ちょっとしつこいようですが、本日も鳩山邦夫前総務相をめぐり感じたこと、連想したことを書こうと思います。もうやめようと思っていたのですが、鳩山氏が昨日、福岡空港で記者団と交わした以下のやりとりのメモを読んで、やはり触れておこうと思いました。一言いいたいと。
記者 正義の人と、友愛の人とが組んで一緒にという可能性はあるか
鳩山氏 私、正義の人で友愛の人ですよ。同一人物です
…鳩山氏は再び自分のことを「正義の人」と明言しています。何かこう、人としての含羞に欠けるというか、たかをくくって世の中を甘く見ているというか、そういう印象を禁じ得ません。私は前のエントリで、自分の「正義」を強調する人は胡散臭いということを書きましたが、本日は前々エントリで取り上げた岸田秀氏と山本七平氏の対談本「日本人と『日本病』について」から、関連する部分を抜き出して紹介します。この本は昭和55年に刊行されたものですが、私の手元にあるのは平成4年に出たその文庫版です。
この本は、鳩山氏の発言について考えていて、そう言えば確かぴったりの解説が…と思い出し、本棚から引っ張り出してました。以下、ちょっと引用が長くなりますが、いま読み返しても非常に面白いと思います。まあ、人間の本質なんて旧約聖書の時代から何も変わっていないでしょうからね…。
岸田 やはりまだ、日本人は純粋な政党を必要としているんですかね。
山本 アメリカでは、たとえばニクソンでも教会に行けば純粋になりますよ。日本人から見たら奇妙に見えるかもしれませんがね。人間の社会というものは、現実から離れた非政治的な一個の場所を必要とするんです。そこに幻想を閉じこめておく。彼らにはそういう処理方法がある。共同幻想はもちろんあるにしても、それを政治の場へは持ち込まないのが原則なんですね。ところが日本の場合、ほかに閉じこめておく場所がないものだから、たとえば戦後は会社にまで持ち込んだり、あるいは新聞に持ち込んだりする。新聞の投書の選び方など、じつに純粋なものです。
岸田 近頃は、共産党が、純粋さを求める層の支持を引き寄せようとしているんじゃないですか。正義の味方共産党と自称したりしていますから。
山本 その純粋な正義が政治の場で機能しはじめると困るんですがねえ。
岸田 そうですね。国民が政治に純粋さを求めはじめると、恐ろしいです。戦前、政治の権力が、不純な政治家から純粋な軍部に移行したのも国民の期待に沿っていたわけで。
山本 東条さんなど、まじめで純粋でしたもの。
岸田 われわれ日本人は軍人が純粋であったことを忘れてはいけないんですよ。純粋な正義漢たちに国を任せた結果、どういうことになったかということをね。それ故に誤ったのだということを。
山本 そういえば、「正義」という観念も尊皇イデオロギーが持ち込んだ幻想ですね。官軍、賊軍、そこから天誅がでてくる。
岸田 天に代りて不義を討つ
山本 自分が天になっちゃう。これがもっとも残酷なことをすると、昔から相場がきまっているんだ。
岸田 その通りですね。「正義の味方」こそ、もっとも残酷に人を苦しめ、殺して恥じない連中ですからね。日本型の諸悪の根源の代表者が、国会に証人として呼ばれたときに、国会議員のくせにとは申しませんが、「本法廷では…」とやった人がいるでしょう。議長が「ここは法廷ではありません」と注意しましたけど、言い間違いというのは、もちろん意味があるわけです。彼は、まちがいなく正義の味方のつもりだったんですよ。ぼくなんか、「正義の味方」が「諸悪の根源」をいじめているのを見ると、すぐ「諸悪の根源」の方に同情してしまうんですがね。「諸悪の根源擁護協会」というのをつくりたいぐらいですよ。
山本 論争しているんじゃなくて裁いている。それで一たびその関係が百八十度転換すると、今度は全員が裁かれる立場になる。「裁判官と被告」という関係では、いつまでたっても論争や対話は期待できないということだな。しかも裁判官になる意識の背後に、何か法的なものがあるかといったらまるでない。
岸田 正義しかないんです。中国との関係では、以前はこちらに正義があった。その正義がピンポン玉のように、向こうに行ってしまったんですね。
山本 おもしろいことに、旧約聖書には、正義の味方ほどハタ迷惑なものはないという発想がすでにありまして、サタンというのは元来、正義の味方なんですよ。
岸田 そうですか。
山本氏 神のかたわらで人間の悪を告発するのが役目ですから。そして、この旧約のサタンの概念を引いているのがメフィストですね。いうなれば、神のそばにいる検察官。対するに、キリストは弁護士にあたるわけ。つまり、人間が正義を口にするときの動機は憎悪であるという洞察がそこにある。(後略)
…対談はまだまだ続くわけですが、あまり長々とそのまま書いても、どこからか叱られそうなのでこの程度にしておきます。二人の対談を改めて読み、鳩山氏の言葉に覚える違和感の正体がよく分かった気がしました。
ちなみに岸田氏が、「正義の味方」にいじめられている「諸悪の根源」に同情してしまうという話は面白いですね。関係ないかもしれませんが、私は幼児のころから、ウルトラマンや仮面ライダーのような正義の味方を応援したことはなく、常に悪役・怪獣側を応援する子供でした。「宇宙猿人ゴリ」の歌など、よほど繰り返し繰り返し聞いたらしく、40年近くたつ今でもある程度2番までは歌えます。さらに言えば、読売ジャイアンツを応援したこともありません。
話は飛びますが、今朝の産経「主張」は、「民主は『改憲』忘れたのか」と書いています。絶対護憲の社民党と連立を組む予定の民主党に対し、しっかりしろよと戒める内容ですが、そうは言っても…というところですね。実は、憲法改正問題に関しても、この岸田氏と山本氏の対談で興味深いやりとりがあったので、これまた紹介しておきます。
岸田 日本人にとって、なぜ憲法改正はタブーなんでしょうかね。
山本 これはもう精神分析の問題ですな。
岸田 精神分析から言えば、それを変えることがタブーであるという、そのことが、ニセ物である証拠なんですよ。神経症の患者の場合、意識的には偽りの理由を持っているので、その理由に断固として固執するんですね。つまり、ニセ物であるがゆえに、変えられないんです。また、現実にそれを守り、それにもとづいて行動しなくてもいいんですから、変える必要もないわけです。
山本 なるほど、なるほど。そうすると、日本国憲法はニセ物。
岸田 ニセ物という意味は、憲法が理念や原理として間違っているとかいないとかいうことではなくて、日本人の行動を決定している本当の法じゃないということです。
…明快ですねえ。社民党は連立参加の条件として民主党に、「例えば憲法審査会を動かさない、自衛隊を海外に派兵しない」(福島瑞穂党首)などの条件を突きつけていますね。そういえば、社民党の人たちも簡単に「正義」を口にしそうな感じだなあ。さてさて。
by 阿比留瑠比
「正義の人」を自称する鳩山氏…