扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書が、コピーじゃない部分でことごとく扶桑社版を改悪しているという連載を3回お届けしました。
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
それに対し、読者の皆様から整理しきれないほどのたくさんの情報提供をいただいています。中にはカラー刷りの詳細なレポートを送ってくださった方もいます。ありがとうございます。それらを参考に当分連載を続けます。
中学校の歴史教科書は、巻頭の特集などの後、本文が始まるわけですが、通常は人類の登場から書き出します。
ところが…。
<自由社版>太陽系に浮かぶ一つの星、地球。その誕生は46億年前のころである。ここにやがて生命がめばえ、次第に複雑な構造を持つ生物に進化し、ついに人類が出現した。(p12)
<扶桑社版>ユーラシア大陸の東の果ての海上に、弓状に連なる美しい緑の島々がある。それが、これから学習する歴史の舞台となる日本列島である。この列島に最初に住み着いた私たち日本人の祖先は、いったいどこから、どのようにしてやって来たのだろうか。(p16)
地球の誕生、そして単純な生物が人間に進化したというところから書き出しているのは、今夏の採択の対象となる中学校歴史教科書9冊では自由社だけです。私たち「神社右翼」としては高天原から書き始めてほしいのですが、学習指導要領がありますから、そうもいきません。その指導要領は「人類が出現し、やがて世界の古代文明が生まれたこと」から書くよう求めています。進化論は理科の時間です。
このことは3月3日のエントリーで触れましたが、自由社は扶桑社版教科書の全82単元を踏襲しつつ、「01 人類の進化と祖先の登場」「83 戦前・戦後の昭和の文化」を加えて84単元にしています。単元構成をまねながら、あえて冒頭に進化の単元を加えたことに「進化論から書くぞ」という並々ならぬ決意を感じます。
しかし、進化論から書き始めるのは歴史教育に対する考え方が根本的に間違っていますし、「つくる会」を支持してきた宗教団体の理解も得られないでしょう。以前は進化論を取り上げる教科書があって、小林よしのりさんが「新ゴーマニズム宣言」で「ダーウィンの進化論がマルクス主義、共産主義の進歩史観を子供に植えつけるのにぜひ必要だという教科書執筆者の下心がよくわかる」と批判しました。「つくる会」はこの漫画を抜き刷りにして配っていたのに、一体どうなってしまったのでしょう。
その3ページ後に…。
<自由社版>アメリカ先住民の祖先は、日本人の祖先が日本列島にやってきたように、同じシベリア地方南部から陸続きだったベーリング海峡を通って北米大陸に移住したと考えられている。近年の遺伝子の研究からも、アメリカ先住民の遺伝子が日本人をふくむ東北アジアの人々に非常に近いことがわかってきた。(p15)
<扶桑社版>(なし)
日本人とアメリカインディアンの祖先が同じだと強調することに、どんな教育上の狙いがあるのでしょう。
さて、部落問題です。
<自由社版>鎌倉幕府の滅亡から南北朝の争いにかけて、京都のまわりを戦場とした戦いがくりかえされたので、多くの人びとが難民となり、日雇いの仕事などが発生する京都の町に流れてきて、鴨川などの河原に住みつくようになった。こうした漂流者たちは放置された死体の埋葬や墓の造成、芸能などで暮らしを立てていた。京の町の人びとはこのような人たちを「河原者」とよんでさげすんだが、その中から芸能の名手や石組みの名人などが現れるようになった。公家や上流武家のあいだにも、こうした人びとの能力は高く評価され、庭造りの名人、善阿弥のように歴史に名が記録される人物も出た。【河原者の側注】河原は当時、けがれを捨てる場所と考えられていた。【善阿弥の側注】この当時、浄土宗、浄土真宗、時宗といった浄土教を信仰する人びと、特に技工や芸能で生活する人たちは、しばしば「阿弥」という名を用いた。(p82)
<扶桑社版>【枯山水の側注】庭づくりには河原者とよばれ差別されていた人々が力を発揮した。(p82)
これは、かなり驚きました。9種類の中学歴史教科書のうち、河原者についてこれだけの分量で記述しているのは自由社だけです。河原者について記述しない教科書(日本文教出版)もあるくらいですから、自由社の取り上げ方は「画期的」です。善阿弥の名前を書いているのは帝国書院と自由社だけです。
「つくる会」は「同和団体が裏検定を行って、採択に圧力をかけている」と批判してきました。その「裏検定」のチェック基準の9番目に「民衆文化(芸能、造園など)が、身分の低いとされてきた、散 所、河原者のあいだからおこったことが記述されているか」というのがあります(つくる会HPより←クリック)。クリアしてます。おめでとうございます。
続いて江戸時代の「えた・ひにん」に関する記述です。
<自由社版>【きびしい差別の側注】差別の理由の一つは「死」に関する不吉なイメージや仏教思想の「殺生の禁」にあったといわれる。いずれにしても現代にあっては、まったくの迷信である。(p108)
<扶桑社版>(なし)
河原者の側注にもありましたが、いわゆる「ケガレ意識」論です。部落差別の根底が「ケガレ意識」かどうかは部落史の研究家の間で議論があるようで、自由社以外では帝国書院と日本文教出版(旧大阪書籍)しか触れていません。「つくる会」が、というか中学校の歴史教科書がなぜここに深入りするのかは不明です。
少し専門的になりますが、被差別部落の起源はかつては「近世政治起源説」が主流でした。「江戸幕府が農民や町民の不満をそらすために、より低い身分を作った」という説明でしたが、今ではあまり言われなくなっています。扶桑社版は江戸時代のところで、 えた・ひにんとよばれる身分が「置かれた」と書いているため、「近世政治起源説」だとして部落史の研究家から批判を受けています。自由社版はその部分の記述は同じなのですが、「近世政治起源説」を薄めるため、近世の部落の前提として中世から被差別身分があったということを強調したのでしょうか…。まあ、そこまで深く考えているとも思えませんが。
部落関係で付け加えると、大正時代の水平社宣言の一部抜粋(p187)で冒瀆が「冒涜」になっています(扶桑社版は「冒瀆」です)。これは連載の<中>で紹介した森鷗外が「森鴎外」になっているのと同様、非常に違和感があります。
同和団体が裏検定を行っていると言っていた「つくる会」が、なぜ部落史の記述を大幅に増やしたのか、「裏検定」を意識しているのか…真相は分かりません。
(つづく)