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★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>

2009/06/16 00:00

 

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書が、コピーじゃない部分でことごとく扶桑社版を改悪しているという連載を3回お届けしました。
 
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
 
それに対し、読者の皆様から整理しきれないほどのたくさんの情報提供をいただいています。中にはカラー刷りの詳細なレポートを送ってくださった方もいます。ありがとうございます。それらを参考に当分連載を続けます。
 
中学校の歴史教科書は、巻頭の特集などの後、本文が始まるわけですが、通常は人類の登場から書き出します。

 
ところが…。

<自由社版>太陽系に浮かぶ一つの星、地球。その誕生は46億年前のころである。ここにやがて生命がめばえ、次第に複雑な構造を持つ生物に進化し、ついに人類が出現した。(p12)
<扶桑社版>ユーラシア大陸の東の果ての海上に、弓状に連なる美しい緑の島々がある。それが、これから学習する歴史の舞台となる日本列島である。この列島に最初に住み着いた私たち日本人の祖先は、いったいどこから、どのようにしてやって来たのだろうか。(p16)

 
地球の誕生、そして単純な生物が人間に進化したというところから書き出しているのは、今夏の採択の対象となる中学校歴史教科書9冊では自由社だけです。私たち「神社右翼」としては高天原から書き始めてほしいのですが、学習指導要領がありますから、そうもいきません。その指導要領は「人類が出現し、やがて世界の古代文明が生まれたこと」から書くよう求めています。進化論は理科の時間です。
 
このことは3月3日のエントリーで触れましたが、自由社は扶桑社版教科書の全82単元を踏襲しつつ、「01 人類の進化と祖先の登場」「83 戦前・戦後の昭和の文化」を加えて84単元にしています。単元構成をまねながら、あえて冒頭に進化の単元を加えたことに「進化論から書くぞ」という並々ならぬ決意を感じます。
 
しかし、進化論から書き始めるのは歴史教育に対する考え方が根本的に間違っていますし、「つくる会」を支持してきた宗教団体の理解も得られないでしょう。以前は進化論を取り上げる教科書があって、小林よしのりさんが「新ゴーマニズム宣言」で「ダーウィンの進化論がマルクス主義、共産主義の進歩史観を子供に植えつけるのにぜひ必要だという教科書執筆者の下心がよくわかる」と批判しました。「つくる会」はこの漫画を抜き刷りにして配っていたのに、一体どうなってしまったのでしょう。
 
その3ページ後に…。


<自由社版>アメリカ先住民の祖先は、日本人の祖先が日本列島にやってきたように、同じシベリア地方南部から陸続きだったベーリング海峡を通って北米大陸に移住したと考えられている。近年の遺伝子の研究からも、アメリカ先住民の遺伝子が日本人をふくむ東北アジアの人々に非常に近いことがわかってきた。(p15)
<扶桑社版>(なし)

 
日本人とアメリカインディアンの祖先が同じだと強調することに、どんな教育上の狙いがあるのでしょう。
 
さて、部落問題です。


<自由社版>鎌倉幕府の滅亡から南北朝の争いにかけて、京都のまわりを戦場とした戦いがくりかえされたので、多くの人びとが難民となり、日雇いの仕事などが発生する京都の町に流れてきて、鴨川などの河原に住みつくようになった。こうした漂流者たちは放置された死体の埋葬や墓の造成、芸能などで暮らしを立てていた。京の町の人びとはこのような人たちを「河原者」とよんでさげすんだが、その中から芸能の名手や石組みの名人などが現れるようになった。公家や上流武家のあいだにも、こうした人びとの能力は高く評価され、庭造りの名人、善阿弥のように歴史に名が記録される人物も出た。【河原者の側注】河原は当時、けがれを捨てる場所と考えられていた。【善阿弥の側注】この当時、浄土宗、浄土真宗、時宗といった浄土教を信仰する人びと、特に技工や芸能で生活する人たちは、しばしば「阿弥」という名を用いた。(p82)
<扶桑社版>【枯山水の側注】庭づくりには河原者とよばれ差別されていた人々が力を発揮した。(p82)

 
これは、かなり驚きました。9種類の中学歴史教科書のうち、河原者についてこれだけの分量で記述しているのは自由社だけです。河原者について記述しない教科書(日本文教出版)もあるくらいですから、自由社の取り上げ方は「画期的」です。善阿弥の名前を書いているのは帝国書院と自由社だけです。
 
つくる会」は「同和団体が裏検定を行って、採択に圧力をかけている」と批判してきました。その「裏検定」のチェック基準の9番目に「民衆文化(芸能、造園など)が、身分の低いとされてきた、散 所、河原者のあいだからおこったことが記述されているか」というのがあります(つくる会HPより←クリック)。クリアしてます。おめでとうございます。
 
続いて江戸時代の「えた・ひにん」に関する記述です。


<自由社版>【きびしい差別の側注】差別の理由の一つは「死」に関する不吉なイメージや仏教思想の「殺生の禁」にあったといわれる。いずれにしても現代にあっては、まったくの迷信である。(p108)
<扶桑社版>(なし)

 
河原者の側注にもありましたが、いわゆる「ケガレ意識」論です。部落差別の根底が「ケガレ意識」かどうかは部落史の研究家の間で議論があるようで、自由社以外では帝国書院と日本文教出版(旧大阪書籍)しか触れていません。「つくる会」が、というか中学校の歴史教科書がなぜここに深入りするのかは不明です。
 
少し専門的になりますが、被差別部落の起源はかつては「近世政治起源説」が主流でした。「江戸幕府が農民や町民の不満をそらすために、より低い身分を作った」という説明でしたが、今ではあまり言われなくなっています。扶桑社版は江戸時代のところで、 えた・ひにんとよばれる身分が「置かれた」と書いているため、「近世政治起源説」だとして部落史の研究家から批判を受けています。自由社版はその部分の記述は同じなのですが、「近世政治起源説」を薄めるため、近世の部落の前提として中世から被差別身分があったということを強調したのでしょうか…。まあ、そこまで深く考えているとも思えませんが。
 
部落関係で付け加えると、大正時代の水平社宣言の一部抜粋(p187)で冒瀆が「冒涜」になっています(扶桑社版は「冒瀆」です)。これは連載の<中>で紹介した森鷗外が「森鴎外」になっているのと同様、非常に違和感があります。
 
同和団体が裏検定を行っていると言っていた「つくる会」が、なぜ部落史の記述を大幅に増やしたのか、「裏検定」を意識しているのか…真相は分かりません。

 
(つづく)

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★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>

2009/06/08 00:00

 

前々回前回にたくさんの反響ありがとうございます。扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書の、コピーじゃない部分を検証する連載の最終回です。今回は満州事変以降を取り上げます。
 

<自由社版>「満州、漢、朝鮮、日本、モンゴルの5つの民族が共存共栄する土地である」という意味。しかし、日本人は、そのリーダーが日本であるのは当然だと勝手に決めていた。日本との関係ばかりでなく各民族間の利害も対立することが多く、現実は理想にほど遠かった。(p197)
<扶桑社版>(なし)
 
満州事変のところの「五族協和」の側注です。1回目で紹介した三・一独立運動の記述に続いて、自虐ぶりに驚かされます。五族協和なんて理想にすぎなかったとわざわざ書いているのです。ここの執筆者に黄文雄さんの『満洲国は日本の植民地ではなかった』(ワック出版)を読むようお薦めします。あれ、黄文雄さんって、この自由社版教科書の市販本に寄稿してるじゃないですか。そこには満州国は「王道楽土」だったと書いてますよ。こっちを中学生に教えるべきじゃないでしょうか。
 

<自由社版>(鈴木貫太郎は)のちに首相となって太平洋戦争を終戦に導いた。(p198)
<扶桑社版>(なし)
 
<自由社版>太平洋戦争は最初どのように戦われたか?(p205)
<自由社版>(なし)
 
<自由社版>太平洋戦争(年表6)
<自由社版>大東亜(太平洋)戦争(年表5)
 
昭和16年12月12日の閣議決定通りの「大東亜戦争」または「大東亜戦争(太平洋戦争)」と表記しているのが扶桑社版の特徴ですが、自由社版では新たに書き加えた部分で「太平洋戦争」のみの表記とし、歴史年表も「太平洋戦争」に変えてしまいました。活字が小さく目立ちませんが、根本的な歴史認識にかかわる改悪です。
 

<自由社版>日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対しての不当な殺害や虐待をおこなって多大な惨禍をのこしている。(p214)
<扶桑社版>日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対して、不当な殺害や虐待を行った。(p214)

 
ここは4月15日のエントリーでも書きましたが、検定の結果、扶桑社版になかった「多大な惨禍をのこしている」を自由社が加えました。「多大な惨禍」とは普通、広島・長崎への原爆投下など何万人も犠牲者が出た出来事に使う言葉です。「捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対しての不当な殺害や虐待」で「多大な惨禍」はあり得るのでしょうか…。賢明な読者の皆さんはお分かりと思います。この記述からは「南京大虐殺」という言葉が透けて見える仕組みになっているのです。「のこしている」と現在進行形になっているのも「謝罪と補償」を求める口実になってしまいます。
 

<自由社版>4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸し、ついに陸上の戦いも日本の国土に及んだ。(p209)
<扶桑社版>4月、米軍は沖縄本島に上陸し、(p209)
 
「ついに陸上の戦いも日本の国土に及んだ」を加えたために基本的な史実を間違っています。大東亜戦争で日本の国土で最初に地上戦が行われたのは、言うまでもなく昭和20年2月16日に始まった硫黄島の戦いです。硫黄島は日本です。なぜ検定を通ったのでしょう。天皇皇后両陛下は平成6年、慰霊のため硫黄島行幸啓遊ばされました。東京都も毎年、現地で戦没者追悼式を行っています。硫黄島を無視するようでは、東京都立の学校では採択されないのではないでしょうか。

 

島ついでに、千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に関するミスを指摘します。大東亜戦争が終わった後の昭和20年8月18日にソ連軍が占守島に侵攻した「占守島の戦い」がありました。占守島を守っていた第5方面軍の司令官は、自由社版にも登場する樋口季一郎中将です。その占守島がp150の「樺太・千島交換条約」の地図に出てきます。

この地図で占守島と書いてあるところは幌筵(ぱらむしる)島です。扶桑社版はきちんと表示しています。「全千島返還」を訴える日本共産党に所属していた人が代表執筆者を務める教科書がこれでは困ります。
 


<自由社版>アメリカの軍艦に体当たりする特別攻撃機 1944年10月以降、追いつめられた日本軍は世界に例がなかった作戦を実行するようになった。爆弾を積んだ飛行機を乗員ごと敵の艦船に突入させる自殺攻撃で、「特別攻撃隊」(特攻)と名づけた。(p209)
<扶桑社版>出撃する特攻隊 戦場でも追いつめられた日本は、飛行機や潜航艇で敵艦に死を覚悟して体当たり攻撃を行う特別攻撃隊(特攻)をつくった。(p209)
 
なんと特攻隊を「自殺攻撃」と表現しています。「自殺攻撃」というのは英語の「suicide attack」の訳語であって、米軍が特攻隊のことを名付けた言葉です。アメリカ人は9・11のときも特攻隊にたとえましたし、イスラム過激派の自爆テロに対しても同じようなことを言っています。つまり「自殺攻撃」とはテロのことなのです。
 
自由社版教科書は、特攻隊員にこのような冷たい言葉を浴びせておいて、何が「日本人の誇り」なのでしょうか。
 

以上3回の連載の内容は、短時間の検討会と全国の仲間とのメールの交換で急いで報告したもので、まだまだ見落としがあると思います。読者の皆様からの情報が集まり次第、続編を掲載したいと思います。
情報募集メールアドレス
project-justice@mail.goo.ne.jp

 

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>

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★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>

2009/06/06 00:00

 

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書の、コピーじゃない部分を検証する連載の2回目です。前回、自由社版が扶桑社版になかった安重根や李参平のような朝鮮人の名前を登場させていると紹介しましたが、一方で、扶桑社版に出ていた日本の大事な歴史上の人物を何人も削除しています。
 
扶桑社版が2度目の検定に合格した平成17年、読売新聞は5月26日付社説でこう書いて扶桑社を援護射撃しました。「現行の8社の中学歴史教科書のうち、扶桑社以外の7社の教科書には菅原道真、二宮尊徳、東郷平八郎といった人物についての記述がない」。扶桑社版だけに菅原道真の名前があることは初版本以来の「つくる会」のセールスポイントでした。
 
ところが…。


<自由社版>894(寛平6)年に遣唐使が廃止された。(p56)
<扶桑社版>9世紀に入ると唐がおとろえたため、894(寛平6)年、菅原道真の意見を取り入れ、朝廷は遣唐使を廃止した。(p56)

 
自由社版はあっさり菅原道真の名前を削ってしまいました。“支那から学ぶものなどもうありません”という進言が日本独自の文化を発展させたんじゃなかったのでしょうか。
 
それから、同じく扶桑社版にある阿倍仲麻呂(p48)、岡倉天心(p175)も自由社版では消されています。岡倉天心の名前が出てこないのは中学歴史教科書9冊中、自由社だけです。繰り返します。自由社版には、あの岡倉天心が載っていません。
 
岡倉天心が載るべき自由社版の「明治の文化の花開く」の単元(p175)には「大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』は」云々の記述があります。岡倉天心が載っていないのに、なぜ大和田建樹なのか…。文科省が公表した「著作編修関係者名簿」によると、自由社版の文化史の部分を執筆したのは松本謙一という人だそうです。どういう人か調べてみると、自由社の教科書編集室長だったそうです。学者でも教員でもなく、鉄道オタク雑誌の編集を長年やっていました。それで「鉄道唱歌」なのです。どうしても大和田建樹を載せるなら、「天に代りて不義を討つ…」の「日本陸軍」や「吉野を出でてうち向ふ…」の「四条畷」の作詞者だと書いてほしいです。「神社右翼」の私たちとしては。でもその前に岡倉天心だと思います。

 

<自由社版>森鴎外、島崎藤村らの文筆家はつぎつぎに作品を発表した。(p175)
<扶桑社版>また森鷗外は、ヨーロッパ文学を紹介し、(p174)

 
同じく松本謙一氏執筆の「明治の文化の花開く」の単元です。森鷗外をあえて「森鴎外」と表記しています。写真説明と「明治時代の文学者と代表作品」の表、さくいんも「森鴎外」になっています。かつてはJIS漢字に「鴎」しかなかったため、パソコンで打つと「森鴎外」になってしまうと、論議になっていましたが、活字媒体でわざわざ「森鴎外」にしているということは、何か特別な意味があるのでしょう。扶桑社も含めて中学校の歴史教科書で森鷗外を「森鴎外」と表記しているのは自由社だけです。おそらく、小学校や高校、国語なども含めても自由社だけでしょう。子供たちに「森鴎外」で覚えろというわけです。自由社が日本語をどう考えているかがよく分かります。
  
前回、自由社版の活字が小さくて読みづらいと書きましたが、「つくる会」の会報「史」5月号に松本謙一氏がその理由を書いていました。活字を小さくしても行間を開けたほうが乱視の子供も読みやすいと言っています。どう見ても読みづらいですが…。文化史担当ということは、阿倍仲麻呂が載るべき飛鳥・白鳳・天平文化のページ(p48)も菅原道真が載るべき国風文化のページ(p56)も松本謙一氏の執筆なのでしょうか。いずれにせよ、自由社版教科書が成功するか失敗するかのキーパーソンはこの松本謙一という人のようです。
 

<自由社版>女子英語塾(現在の津田塾大学)(p176)
<扶桑社版>女子英学塾(現在の津田塾大学)(p176)

 
津田梅子のコラムです。自由社教科書編集室長だった松本謙一さんにお尋ねしたいのですが、津田塾大学の前身が「女子英語塾」となっています。このページはここ以外そっくり扶桑社版をコピーしていますが、扶桑社版の「女子英学塾」をわざわざ「女子英語塾」に変更したのはなぜでしょうか? 津田塾大学のホームページでは「女子英学塾」になっていますが…。
 

<自由社版>世界の海戦史上、これほど完全な勝利を収めた例はなかった。(p171)
<扶桑社版>世界の海戦史上、これほど完全な勝利を収めた例はなかった。なお、同じく日露戦争で活躍した陸軍大将の乃木希典は、戦後、敗れたロシアの将軍の助命のためにさまざまな努力をいとわなかった。明治の日本にも、敗者の名誉を重んじる武士道は生きていたのである。(p169)

 
日本海海戦のコラムの最後にあった乃木大将に関する記述をすっぽり削除したため乃木大将の名前がなくなってしまいました。日本書籍新社の教科書にさえ載っている乃木大将を消すとは、さすが、乃木愚将論の司馬史観を持ち上げる藤岡信勝先生です。やってくれます。
 
自由社版の「昭和天皇のお言葉」というコラム(p227)はとてもいいと思います。でも「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という西尾幹二先生(昨年9月28日付エントリー参照)が執筆する教科書では読みたくありません。しかも参考文献には「半藤一利」「保阪正康」の名前があるではないですか。この2人に「秦郁彦」を加えた「3H」は西尾先生がいつも批判している歴史家ですよね。
 
(つづく)

 

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★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
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★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上> ニュース記事に関連したブログ

2009/06/03 00:00

 

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が扶桑社の了解なしに自由社という出版社から出した中学校歴史教科書『新編 新しい歴史教科書』が市販されました。扶桑社版との比較検討会を行ったところ、重大な改悪が行われていることが判明しましたので中間報告を緊急連載します。
 
まず自由社版の第一印象ですが、扶桑社版より活字が小さくなり読みづらくなっています。コラムなどでカラー刷りに埋没している字はますます読めません。ルビに至っては判読不能です。
 
そして内容ですが、巻頭の特集などを変えているため扶桑社版と若干印象は違いますが、ざっと見て8割以上が扶桑社版からのコピーです。しかし扶桑社版の記述をあえて変更した部分で歴史観にかかわる改悪が行われています。コピー教科書なのにわざわざ変更している部分ですから、意図を持った記述変更です。
 

<自由社版>韓国服の伊藤博文 伊藤は首相を引退後、1906年に日韓協約による初代韓国統監として赴任した。1909年満州視察の途中、ハルビン駅で韓国独立の志士、安重根に射殺された。(p172)
<扶桑社版>韓国服の伊藤博文 伊藤博文は1906年に初代韓国統監として赴任したが、1909年ハルビンで暗殺された。(p170)

 
「扶桑社版には安重根の名前が載っていない」と左翼から批判されていましたが、なんと自由社は素直に受け入れたのです。しかも「韓国独立の志士」と説明しています。ご丁寧に「アンジュングン」と朝鮮読みのルビが振ってあります。そして、名前を載せなかった扶桑社版が「暗殺」としていたのを、わざわざ「射殺」に変えています。
 
安重根が「志士」…朝鮮人から見ればそうでしょう。でも、伊藤博文は「維新の志士」でしょ? 坂本龍馬や高杉晋作を「志士」と書かずに、安重根だけが「志士」ですか。ほう、そうですか。
 
「暗殺」か「射殺」かについては、櫻井よしこさんのブログが自虐教科書を批判した文章を引用しておきます。「まず伊藤博文が『射殺』されたという記述のおかしさに気付く。政治的立場やイデオロギーの違いによる殺害行為は『暗殺』である。射殺と書けば、犯罪者やヤクザ同士の抗争と同じような意味合いになる。伊藤博文の死の位置づけとしては、政治的意味合いをこめて暗殺と書くべきではないか」
 
前回のエントリーで、自由社の役員が安重根を持ち上げていることに触れましたが、その思想は教科書記述にしっかり反映されていたわけです。これで、今夏の採択の対象となる中学校歴史教科書9冊のうち、安重根の名前が載っていないのは東京書籍と扶桑社だけになりました。東京書籍さえ載せていない安重根を、自由社は載せているのです。
 

<自由社版>朝鮮に出兵した大名たちは優れた技術者や学者などを捕虜にしてつれかえり、自分の領国の発展に利用した。その中には陶器をつくる陶工もいく人もいて、彼らによっての朝鮮の陶器技術が指導され、その地の特産物となった。鍋島家(佐賀)がつれかえった李参平もその一人だが、(p97)
<扶桑社版>(なし)
 
時代はさかのぼって、豊臣秀吉の朝鮮出兵のところに「陶祖 李参平」というコラムが登場しました。この場所は扶桑社版では「秀吉とフェリペ2世」のコラムになっています。扶桑社版も側注の有田焼の写真説明で陶工について触れていますが李参平の名前はありません。
 
藤岡信勝会長が親しい長谷川潤さんは「正論」平成9年9月号で、大阪書籍の教科書が李参平を取り上げていることについて次のように書いていました。「『李参平』なる聞きなれない人物名を採り上げ(『東書』も同様)、『陶祖李参平』なる写真を掲載している。そして、『秀吉の朝鮮侵略のさい、多くの朝鮮人陶工が日本に連行され、李参平もその一人でした』と、大東亜戦争中のいわゆる『朝鮮人強制連行』を連想させる意図的表記を行っている。この記述は、歴史を四百年溯及し、侵略者たる日本を断罪しつつも、文化的優越国たる朝鮮が、わが国に多大な恩恵を与え給うたかを生徒に印象づける効果を狙っている」。愛国的教育者、長谷川潤先生は自由社版を見て嘆いていることでしょう。
 
李参平の名前が聞きなれないというのは言い過ぎですが、既存の自虐教科書が、李参平を取り上げることによって「日本は昔から朝鮮人を強制連行していたんだ」と子供たちに刷り込む意図を持っていることは確かです。
 
そもそも李参平は自由社版(李参平の名前を出さない扶桑社版も似たようなものですが)が書くように「捕虜にしてつれかえり」つまり強制連行なのでしょうか? 呉善花さんは『新・地球日本史1』(西尾幹二責任編集)でこう書いています。「韓国では、略奪と『強制連行』という視点からしか朝鮮陶工の渡日を見ようとはしない。地元有田の伝承では、李参平は文禄・慶長の役で鍋島勢の道案内を務め、終戦にともない配下の陶工を引き連れて、直茂に従い日本へやって来たという」。西尾幹二さんって、自由社版の執筆者ですよね。
 
李参平たちは、朝鮮出兵の終結に伴い鍋島直茂から一緒に日本に来ないかと言われて自発的にやって来た。あるいは「道案内をして敵軍に協力した以上、朝鮮に残るわけにはいかないから一緒に日本行きたい」と懇願して来日したというのが史実なのではないですか? 違いますか? 『新・地球日本史』責任編集者の西尾幹二先生。フェリペ2世のことは西尾先生が『国民の歴史』以来こだわってきたことではないですか? 藤岡信勝先生はそこを李参平のコラムに差し替えてしまったのですよ、西尾幹二先生。
 
安重根が志士であるとか、李参平が強制連行されたというのは、明らかに朝鮮の歴史観です!

 

<自由社版>平壌(現在のピョンヤン)付近を中心とした地域。(p32)
<扶桑社版>現在の平壌(ピョンヤン)付近を中心とした地域。(p32)

 
古代朝鮮の楽浪郡の側注です。平壌がピョンヤンになったんじゃなくて、平壌の朝鮮語読みがピョンヤンです。扶桑社版の正しい表記をわざわざ変えたのはなぜでしょうか? 漢字を使わない国に配慮しているのでしょうか? それならいっそのことハングル(チョソングルチャ)で평양と書いたらどうでしょうか。
 

<自由社版>最初は非暴力の集会として計画されたが次第に大規模になったため軍隊までが出動したことでかえって衝突がはじまり、民衆に多くの死傷者が出た。日本国内でも吉野作造、宮崎滔天など、「朝鮮民衆の当然の声」として、この運動に理解を示す知識人があった。(p185)
<扶桑社版>(なし)

 
三・一独立運動の側注です。目を疑いました。朝鮮総督府が武力弾圧したから被害が大きくなったという因果関係を書いている教科書は自虐教科書7冊にも見当たりません。三・一独立運動に理解を示す日本人がいたと書いているのは旧大阪書籍(日本文教出版が継承)だけです。宮崎滔天は辛亥革命を支援した立派な人物かもしれませんが、中学生に何の説明もなくここで名前を出してどうするのでしょう。吉野作造も次のページを見ないと学者だと分かりません。教材の構成としておかしいのですが、そもそも、いったいなぜ三・一独立運動にわざわざこんな説明を加える必要があるのでしょうか。
 
前回までに書いたように「つくる会」一部首脳と自由社は朝鮮半島とコネクションがあるようです。そして当然の帰結として、教科書記述でも朝鮮(韓国北朝鮮)に配慮しているのでしょうか。
 
自由社版は安重根や李参平のような朝鮮人の名前を登場させる一方で、扶桑社版に出ていた日本の大事な歴史上の人物を何人も削除しています。次回はそれを報告します。
 
(つづく)

 

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
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関連ニュース

★自由社役員「慰安婦は強制連行された」 ニュース記事に関連したブログ

2009/05/23 00:00

 

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」の新しい発行元「自由社」が検定不合格を経て合格させた中学校歴史教科書が間もなく書店で市販されるそうです。2月14日のエントリーで「自由社」には石原萠記社長の自由社に加え、加瀬英明社長の自由社が二重に設立されているという不可解な事実をお伝えしました(便宜上、前者を自由社A、後者を自由社Bと呼ぶこととします)。文科省に検定申請したのは自由社Aですが、市販本の発行元は自由社Bだそうです。自由社Bの役員を再掲します。

 

代表取締役 加瀬英明(外交評論家、自由社A取締役)
取  締  役 植田剛彦(著書で慰安婦強制連行説を主張する親韓派ジャーナリスト)
取  締  役 松本謙一(前「つくる会」東京支部長。シンポで小林よしのりさんに野次を飛

        ばした男)
取  締  役 石井弘子(作家の石井竜生の妻、井原まなみの本名。朝日新聞社の懸賞

        論文で準入選)
監  査  役 三堀  清(弁護士、パチンコチェーンストア協会の法律分野アドバイザー)

 

今回は「著書で慰安婦強制連行説を主張する親韓派ジャーナリスト」植田剛彦(うえだ・たかひこ)氏を取り上げます。植田氏は、週刊新潮に「韓国人元ホステスと同棲していた」と報じられた加瀬英明社長平成19年11月12日付エントリー参照)の人脈です。
 
その植田剛彦氏の著書に『在日韓国人の底力―21世紀へ向けて“韓国系日本人”の確立を』(日新報道)という本があります。この本には芸能界やスポーツ界の在日韓国・朝鮮人とされる人たちが実名で書かれているため、その部分が興味本位でネット上に盛んに引用されています。
 
パラパラめくってみると、伊藤博文を暗殺した安重根を持ち上げていました。
 
<安に、私怨は全くあろうはずがなかった。ただただ、韓国、日本、東洋の平和を願ってのことだった。東洋の平和と韓国独立のためには、それを阻む伊藤をまず倒さねばならなかった>

 
韓国併合については、
 
<日本の行った行為は“民族の精神的ジェノサイド”であったことは否定できまい><あらゆる詭弁を用いようとも、日本の韓国に対してとった投資的施策は、敢えて汚い言葉を弄すれば、「豚は太らせてから食え」の譬えであったといえよう><これまでの「日韓併合」にまつわる日本の行った行為を肯定した論文や論説が韓国人の神経を逆なでし、徒らに問題をまき散らしてきた。また、併合によって韓国の被った功罪について、例えば社会資本の整備、社会改革、国内の近代化などについて、日本が多大な貢献をしたと論陣を張る識者もいるが、インフラなどの整備に寄与したことは事実であろうが、これも日本の国益と都合であって、韓国自らが望んで日本に依頼したわけではない。貢献論は、善意の押し売りである><日本は侵略という言葉を嫌い否定するが、加害者であったことは否定できまい。私は徒らに事を蒸し返すつもりはないが、歴史の事実に照らし合わせ、もう一度、不幸な事実に政治の光を当て、政治が置き忘れてきた不幸な人々のことを見直すべきではあるまいか、と思うのだが…>

 
さて、問題の慰安婦です。
 
<美名の下に狩り出された20万の従軍慰安婦たち><日本兵相手のこの強制売春は、日中戦争下の三八年ころから大規模に始まり、その主な供給源として軍が着目したのが朝鮮人女性であった。彼女らは「お国のため」と称して、“特志看護婦”とか“軍用員”あるいは“女子工員”といった名目の下、強制的に集められ、日本兵の残酷かつ野蛮なセックス処理の慰み物になった悲しい女たちである。これらの女性は当初、特志看護婦なとと称した特殊要員は「皇軍の名誉」に関わるということで、民営の形をとり、日本人業者が警察官や面長(村長)らと村を回り、若い娘を騙して連れて行った><娯楽所はいつしか慰安所になり、婦女子の勧誘および売春行為が半ば公然と行なわれるようになった。こうなると、今までコソコソとやっていた女狩りを、軍の要請によって、総督府から道庁、道庁から郡庁へ、そして面へと下達され、軍から委ねられた民開業者は駐在所の巡査と連れ立って、騙しと、脅しと、おだての三拍子に加えて、「お国のためだ。お国のためになる仕事だ」の決り文句で、半信半疑の若い娘たちを慰安婦として狩り出した。また、朝鮮民族の独立の美名の下、“女子愛国奉仕隊”なる名で半強制的に集めたのも事実である。戦火が拡大され、戦況が著しく悪くなる四三年頃からは、「女子挺身隊」の名の下に、およそ二十万人の朝鮮人女性が労働動員されたが、そのうちの若い未婚女性の大半が慰安婦にされた><「挺身隊は慰安婦ではない」とか、「当時、私のいた村では強制的に誘拐して慰安婦にされた例はない」などという説を曲げない人もいるが、この悲劇は事実であったのだ><過去、日本の政治家は、奥野誠亮、中西啓介、永野茂門、桜井新各代議士らが侵略戦争をめぐる発言で、配慮と言葉に慎重さを欠いたため、大臣を更迭される、もしくは辞任するなどの手痛い火傷を負っている。歴史は歴史として、事実をしっかり把握するべきである。歴史を見失って、事実を霧の中に包んではなるまい>

 
ここまで読んで、本を放り投げました。こいつ左翼じゃないか!
 
『不屈の在日韓国人』(日新報道)という本にも同じようなことが書いてあります。この植田剛彦氏は民団在日本大韓民国民団)と親密です。加瀬英明社長は“夜の日韓親善”。さらに監査役の三堀清弁護士はパチンコ業界団体の法律アドバイザーです。自由者Aの石原萠記社長はかつて在日韓国大使館の広報誌を発行し、竹島を「石ころ」と呼ぶほどの韓国贔屓平成19年10月9日付エントリー参照)です。そして「つくる会」一部首脳と統一教会の接点昨年8月30日付エントリー参照)…。
 
つくる会」「自由社A」「自由社B」と朝鮮半島とのコネクションがますます浮かび上がってきました。

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★岡崎久彦に屈した西尾幹二-初版本に戻るんじゃなかったの? ニュース記事に関連したブログ

2009/04/15 00:00

 

新しい歴史教科書をつくる会」が自由社から検定申請していた中学歴史教科書が516カ所もの欠陥が指摘されて不合格になった後、やっと合格しました。その記述は「細かな文章表現まで扶桑社版とほぼ同じ内容になっている」(朝日新聞 4月9日付夕刊のだそうです。
 
いやそんなことはないだろう、あれだけ勇ましいことを言っていたんだから、と思いましたが、やっぱりほとんど扶桑社版のコピーだそうです。「しんぶん赤旗」に
対照表←クリックが掲載されていますが、主要部分の違いはこの程度です(どうして日本共産党は自由社版の白表紙本を持っているのでしょう? まさか「つくる会」中枢にスパイがいるということはないでしょうね)。
 

毎日新聞 4月9日付夕刊によると、検定では第二次世界大戦に関する「日本軍も(略)侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対しての不当な殺害や虐待を防ぎきれなかった」との記述が「理解し難い表現」と指摘され、自由社は「(略)不当な殺害や虐待をおこなって多大な惨禍をのこしている」と修正したのだそうです。
 
この部分の扶桑社版の表現は「不当な殺害や虐待を行った」(p214)ですから、自由社版は「多大な惨禍をのこしている」を追加したことになります。「多大な惨禍」…村山談話にある「多大の損害と苦痛」のことですね。自由社版は扶桑社版より悪くなったのです。
 
というわけで、前のエントリーで書いたことは私たちの買いかぶりでした。「つくる会」は「南京事件の犠牲者はゼロ」も「慰安婦強制連行はなかった」も書かなかったのです。検定で削除されたのではなく、最初から。
 
そもそも「つくる会」は今回、初版本(平成13年春に検定を合格した最初の「新しい歴史教科書」)に戻すのではなかったのですか?
 
退会したと何度も表明しながら影響力を行使しまくっている初代会長、西尾幹二氏は自分のブログの
「小さな意見の違いは決定的違い」という文章で、現行版(平成17年春に検定を合格した「改訂版 新しい歴史教科書」)は岡崎久彦さんがリライトしたからけしからんと、次のように書いています。

二つの教科書は他のあらゆるページを比べればすでに完全に内容を異とする別個の教科書である。初版本の精神を活かしてリライトするという話だったが、そんなことは到底いえない本になっている。
つくる会」の会員諸氏もページごとに丁寧に両者を比較しているわけではないであろう。リライトされ良い教科書になった、と何となく思いこまされているだけだろう。

この文章を収録した『国家と謝罪』(徳間書店)という本には「初版本の精神を抹殺した第二版本」 という小見出しが付いています。
 
ブログのコメント欄には西尾幹二氏の支持者が「今後『つくる会』は、少なくとも旧版の歴史教科書のように、日本の立場から見た歴史を内容とする教科書を復活させなければ、会を続けていく意味がありません」「『つくる会』創立当初の理念を明らかにし、初版本の精神に立ち返り、いや、初版本そのものを復活すればよいのである」などと威勢のいい賛同のコメントを
書き込んでいます。
 
しかし、結局は初版本に戻るどころか、現行版を微修正しただけでした(もちろんこれは扶桑社の著作権を侵害しています)。西尾幹二氏は岡崎久彦さんに膝を屈したのです。岡崎久彦さんは扶桑社版の監修者として巻末に名前が出ていますが、もしかしたら自由社版にも出ているのでしょうか? そして、扶桑社版の執筆者になっている西尾幹二氏は…自由社版の執筆者に残るという屈辱に耐えるのですね。

 
<資料>リライトをめぐる岡崎久彦さんの文章

■Voice平成17年5月号「『新しい歴史教科書』は90点」

 ただ厳しいことをいいますと、これまでの『新しい歴史教科書』にも問題がありました。それは「この前の戦争はすべてアメリカが意図的に仕掛けたものである」という筋書きが背後にあったことです。これは幕末のペリー来航のところから一貫していて、たとえば不平等条約をペリーが砲艦外交で無理やり押しつけて日本人が反発したかのように書いています。

 しかしそれは事実と反します。日米条約ができたとき、これを「不平等条約」だと思った日本人はほとんどいなかったでしょう。ただ「夷狄が勝手に日本を歩くのはいやだ」と感じただけのことです。不平等条約に対し、幕末の国民が怒って抵抗したなどという、バカな話はありません。

 また、第一次世界大戦が終わって大正から昭和に入るあたりに「オレンジ計画」に関する記述が出てきますが、これもおかしい。「オレンジ計画」はアメリカの日本に対する作戦計画ですが、当時のアメリカは、イギリスに対する計画は「赤計画」、メキシコに対する計画は「緑計画」などと、さまざまな計画を立てています。参謀本部たるもの、あらゆる状況を仮定して作戦を立てておくのは当然です。そのころからアメリカは日本との戦争をしようと思っていた、というふうに書くのは間違いです。

 「白船事件」という項に至っては、そもそも「白船事件」という言葉自体、私は聞いたことがありません。この教科書がつくった言葉でしょう。1908年にアメリカ艦隊が日本にやって来たことを指していますが、あれは白船「訪問」で、「事件」ではありません。日本側のあとの受け入れは大成功でした。アメリカ側も素行の悪い水兵はいっさい上陸させず、日本との友好を大事に考えています。それを、パリの新聞あたりを引用したり、日本人は「心の底からアメリカをおそれていた」などと書いている。

 しかも、1908年の出来事ならば、日露戦争の直後に記述すべきなのに、ロシア革命の説明が終わったころ、オレンジ計画と並べて第二次世界大戦前後の時期にもってきている。つくり手の意図を感じます。

 さらに韓国併合の項で、「イギリスアメリカ、ロシアの3国は、朝鮮半島に影響力を拡大することをたがいに警戒しあっていた」とありますが、これは「白表紙」のウソが残っています。イギリスロシアはともかく、アメリカは関係ありません。それなのに無理やりアメリカを入れている。ペリー来航以来、アメリカが日本にどんどん圧力をかけ、計画的に戦争に持ち込んだという話にもっていこうとしているのです。

 まあ、いままでのひどい教科書の独占を打ち破るには、蛮勇に近いエネルギーが要ったことはわかりますが、こんなところでエネルギーを出す必要はありません。

 最近若者のあいだに、反米意識をもつ者が増えています。これは『新しい歴史教科書』の影響ではないか、と思うほどです。

 

■中央公論平成17年6月号「教科書問題に火をつけた日本国内の人々を非難する」

 これまでの改訂前の『新しい歴史教科書』には、私が正面から議論するに足る問題点があったということである。

 私が問題だと思ったのは、その底に反米思想が流れていたからである。

 第一次大戦も終わって、次の大戦までの戦間期の記述の中に、「日米関係の推移」という章があった。そこでは、米国の対日人種差別の記述の中ほどに、対日作戦、オレンジ計画の記述があった。

 米参謀本部は世界中のあらゆる強国に対する作戦計画を常時持っていた。イギリスに対しては、レッド計画、メキシコに対してはグリーン計画であり、それは参謀本部としては当たり前の話である。それをわざわざ日本に対する計画だけ取り上げて、米国はその時から日本と戦争する気があったような印象を与えている。

 その意図は、その直後に「白船事件」という項目が置かれているところからもわかる。そもそも私は白船(ホワイト・フリート)「事件」なる表現は寡聞にして聞いたことがない。それは白船「訪問」である。実態は、マハンの海上覇権理論に共鳴したセオドア・ローズベルトが大建艦計画を実行し、出来上がった艦隊を世界に誇示するため世界一周を計画したものであり、フランスの新聞あたりが、日米戦争必至などと書いたことはあったらしい。

 しかし小村寿太郎外相は、これを日本に招請し、ローズベルトは喜んでこれを受け、訪日した艦隊は強烈なる歓迎を受けて日米友好ムードは大いに盛り上がっている。これは友好的訪問の成功であり、だれも「事件」だなどといっていない。しかしこの歴史教科書は日本側の歓迎ぶりについて、「日本人のみせたこの対応は、心の底からアメリカをおそれていたことを物語っている」と、極めて主観的、一方的な解説をつけている。

 大東亜戦争直前の日米交渉についても、「日本はアメリカとの戦争をさけるため、この交渉に大きな期待を寄せたが、アメリカは日本側の秘密電報を傍受・解読し、日本の手の内をつかんだ上で、日本との交渉を自国の有利になるように誘導した」とある。

 そもそも、日米交渉のどの局面で暗号解読されたことが日米関係の帰趨に関係あったのか具体的に書いていないし、これを聞かれてもおそらく返答に窮するであろう。

 日本側の方に平和的解決の意図があったという前提で書かれている文章らしいが、それなら手の内をつかまれても交渉の妥結に悪影響があったとも思われない。アメリカ側が、なんとしても戦争に持ち込もうという一貫した意図があったという前提でないと理解できない文章である。

 国際政治を学ぶ者として、フランクリン・ローズベルトが、1937年の隔離演説以来、米国民をドイツ、日本との戦争に誘導しようとしたことは真実であると思っている。しかしアメリカの政治は大統領一人で動くものではない。1941年半ば頃の時点で、ローズベルトの意図と暗号の解読を結び付けるのは無理である。

 今度の改訂後の『新しい歴史教科書』ではこのような反米的な記述は全部削除されている。

              :

 実は「つくる会」という名称のアイデアを出したのは私だったように記憶するが、立ち上げの集まりにおいて、これから大衆運動をするというので、当時私は近代政治外交史5巻本の執筆にとりかかっていたこともあり、大衆運動には加わらないという私の原則的な考えもあって、「つくる会」の活動にはその後参加しなかった経緯がある。

              :

 ここで私が今回この問題に関与した経緯を若干ご説明しなければならない。

 去年の初め頃だったように思うが出版社から短い手紙が届いた。趣旨は、近く『新しい歴史教科書』の改訂版を出すのでお気づきの意見があればご連絡いただきたい、ということで、たしか、週の半ばに手紙が着いて、回答は週末までというようなことだった。一種儀礼的な挨拶状であり、意見といってもその本旨はせいぜいミスプリントの指摘ぐらいを期待している文章だった。

 私はちょっと気になって、藤岡先生に電話して、「本当に直す気があるのなら、私には若干意見はあります」と申し上げた。そうしたらば、藤岡先生と出版社の人が直ちに見えてそれから2日間私の意見を聞いて下さった。

 それは私にとっては感動的だった。「つくる会」発足以来私は何の協力もしていない。外から見れば、その活動を白眼視していると思われても弁解の余地もない。そんな私の意見を2日間にわたって聞いて、それを教科書に反映させて下さった度量の広さ、良い教科書を作ろうというひたむきな姿勢には心を打たれた。

 そのうちに私を監修者の名に加えてもよいかとのお話があり、監修者となると中立性の問題があり、これを支持する言論が制限されるのを危ぶんだが、その心配はないということなのでお引き受けした。

 

■産経新聞平成18年8月24日「正論」欄「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」

 過去4年間使われた扶桑社の新しい教科書の初版は、日露戦争以来アメリカは一貫して東アジアにおける競争者・日本の破滅をたくらんでいたという思想が背後に流れている。そして文部省は、その検定に際して、中国韓国に対する記述には、時として不必要なまでに神経質に書き直しを命じたが、反米の部分は不問に付した。

 私は初版の執筆には全く関与しなかったが、たまたま機会があって、現在使用されている第2版から、反米的な叙述は全部削除した。

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★自由社版教科書の目次“漏洩”-藤岡信勝は家永三郎になれるか ニュース記事に関連したブログ

2009/03/03 00:00

 

新しい歴史教科書をつくる会」の会報「史」(ふみ)の3月号が情報提供者から送られてきました。なんと、そこには現在文部科学省が検定中の自由社(前回エントリーで書きましたが、どっちの自由社か不明です)の中学校歴史教科書の目次が掲載されています。白表紙本の一部漏洩です。
 
その前に、今行われている教科書検定について説明します。今年度(平成20年度)は中学校教科書検定の年なのですが、新しい学習指導要領が平成24年度から実施されるため、新指導要領に沿った教科書の検定が平成22年度に行われます。ですから扶桑社も含めて各教科書会社は平成22、23年度の2年間しか使われない教科書については検定申請せず、今の教科書を引き続き供給します。しかし、「つくる会」の新しい発行元である自由社は自らの存在をアピールするために昨年4月に検定申請して、「扶桑社は検定申請をしなかったから平成22、23年度使用の歴史教科書を供給できなくなる」と言って出版差し止めを求めて裁判まで起こしています(代理人は有名な福本修也弁護士)。他の科目でも検定申請した教科書会社はありませんから、今年度の教科書検定は自由社1社のためだけに行われています。
 
問題は自由社の教科書の中身です。扶桑社の教科書の版権は当然のことながら扶桑社にあり、著作権も執筆者、監修者、扶桑社の共同のもので、全員が了解しなければ他の発行者から出すことはできません。ところが「つくる会」は昨年4月2日のつくる会Webニュースで自由社の教科書について「内容は、基本的に現行の『新しい歴史教科書』(改訂版)の内容と変わりません。但し、一部書き直しや図版の変更等の手直しは行っております」として、扶桑社版を元に作ることを表明しました。そして逆に扶桑社を訴えるという「盗人猛々しい」ことを行っています。
 
公表された自由社版教科書の目次を扶桑社版教科書の目次と照らし合わせてみました。
 

1章

01 人類の進化と祖先の登場

02 日本人はどこから来たか(全く同じ)

03 縄文文化の1万年(「の1万年」を加えただけ)

04 世界四大文明の誕生(「文明の発生と中国の古代文明」を変えただけ)

05 稲作の広まりと弥生文化(全く同じ)

06 中国の歴史書が語る古代の日本(「に書かれた」を「が語る古代の」にしただけ)

07 大和朝廷と古墳時代(「古墳の広まり」を「古墳時代」にしただけ)

08 東アジアの国々と大和朝廷(「大和朝廷」と「東アジア」を入れ替えて「の国々」を加えただけ)

09 聖徳太子と新しい政治(「新政」を「新しい政治」にしただけ)

10 遣隋使と「天皇」号の始まり(全く同じ)

11 遣唐使と大化の改新(「遣唐使と」を加えただけ)

12 日本という国号の成立(全く同じ)

13 平城京の造営と奈良時代(「大宝律令と平城京」を変えただけ)

14 律令国家と大仏建立(「奈良時代の」を取って「と大仏建立」を加えただけ)

15 飛鳥・白鳳・天平の文化(「白鳳」を加えただけ)

16 平安京と摂関政治(全く同じ)

17 密教の伝来と国風文化(「平安の文化」を変えただけ)

18 武士の登場と院政(全く同じ)
 

2章

19 平氏の繁栄と滅亡(全く同じ)

20 鎌倉幕府の武家政治(「の武家政治」を加えただけ)

21 大衆や武家の仏教と鎌倉文化(「大衆や武家の仏教と」を加え,、「鎌倉の文化」を「鎌倉文化」に変えただけ)

22 元の襲来とその後の鎌倉幕府(「元寇」を「元の襲来」にして「とその後の鎌倉幕府」を加えただけ)

23 建武の新政と南北朝時代(「南北朝の争乱」を「南北朝時代」にしただけ)

24 室町幕府と守護大名(「と守護大名」を加えただけ)

25 中世の都市・農村の変化(「都市と農村」を「都市・農村」にしただけ)

26 和風を完成した室町の文化(「和風を完成した」を加えただけ)

27 応仁の乱が生んだ戦国大名(「と」を「が生んだ」に変えただけ)
 

3章

28 ヨーロッパ人の世界進出開始(「進出」を「進出開始」にしただけ)

29 ヨーロッパ人の日本来航(「来航」を「日本来航」にしただけ)

30 信長と秀吉の全国統一(「織田」「豊臣」を取って「の全国統一」を加えただけ)

31 豊臣秀吉の政治と朝鮮出兵(「豊臣」と「と朝鮮出兵」を加えただけ)

32 黄金と「侘び」の桃山文化(「黄金と『侘びの』」を加えただけ)

33 江戸幕府の成立と統治の仕組み(「と統治の仕組み」を加えただけ)

34 朱印船貿易から鎖国へ(「江戸幕府の対外政策」を変えただけ)

35 鎖国下日本の四つの窓口(「の対外関係」を「日本の四つの窓口」に変えただけ。「鎖国下日本の四つの窓口」と  いう小見出しを単元の見出しに昇格させただけ

36 江戸社会の平和と安定(「平和で安定した江戸時代の社会」を入れ替えただけ)

37 農業・産業・交通の発達(全く同じ)

38 綱吉の政治と元禄の町人文化(「文治政治」を「政治」に、「元禄文化」を「元禄の町人文化」にしただけ)

39 享保の改革から田沼政治へ(「享保の改革と」を「享保の改革から」に、「田沼政治」を「田沼政治へ」にしただ  け)

40 寛政の改革と天保の改革(全く同じ)

41 江戸の町人と化政文化(「江戸の町人と」を加えただけ)

42 新しい学問・思想の動き(「学問と思想」を「学問・思想」にしただけ)

 
4章

43 市民革命と産業革命(「産業革命」と「市民革命」を入れ替えただけ)

44 欧米諸国の新たな接近(「新たな」を加え、3章から4章に移しただけ)

45 欧米列強のアジア進出(全く同じ)

46 ペリー来航と開国(全く同じ)

47 尊王攘夷運動の展開(全く同じ)

48 薩長同盟と王政復古(「幕府の滅亡」を「王政復古」にしただけ)

49 明治維新と新政府、新首都(「の始まり」を「と新政府、新首都」にしただけ)

50 中央集権国家への転換(「道」を「転換」にしただけ)

51 学制・税制・兵制の3大改革「兵制」と「税制」を入れ替え、「改革」を「3大改革」にしただけ)

52 近隣諸国との国境確定(「画定」を「確定」にしただけ)

53 岩倉使節団と征韓論(全く同じ)

54 殖産興業と文明開化(全く同じ)

55 条約改正への苦闘(全く同じ)

56 自由民権運動と政党の誕生(「と政党の誕生」を加えただけ)

57 大日本帝国憲法と立憲国家(「と立憲国家」を加えただけ)

58 日清戦争と三国干渉(「と三国干渉」を加えただけ)

59 近代産業の発展とその背景(「とその背景」を加えただけ)

60 国家の興廃をかけた日露戦争(「国家の興廃をかけた」を加えただけ)

61 世界列強の仲間入りをした日本(全く同じ)

62 明治の文化の花開く(「明治文化」を「明治の文化」にしただけ)

 

5章

63 第一次世界大戦と日本の参戦(「と日本の参戦」を加えただけ)

64 ロシア革命と大戦の終結(全く同じ)

65 ベルサイユ条約と大戦後の世界(全く同じ)

66 政党政治の展開と社会運動(「と社会運動」を加えただけ)

67 日米関係とワシントン会議(全く同じ)

68 大正の文化と都市生活の形成(「と都市生活の形成」を加えただけ)

69 共産主義とファシズムの台頭(全く同じ)

70 中国の排日運動と協調外交の挫折(全く同じ)

71 満州事変と満州国建国(「と満州国建国」を加えただけ)

72 日中戦争(全く同じ)

73 中国をめぐる日米関係の悪化(「中国をめぐる」を加えて「悪化する日米関係」を「日米関係の悪化」に変えただ  け)

74 第二次世界大戦の始まり(「の始まり」を加えただけ)

75 大東亜戦争(太平洋戦争)(全く同じ)

76 大東亜会議とアジアの国々(「アジア諸国」を「アジアの国々」にしただけ)

77 戦時下の国民生活(「生活」を「国民生活」にしただけ)

78 終戦をめぐる外交と日本の敗戦(「終戦外交」を「終戦をめぐる外交」にしただけ)

79 占領された日本と日本国憲法(「占領下の日本」を「占領された日本」にしただけ)

80 占領政策の転換と独立の回復(全く同じ)

81 米ソ冷戦下の世界と日本(「日本」と「世界」を入れ替えただけ)

82 世界の奇跡・高度経済成長(全く同じ)

83 戦前・戦後の昭和の文化

84 共産主義の崩壊と高度情報社会(「崩壊後の世界と日本の役割」を「の崩壊と高度情報社会」にしただけ)
 

扶桑社版教科書の全82単元に「01 人類の進化と祖先の登場」「83 戦前・戦後の昭和の文化」を加えて84単元にしただけで、単元の分類はほぼ丸写しです。全文を読み比べないと判断できませんが、著作権法上かなりきわどいことになっていると推測されます(ところで、自由社版が進化論から始まることは注目です。信仰を持つ人たちは支持するでしょうか?)。
 
文科省も馬鹿じゃありませんから「別の発行者の教科書とそっくりですねえ」と指摘しているでしょうし、白表紙本の厳重管理というルールを破って目次を公表したことや、前回エントリーで取り上げた自由社の二重設立問題なども勘案すると、検定合格は難しいのではないでしょうか。
 
そもそも「つくる会」は初めから検定で玉砕を目指しているフシがあります。教科書改善の会が南京事件について「実態が把握できないことを明記する」としたり慰安婦について当然記述しないとしていることに対して、平成19年9月9日の「日本国民へのアピール」で批判しています。自由社版の白表紙本は「南京事件の犠牲者はゼロだった」と書き、慰安婦についてもわざわざ記述して「強制連行はなかった」と強調しているはずです。
 
つまり検定不合格です。そして国を訴えます。「検定不合格 新しい歴史教科書」を市販します。藤岡信勝は家永三郎になるのです。運動のための運動が続きます。
 
文科省に屈伏して合格させてもらって「子供たちに教科書を手渡すのが私たちの使命だから…」と言い訳したら、かなりかっこ悪いです。

 

※日本教育再生機構を騙って、沖縄の少女をレイプせよとか教科書関係者の身の安全を保障しないなどと脅した脅迫事件について、たくさんの情報ありがとうございます。引き続き募集しています。脅迫状を受け取った方、犯人について知っている方は情報募集メールアドレスにご連絡いただければ幸いです。まだ被害届や告訴状を出していない方は警視庁に提出してください。

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★自由社は2つある-文科省さん、類似商号にご用心 ニュース記事に関連したブログ

2009/02/14 00:00

 

昨年7月29日のエントリーで、「新しい歴史教科書をつくる会」の新しい発行元「自由社」(石原萠記社長)の登記上の本店が石原社長の自宅(練馬区谷原●-●-●)で、監査役は石原社長の妻…そんな教科書会社どこにもない、と書きました。そのことで先日、「永田町関係者」とおっしゃる方から情報募集メールアドレスに連絡をいただきました。「ブログで指摘されたためか、あわてて9月12日に文京区水道2-6-3を本店に同じ自由社という名称の会社が設立されています。社長は加瀬英明氏」「ところが石原萠記社長の従来の自由社解散せずに並立しています」と、登記簿が添付されていました。
 
驚いて私たちも登記簿を取ってみました。確かに自由社(石原萠記社長)と自由社(加瀬英明社長)が両方存在しています(便宜上、前者を自由社A、後者を自由社Bと呼ぶこととします)。役員は次の通りです。
 
自由社A 登記上の本店=東京都練馬区谷原●-●-● 昭和48年10月20日設立
代表取締役 石原萠記(日本出版協会理事長、日本対外文化協会副会長)
取  締  役 有馬克彦(全国栄養士養成施設協会常務理事、日本出版協会理事)
取  締  役 加瀬英明(外交評論家、自由社B社長)
監  査  役 石原信子(石原萠記社長の妻)
 
自由社B 登記上の本店=東京都文京区水道2-6-3 平成20年9月12日設立
代表取締役 加瀬英明(外交評論家、自由社A取締役)
取  締  役 植田剛彦(著書で慰安婦強制連行説を主張する親韓派ジャーナリスト)
取  締  役 松本謙一(前「つくる会」東京支部長。シンポで小林よしのりさんに野次を飛ばした        男)
取  締  役 石井弘子(作家の石井竜生の妻、井原まなみの本名。朝日新聞社の懸賞論文で         準入選)
監  査  役 三堀  清(弁護士、パチンコチェーンストア協会の法律分野アドバイザー)
 
これは一体どういうことでしょうか。登記上の本店を石原社長の自宅から実態に合わせて変更するなら移転登記すればいいだけの話で、新たに会社を設立する必要はありません。自由社Aが倒産して新社を設立したのかというと、自由社Aは登記されたままです。
 
商業登記法27条は
商号の登記は、その商号が他人の既に登記した商号と同一であり、かつ、その営業所(会社にあつては、本店。以下この条において同じ。)の所在場所が当該他人の商号の登記に係る営業所の所在場所と同一であるときは、することができない。
と定めています。
 
要するに、同じ場所に同じ名前の会社を登記できないということです。自由社Aの登記上の本店は練馬区谷原の石原萠記社長の自宅ですが、石原社長の自宅はオフィスとして機能しておらず会社は文京区水道2-6-3にあるのですから、自由社Bを文京区水道2-6-3に設立するのは、違法ではないにせよ法の趣旨には反していることになります。
 
なぜ法律が同じ場所に同じ名前の会社を作ることを禁じているかというと、説明するまでもなく、その会社と取引や契約をするときに相手が確定できないからです。「永田町関係者」さんは、自由社A自由社Bの両方の役員になっている加瀬英明氏について「経営者としてのモラルを問いたくなります」と書いてこられましたが、同感です。
 
別に自由社A自由社Bの取引先のことなど私たちの知ったことではありませんが、問題は教科書検定です。つくる会Webニュースによると、自由社Aは昨年4月17日に中学校歴史教科書を検定申請しています。通常ならこの3月下旬か4月上旬に結果が発表されますから、今が大詰めの段階とみられます。
 
自由社Bは昨年9月設立ですから、検定申請したのは自由社Aなのですが、自由社Bの登記簿を見ると、目的欄に「教科書並びに教育図書の出版及び販売」とありますから、教科書を発行するのは自由社Bなのでしょうか。しかし、つくる会が平成19年9月9日に発表した「日本国民へのアピール」には「伝統ある保守系の出版社・自由社が名乗りをあげ、つくる会の教科書を発行していただけることとなりました」とありますから、教科書を出すのは昨年9月にできたばかりで伝統のない自由社Bではないはずです。
 
頭が混乱してしまいます。文部科学省自由社A自由社Bのいったいどちらと検定のやり取りをしているのでしょうか。まさか、自由社Aからの検定申請を審議していたら、知らない間に相手が自由社Bにすり替わっていたということはないでしょうね。こんな不可解なことをしている自由社A自由社Bは教科書発行者の要件を満たしているのでしょうか…。
 
文科省だけではありません。藤岡信勝さんや西尾幹二さんたちが福本修也弁護士を代理人にして扶桑社を訴えている出版差し止め訴訟で、裁判官は自由社Bの存在を知っているのでしょうか?
 
関係者の方、どういう事情なのか、情報募集メールアドレスにこっそり連絡してください。それから、法律や経営に詳しい方、一般論として、こういう手続きを取る奴は何を企んでいるのか、解説していただければ幸いです。「永田町関係者」さん、ありがとうございました。今後も連絡を取り合いましょう。
 
 
自由社Bの役員の顔ぶれを見て驚いた方も多いと思います。その素性を次回以降お伝えします。
 
※日本教育再生機構を騙って、沖縄の少女をレイプせよとか教科書関係者の身の安全を保障しないなどと脅した脅迫事件について、たくさんの情報ありがとうございます。引き続き募集しています。脅迫状を受け取った方、犯人について知っている方は情報募集メールアドレスにご連絡いただければ幸いです。まだ被害届や告訴状を出していない方は警視庁に提出してください。

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★日本出版協会(つくる会の移転先)の赤くてグレーな歴史

2009/02/09 00:00

 

新しい歴史教科書をつくる会」本部の移転先のことを1月27日のエントリーで「『日本出版協会』という聞いたことのない組織」と書いたところ、年配の読者の方から「日本出版協会は今でこそ胡散臭い組織に落ちぶれたが、70年安保のころは左翼系書評紙『日本読書新聞』の発行元として有名だった左翼的団体だから、全共闘世代なら名前を知っている人も多いはずだ」というお叱りのメールをいただきました。そこで今回は、読者のご協力と「公的な組織」からの情報を元に「日本出版協会の歴史」を掲載します。
 
GHQの手先
 
日本出版協会の前身は、大東亜戦争開戦前年の昭和15年12月に発足した出版界の国家統制団体「日本出版文化協会」です。18年3月には国家総動員法に基づく出版事業令によって、権限を強めた「日本出版会」に改組されました。
 
終戦後の昭和20年10月に「日本出版協会」となり(21年5月、社団法人登記)、戦争に協力していた立場から一転して、GHQの手先となって出版界の戦争責任追及を行います。21年1月に講談社、主婦之友社、旺文社など7社を戦犯出版社として追放する決議を行いました(このあたりのことは大阪国際大学名誉教授、岡本幸治先生の『骨抜きにされた日本人―検閲、自虐、そして迎合の戦後史』PHP研究所に詳しく書かれています)。

 

これらの動きに反発した21社が日本出版協会を脱退して、この年の4月に「日本自由出版協会」(後の全国出版協会、日本書籍出版協会)を結成し、加盟社は増えて日本出版協会は少数派になります(看板は持っているけど少数派に転落したというのは「つくる会」と同じです)。
 
■左翼書評紙の発行
 
さて、業界団体としての実体を失った日本出版協会ですが、昭和12年創刊の「日本読書新聞」の発行は続けました。紙面は左翼的で、39年3月9日号では義宮さま(常陸宮さま)と津軽華子さんのご婚約をめぐって「この御両人、どう見ても性的発育不能者。あのほうの夜のことを心配しますね」というとんでもない不敬記事を掲載して民族派から激しい抗議を受けました。

 

そして、60年安保から70年安保にかけて左翼思想界を扇動し、新左翼(極左暴力集団)の学生から支持されます。「新聞の中の新聞、出版社の中の出版社といわれ、大学祭のスローガンか学生運動の立て看板のような見出しで、左翼学生や文学青年を魅了してきた」(佐野真一『業界紙諸君!』ちくま文庫)。70年安保前後には公称14万部発行した年もあったそうです。
 
総会屋の介入
 
しかし連合赤軍事件以降、部数が急減。昭和50年には大物総会屋の上野国雄氏が理事長に就任します。日本出版協会と総会屋の関係は54年4月24日の衆議院法務委員会でも取り上げられ、社会党の議員が「総会屋の上野氏が占拠しているのは日本出版協会。去年、上野氏は死んだわけでありますが、総会屋がそういう公益法人に顔を出している」と政府を追及しました(国会会議録検索より)。
 
日本読書新聞は昭和59年12月で休刊となります。原因は日本出版協会事務局長による使い込みです。協会が社屋を建て替えた際(今「つくる会」が入っている建物です)、1600万円の使途不明金が発覚し、Tという事務局長が使い込んでいたことが分かったのです。横領の総額は3500万円以上でした(59年12月22日付日本経済新聞)。
 
上野氏の死後も総会屋による支配が続きます。昭和60年から1年余りの間、「日本読書新聞を発展的に継承させた」という名目で「Book World」という月刊誌が発行されましたが、その誌面は「出版社の広告は全く見当たらず、それに代わって、トヨタ、日産など、大企業の広告が随所にはさまれており、見る人が見れば、総会屋系の雑誌であることが容易に読みとれる」(『業界紙諸君!』)。この当時の日本出版協会専務理事Y氏は平成2年に大手工作機械メーカーをめぐる利益供与事件で逮捕されました。
 
冒頭の写真は「噂の真相」平成元年10月号の記事です。日本出版協会に総会屋が入り込んでいて、海部俊樹氏(後の首相)が名目上の会長になっていたが、職員はその事実を知らないし、海部事務所も困惑している―といった内容です。そのほかにもなかなか興味深いことが書いてあります(全文読みたい方は電子書籍←クリック で購入できます)。
 
■K前理事長と石原理事長
 
日本出版協会に入り込んだ闇の勢力は登記簿で簡単に確認できます。大物総会屋で左翼系雑誌「創」の最初のオーナーであるF氏の名前もありますが、一番有名なのは理事長を務めたK氏でしょう。K氏は長年ブラックジャーナリズムの世界に身を置き、「政界ジープ」という国会情報紙を経営していた昭和31年、「暴露記事を書くぞ」と言って野村証券など一流企業から計6400万円を脅し取って逮捕されています(「政界ジープ事件」)。43年に摘発された「日通事件」では日本通運側の意を受けて政治家にわいろを渡しています(同年6月25日付東京新聞には「国会に巣食うダニ」という見出しが躍っています)。53年に発覚した航空機汚職「ダグラス・グラマン事件」でも、裏金の仲介役としてマスコミや国会で名前が出ました。
 
K氏は平成11年9月に退任。所管官庁である文化庁の意向もあり、翌12年6月から今の石原萠記氏を理事長とする「新体制」になりました。しかし現在の理事のうち石原理事長を含む3人の理事就任時期は下記の通りです。
 
・石原萠記理事長(自由社社長)平成9年6月
・柳沢徳次専務理事(日朝文化交流協会副理事長)平成2年6月
・山田晃理事(株式情報誌「産業と経済」会長)平成元年6月
 
この3人は「国会に巣食うダニ」((C)東京新聞)と呼ばれたK氏と一緒に日本出版協会を運営していたわけで、完全に血が入れ替わったわけではないのです(10年間K氏と一緒だった山田晃理事が出している「産業と経済」という雑誌←クリック は「手堅く儲ける戦略株式情報誌」だそうです。今度読んでみたいと思います)。
 
つくる会」が机を置かせてもらっている日本出版協会が以上のような歴史を持つ団体だということは、所轄の大塚警察署は当然認識しています。しかし「つくる会」は自分たちが警備されるべき対象だと勘違いし、「前の事務所は過激派に放火されて本富士署にお世話になりました。新しい事務所も警戒よろしくお願いします」と要請しているのでしょうか。警察も大変だなあと同情します。
 
大丈夫ですよ。日本出版協会の中に入っていれば、左翼も闇の勢力も襲ってきませんよ。

 

※日本教育再生機構を騙って、沖縄の少女をレイプせよとか教科書関係者の身の安全を保障しないなどと脅した脅迫事件について、たくさんの情報ありがとうございます。引き続き募集しています。脅迫状を受け取った方、犯人について知っている方は下記の情報募集メールアドレスにご連絡いただければ幸いです。まだ被害届や告訴状を出していない方は警視庁に提出してください。
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★203号室はありませんよ(笑)―「つくる会」移転先

2009/01/30 00:00

 

 

新しい歴史教科書をつくる会」の本部がきょう1月30日、東京都文京区水道2-6-3の「日本出版協会ビル」ことマンション「TOP江戸川橋」の2階に移転します。そこは「つくる会」の教科書発行元である「自由社」(石原萠記社長)や、ほとんど活動実態のない「日本出版協会」(石原萠記理事長)、「日本文化フォーラム」が入居しているフロアです。「つくる会」のホームページやFAX通信などで流れた「お知らせ」では「文京区水道2-6-」とありますが、これは「文京区水道2-6-」の間違いです(まだ訂正されていません)。ここまでは前回のエントリーでお伝えしました。
 
その後、自由社を訪問したことがあるという複数の方から情報募集メールアドレスに連絡をいただきました。「つくる会」のお知らせには移転先が「日本出版協会ビル203号室」とありますが、「日本出版協会ビル」こと「TOP江戸川橋」には「203号室」は存在しないというのです。エレベーターを2階で降りるとドアが1つだけあり、そこはワンフロアぶち抜きで201号室だといいます。
 
そこで、「TOP江戸川橋」の登記簿と各階平面図を見てみました。確かに2階全体の94.25平方メートルが丸々201号室です。ドアは1つしかないのです。
 
これはどういうことかと言うと、201号室に机や電話などを入れさせてもらい簡単なパーティションで仕切った「つくる会」は、文部科学省や左翼、マスコミなどから「つくる会と自由社は一体だ」と指摘されないよう、姑息にも、存在しない「203号室」を対外的に公表する住所としてでっち上げたのです。
 
要するに「203号室」というのはキャバレーの「3番テーブル」みたいなもので、ドアを開けて201号室に入ったら、その一角に通され「ここが203号室のつくる会です」…。笑っちゃいますね。番地が違ってるし、部屋番号存在しないし…郵便物届きませんよ。
 
さて、登記簿によると、この201号室の所有者は「日本出版協会」です。つまり「つくる会」にとって「日本出版協会」は同居人であり大家であるということです。
 
その「日本出版協会」の専務理事、柳沢徳次さんが日朝文化交流協会副理事長で、拉致事件に関連して名前の出る有名な親北派だという事実を前回のエントリーで紹介しましたが、柳沢徳次さんは万景峰号にも招待されたことがあるそうです。朝鮮総連機関紙「朝鮮新報」の日本語サイトから転載します。
 
万景峰92」号/朝・日友好の絆強める
 
 建造・就航五周年を機に初めて横浜港に入港していた「万景峰92」号が3日、祖国を訪問する同胞、朝鮮学校学生らを乗せて出港し、1500余人の同胞らが見送った。同船は5月31日から同港・大さん橋に停泊し、同胞や日本市民の見学者、延2500人を受け入れた。一方、船長ら代表は神奈川県、横浜市を表敬訪問し、日本の各界人士を招いて宴席ももうけるなどして朝・日友好の絆を強めた。(7面に特集)
 3日の歓送セレモニーには、総聯中央の権淳徽、金守埴の両副議長と神奈川歓迎委員会委員長の金佑鍾・総聯県本部委員長をはじめとする歓迎委員、地元神奈川をはじめ関東地方の同胞らと、朝鮮学校生徒、日本市民らが参加。乗船した祖国訪問団との間に色とりどりの紙テープを渡すなどして見送った。
 これに先立ち、同船が92年6月2日に日本(新潟港)に初入港してからちょうど5年目にあたる2日、カン・スンファン船長ら代表が市、県を表敬訪問。市港湾局の安武啓揮・企画振興部長、吉田紀・県渉外部長らがそれぞれ応対した。
 また、同日夜にはカン船長の招待宴が催され、深田肇衆院議員(社民党組織局長)、齋藤勁参院議員(民主党神奈川幹事長)、安部正・県議会議員(社民党神奈川県連合代表)、井上周八・チュチェ思想国際研究所理事長、中小路清雄・日朝学術交流協会理事長、林亮勝・日朝文化交流協会理事長、柳沢徳次・同協会副理事長、渡辺道子・元社会党婦人局長、小川ルミ子・日本婦人会議事務局長、若林凞・朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会事務局長、広瀬礼子・神奈川日朝婦人懇談会代表、安武啓揮・市港湾局企画振興部長、安斎義昭、斉藤正の両県議、竹田邦男県教組委員長ら148人の各界人士が参加した。
 カン船長があいさつし、2年連続の大水害で困難な状況にある共和国に対し「日本の人々から人道的支援が寄せられていることに大変励まされている」として謝意を表すとともに、いっそうの友好連帯を呼びかけた。
 また安武、深田、齋藤勁、安部の各氏があいさつ。
 安部氏は、「水害支援問題をはじめ、日朝両国が様々な問題を抱える今、今回の入港を機に、両国の友好の輪がさらに広がることを確信する」と語った。
 船員と神奈川朝鮮歌舞団、東京朝鮮歌舞団が歌を披露すると、それに合わせて踊りの輪があちこちに広がった。
 

 
つくる会」の“友達の輪”も、随分広がりましたね。
 
※日本教育再生機構を騙った脅迫事件について、たくさんの情報ありがとうございます。引き続き募集しています。脅迫状を受け取った方、犯人について知っている方は下記の情報募集メールアドレスにご連絡いただければ幸いです。まだ被害届や告訴状を出していない方は警視庁に提出してください。

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