3 「サヨク」または「ウヨク」の思想①――福田和也
小林のこの、朝日も産経も文春も一緒にする十把一絡げぶりを見て、笑う人もいるだろう。だが、私はこの認識は的確だと思う。私からすれば、十把一絡げにされた「サヨク」は、そのまま「ウヨク」と言うべき存在である。この「サヨク」であり「ウヨク」である人々の信条の最大公約数は、以下の言説に端的に示されている。 「日本国憲法には、戦争から日本人が得た実感がこめられていることも否定できない。 このことは、日本国憲法を批判的にみて、改めるべきだと考えている改憲派の人たちにこそ、真面目に考えてほしいと思う。 僕も、個人的には、今の憲法を変えるべきだと思っている。だからこそ、このことは深刻に受けとめているよ。 もしも憲法を変えるのならば、そこに一定の内実のごときものを与えてきた、戦後日本人の、平和への意志をどのように受けとめるのか、憲法が担ってきた、祈りのごときものを、どのように自分たちで担えるのか、真剣に考えなければならない。」(福田和也『魂の昭和史』小学館文庫、2002年237頁。単行本初版は1997年。強調は引用者、以下同じ) 「経済成長がすすむにつれて、かつて日本社会を悩ませていたいろいろな問題が解決していった。 農村の貧困、労働者の失業、地方と都会の格差、医療、教育の機会不平等、封建的な家庭の抑圧といった、近代日本がずっとかかえてきた課題が少しずつ解消されていく。 これは、戦後日本のたいへんな達成だ。たしかに日本は、国際的に見ればあいまいな位置にいたし、戦前の日本人がもっていたような理想をなくしてしまったけれど、このようにバランスのとれた社会を実現した民族は世界中どこにもない。その点は誇るべきだと思う。」(同書、264頁) 今の『世界』や『金曜日』に載っていても何の違和感もない文章である。戦後日本は、「憲法9条」(の精神の)下で、平和的な経済発展をとげ、誇るべき豊かな社会を築きあげた「平和国家」であるという認識。 こうした認識が虚偽であることを示すには、前にも引用したが、「日本が本格的な軍隊を保有しなくても「平和体制」を維持できた理由は、アメリカの対アジア戦略に組み込まれ、米軍基地の75パーセントを沖縄に駐屯させ、また韓国が日本の戦闘基地あるいは「バンパー」としての役割を引き受けたからである。言い換えれば、周辺諸国が軍事的リスクを負担することによって、戦後「平和体制」が維持できたのである。わかりやすくいえば、韓国の厳しい「徴兵制」は日本の「軍隊に行かなくともいい若者の当たり前の権利」と関連しあっているということである。」(権赫泰「日韓関係と「連帯」の問題」『現代思想』2005年6月)という言葉だけで十分だろう。ついでに言えば、渡辺治らが言う、1960年代以降の日本の、企業社会的統合に基づいた小国主義路線なるものも、韓国の軍事独裁政権成立(1962年)とワンセットであって、それを再評価するのは馬鹿げている。 上の福田の文章で語られている「平和への意志」「祈りのごときもの」は、日本の加害責任には思いが及ばないものであり、安保体制の一角を占めることによって周辺諸国への軍事的脅威となることや、朝鮮戦争・ベトナム戦争等に荷担したこと、周辺の軍事独裁政権を支援してきたことを問い直す姿勢とも無縁のものである。それら抜きでは「戦後日本のたいへんな達成」はありえなかったのだから。 福田は、上のような文章を一方で書きながら、周知のように、右派の代表的な論者であり、以下のような発言までしている。 「べつにオレは、特別にというか本質的な理由で(注・首相の靖国参拝に関して)八月十五日にこだわっているわけではないですけれどね。でも、○ャンコロがいやがって騒ぐから、大事なわけだ、政治的に。/いずれにせよ、何日にであろうと、日本の総理大臣が、靖国神社に行けば、チャンさんは騒ぐんだから。」(『俺の大東亜代理戦争』ハルキ文庫、2006年8月、65頁。単行本初版は2005年9月) 「この間、サッカーのアジアカップで、日本チームに失礼なことをしたチ○ンコロがだいぶ沸いたけれど、あれも、結局は政府に踊らされているわけだ。」(同書、69頁) こうした文章は、上のような「サヨク」的認識と「二枚舌」なのではないと思う。共存可能なものなのである。 (つづく)
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