§古い同窓会誌から |
同窓会報 19 思い出二つ三つ 村上 五郎(1961)
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同窓会報 14 最後の自由 梅田 義孝(1958)
秋が深まり、数々の長編名作を読み耽り、友達と寮歌を歌ったり、語り合った寮の芝生にも、全体主義の増大と物資の欠乏は容赦なく迫り、急速に味気ないようになってきた。私は花木正和君に室長を譲って再び退寮した。
人口の多い國で競争試験は当然である。六三制でどれだけの長所が得られたか。東大、京大の期間に変わりはない。なれば旧制の長所も失っただけである。自由を教え人間を造る高等学校の実体が、再現することを私は望む。そして三高が復活するを待つや切。そのためには一高、三高の卒業生がノロシを上げ実現に努力するべきである。「紅もゆる」が名歌であるが故に、世上に歌われ、果ては私大の応援歌並に普及し、団体の替え歌に成り下がることを私は憂うる。日本に希有の尊い伝統の三高精神が絶えぬ間に、新しい世代の人材に伝えられ、彼等によって「紅もゆる丘の花」と歌われることを念じて已まない。(昭和19年9月・文丙卒)
(注)
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