび、黙とうをささげながら大粒の涙をこぼした。

 静寂の中、百田副社長がファンに死去の報告をし、「これからもノアをよろしくお願いします」とあいさつ。三沢さんの入場テーマ曲「スパルタンX」が流れ出すと、会場から大コールが。泣き崩れるファン、チケットを握りしめながらうつむくファン…。それぞれが悲しみに暮れた。

 直後の第1試合に出場した井上雅央は持ち前のコミカルで明るいファイトに努めた。だが、リングを下りた瞬間に号泣。「こんな状態で試合をしたのは初めて。控室に帰ったら社長が座っている気がする」と声を絞り出した。

 第6試合のタッグ戦に勝利した小橋は言葉も出なかった。88年に全日本に入団して以来、19年間にわたって苦楽をともにしてきた盟友の早すぎる死に「今日は無理」と言うのが精いっぱい。その後ろ姿に、想像を絶するつらさが漂った。小橋はがんに侵された右腎臓を全摘出した際、復帰に焦る気持ちを三沢さんに止められた。故ジャイアント馬場さんら尊敬する先輩たちを病で失ってきた三沢さんは、「できれば復帰してほしくない。するなら確実に治せ」と諭した。命の大切さを身に染みていたからこその言葉だった。

 なのに、その三沢さんがこんなに早く天国へ…。選手はみな、やるせない思いでいっぱいだった。でも闘った。全試合終了後、三沢光晴が築き上げたプロレスに、ファンは満足そうに帰路についた。ノアのリングに終わりはない。 (酒井賢一)

 

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