きょうのコラム「時鐘」 2009年6月14日

 全国初の裁判員裁判が8月3日、東京地裁で開かれることになった。富山では8月末に、石川でも9月以降に初の公判が絞られてきた

そんな折、本紙「表層深層」に考えさせられる指摘があった。精神鑑定と責任能力の有無に関する模擬裁判を見た裁判官が、裁判員の意見は「市民感覚ではなくて、素人感覚だ」と頭を抱え「準備が整ったとはとても言えない」と漏らしたというのである

「市民感覚」は、世の常識とかけ離れがちになるプロ裁判官の感覚を正すものとして新制度で期待されている。一方の「素人感覚」は、時には感情的であり厳正な法律と矛盾することもある。が、両者は表裏一体のものだ

片方の良い所だけほしいというのは無理な注文であり、それこそ市民感覚からずれている。市民感覚にも表と裏がある。きれいな表側だけを採用して、司法改革が実現すると思うのは幻想ではないか。市民感覚を大事にしようと叫んで、素人感覚がはびこった政界の例もある

反面教師から学ぶことは多いが、もう時間はない。走りながら、ボタンの掛け違いを直して行く勇気がほしい。