日本プロレス界の頂点に君臨する現役レスラーで、プロレス団体「ノア」の社長を務める三沢光晴さん(46)が13日午後8時45分ごろ、広島市の広島グリーンアリーナで行われた大会の試合中、相手の技を受けて頭を強打。心肺停止状態となり、広島大学病院に救急搬送されたが、広島県警によると、同10時10分に死亡が確認された。三沢さんは1981年、故ジャイアント馬場さんが率いた全日本プロレスでデビュー。2代目タイガーマスクとして人気を獲得し、素顔となった後もエースとして活躍。00年のノア旗揚げ後もマット界のトップを走っていただけに、衝撃は大きい。
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三沢さんはノアの広島大会のメーンで午後8時10分ごろ始まったタッグマッチに出場したが、約30分後、相手選手が背後から抱え上げて後ろに倒れ込む技「バックドロップ」をかけられ、頭を強打。意識を失い、試合はレフェリーストップとなった。
三沢さんはすぐに病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。広島県警は試合関係者らから事情を聴き、当時の状況を調べている。
目撃した選手は「バックドロップをくらって何も言わなくなった。AEDをやったり、救急隊員が来ても全然リアクションがなく、ピクリともしないまま担架で運ばれた」と証言。病院で対応した団体広報は「(死亡)原因は不明。それ以上は分からない」と語った。ホテルで待機していた選手は大黒柱の訃報(ふほう)に衝撃を受けた。
バリバリの“4番打者”を襲ったまさかのリング禍。関係者は、これまで三沢さんが長年の蓄積疲労で満身創痍(そうい)だったことを明かす。特に首の古傷は深刻で「だましだまし試合を行っていた」という。全日本時代は小橋、田上、川田と「四天王プロレス」と呼ばれる完成度の高い試合を展開。相手の危険な技をすべて受けきる高度な受け身が信条だった。1981年のデビュー以来、その疲労が蓄積していたのかもしれない。
今年5月の日本武道館大会で制したノアのタッグリーグ決勝では、パートナーを務めた若手の潮崎豪に試合の主導権を譲っていた。三沢さんはあまり印象に残る攻防に参加しておらず、その時点から、体調が悪かった可能性も推測される。
90年6月12日、新日本の福岡国際センター大会。バックドロップを受けた馳浩が一時、心肺停止状態に陥ったことがあったが、その後、復帰している。関係者は“奇跡”を信じたが、その思いもかなわなかった。
ノアの広報担当者は14日未明の時点で、本紙の取材に対して「(今後の対応は)まだ分かりません」とし、14日に予定される博多大会開催について「役員会を緊急で開いている。まだ結論は出ていません」と語るにとどめた。また、ファンに対しては「10カウントゴングでみなさんに報告したい」とした。
突然、逝った、日本が誇る希代の名レスラー。あまりにも突然の衝撃だけが強く残った。