スイスの一日。
June 15, 2009
今年は、国際会議やあたらしいクライアントのために、スイスに行くことが多い。
バルセロナからジュネーブまで飛行機で片道70ユーロ、1時間20分でいけるのも都合が良い。
金曜日の朝にスイスに行って終日仕事をし、
そのまま週末を、表面的にはとてもキレイなスイスでゆっくり過ごすのが楽しい。
友人も少しづつ増えてきた。
スイスの休日は、本当はキレイな写真だけにしようかと思ったが、
あまりに友人の話が面白かったので、さわりだけ少し書くことにした。
昨今のスイスの話題は、日本人による13兆円を超える債権密輸がイタリアで発覚。
イタリアの新聞では、「日本から埋蔵金が贈られてきた!」と書かれているそうだ。
そのまま「マイゾーキン!」となどスイス人はわかったように言う。
「MY雑巾」との違いを話したら、爆笑していた。
受け取る側に近いスイス人は、僕にこう教えてくれた。
「偽物であれば、知らならい人から郵送してもらう。
もし発覚しても、こんな差出人は知らない、一方的に送られてきた、などいくらでもトボけることができる。
本物であれば、絶対に肌身離さず持ち込む。
また、スイスは世界一の金融機関を誇り、
偽物であれば、持ち込んだあと発覚する可能性のほうが高い。
だから通常、偽物の債権はスイスに持ち込まない。
金額的にどこの国でも写真つきのトップニュースになったと思うが、
日本であまり騒がれていないのであれば、
それはしばらく規制もしくは自粛で、
いつしかニュースで「偽物でした」と堂々と言われることになるだろう。
または、情報のフェイドアウトを意図的に行うだろう。
いま、発行元の米国、現場のイタリア、そして日本で調整中なのだろう。
既に、捕まったはずの日本人は、こっそり釈放されている。
まず現在、先進国財務省首脳会談(G8)がイタリアで開催されている。
恐らくイタリアまで政府専用機で持ち込まれ、
官僚が陸路でスイスに持ち込み、換金しようとしたのだろう。
それほど急を要する必要があったのではないか。
選挙が近いのか、選挙後の資金か、北朝鮮への裏からの資金提供か、国債インサイダーか、その他の裏工作資金だろう。
また金額が半端だ。
こんな半端な金額の大金は、それだけで本物と言える。
この金額は、湾岸戦争の日本の出資金と同額、もしくはTARP残金と同額であるが、それとは限らない。
日本の歴史がひっくりかえるほどのなにかかもしれない。
表で換金すると、秘密裏の日米関係にまで発展しかねないので、
この債権を担保に、スイスの銀行とディールし、
現金を借りるのだろう。
恐らくは、額面の25%から5%程度。
そこまで日本は資金難に陥っている。
こんなことはよくある。
しかし、今回は金額が大きすぎる。
中規模国の国家予算に匹敵する。
実際1000件同ケースがあって、発覚するのは1件ぐらいだろう。
この1000倍のことが日常的にあると思っていただいて、間違いない。
だから、世界の政府はスイスの金融システムを全開示してもらっては困る。
困るのは、彼ら自身であるからである。
光もあれば、影もある。
すべてを光にさらすと、中和してすべてがダークなグレーになることを理解すべきだ。
それが人間であり、社会だからだ。
プロの運び屋であれば、絶対に複数に分けて、複数のルートを使う。
そして、直行便を基本的に使う。
すなわち、これは素人の仕事だろう。
本物を扱う素人、それは役人仕事だろう。
だから、発覚して困っているのは、日本国民へではなく、米国に対してだろう。
この時点のキーマンはイタリアなので、
日本がイタリアに特別なディールをして、表向き偽物でした、日本人ではありませんでした、と発表させるのではないか?
いまやアメリカも関与しているのは、間違いない。
それがいまG8の裏で話されていることだ。
問題はここではない。
イタリア国境からスイスに出国するときには、
基本的にシェンゲン条約国に批准する移動については、手荷物の検査など、まったくやらない。
スイス入国時ならまだわかるが、出国時に発覚というのは、まずない。
私自身も何十回と、同じ経路で入国しているが、ロクな検査をやっていない。
よって、内部告発ということになる。
これは、その資金の使用をめぐって、日本が目に見えない内戦であることの表れだ。
日本の影の部分が大混乱に陥っているのがよくわかる。
なにか大きな変化が訪れる前触れなのは、確かだ。」
スイス人の話はあまりに面白かったが、
この話の真実性がどれほどのものか、正直僕にはまだわからない。
この事件の上記のような多くの話は、ヨーロッパの新聞でも写真入り書かれている。
陰謀などではなく、現行犯だからだ。
そしてスイス人は、現在の情報の多くが真実とはまったく異なることを、歴史から知っている。
しかし、どんな映画にも13兆円搬送や換金のようなストーリーはない。
映画は映像を楽しむ物だけになったしまったのか!?
不況時にエンターテイメントは活況になるというが、本当にビジネスになるのか?
僕の興味は、こちらにある。
映画より垣間見える真実が桁違いに大きくなったとき、
現実の劇場性を僕は感じる。
9・11の時に、僕は多くのことを学んだ。
そして、キャストは自らがキャストであると気がつかないうちに、ステージにあがっている。
さらに時代は、キャストと観客を同じ意味にしている。
すなわちステージと観客席のフラット化である。
その劇場には楽屋とスタッフルームが必ずある。
メディアも多くの人の興味も、本来は語られなくてはいけない演目ではなく、楽屋にある。
演目は、気がつくと自分も出ているので、語れない。
だから、楽屋話ばかりとなる。
そして、スタッフルームがあることは、あまり知られていないし、多くの興味もない。
しかし必ずあるし、スタッフルームでは次の幕の準備が決して表には見えないように着々と行われている。
僕はいまの劇場を出て、少し離れた路地やストリートを自分の場所として、冷静に演目をみたいと常に思っている。