時に西暦2015年。 「15年ぶりだね」 「ああ、間違いない。使徒だ」 どこか地下深くの某所で男達が謎の言葉を呟く。 彼らの心に渦巻くのはどんな思いなのだろう。それぞれが秘めた欲望と目的を持ち、そのためなら赤子の心臓をえぐり取る覚悟を固めている。 少なくとも、顎髭を生やした野太い声の男はそう思っていた。 数時間後、とある邂逅を果たすまでは…。 VTOLがアスファルトに激突し、頑丈なフレームがひしゃげる鈍い音とほぼ同時に、どす黒い炎が噴き上がった。 「うわああっ!?」 「きゃあああっ!」 突然の事態に悲鳴を上げながらも、その少年は背後の影をかばう。だが、盾になろうとしても、紅蓮の炎はそんな儚い抵抗事全てを呑み込む。と、思われた瞬間。 少年と炎の間にブルーの車体を煌めかせて一台のスポーツカーが滑り込んできた。 「ごめ〜ん、お待たせ〜♪」 炎が収まると同時に、ドアが開き中から1人の女性が顔を出してきた。 こんな状況にも関わらず、どこかお茶の間の会話のように軽い口調で話しかけてきたのは、サングラスを付けた黒髪の女性…彼が待ち合わせをしていた相手だ。 その女性はサングラスで見えない目で素早く少年を一瞥すると、躊躇することなく促した。 「碇シンジ君ね、乗って!」 まだ状況の把握が出来ず、戸惑ってはいたが素早く少年はドアの隙間に体を滑り込ませた。そして腰が落ち着くのを待たずに、手を伸ばして彼以上に戸惑っていた少女の腕を掴むと、引きずり込むよう引っ張り込んだ。 「きゃっ」 思いの外乱暴な成り行きに驚きの声を上げながらも、いつになく逞しく感じられる少年に胸がドキドキしてしまう。 そして自分が少年の膝の上に座っていることに気づいて、更に胸がドキドキする。衣服越しに体温を感じてしまってまた脈拍が早くなる。こんなに激しく密着するなんて、少女ならずとも戸惑ってしまうこと間違いなし。 「乗りました!」 少女が足を挟んでいないことを確認すると、少年は耳が痛くなるほど勢い良くドアを閉めた。そして焦りで血走った目をして女性に発進を促す。先ほどから町を破壊している巨人の足は、すぐそこまで来ていた。あと一歩で、この車ごと自分達は踏みつぶされてしまう。 「……………えっと、色々聞きたいことはあるけど、まずはとばすわよ!」 女性は非常に複雑な表情をしていたが、素早くギアを入れ替え、アクセルを踏みこんで凄まじい速度で車をバックさせた。そのまま素早くスピンターンでその場を駆け抜ける。 車があった場所を巨人の足が踏みつぶした。 |
突発的電波短編
愛、覚えていますか? 少し早めの 2nd Impression 書いた人:ZH
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「さっきは助けてくれて、ありがとうございます」 「そんな、当然のことなのに…。それより、君に怪我が無くて本当に良かった」 ハンドルを操作しながらサングラスの女性……特務機関ネルフ所属葛城ミサト一尉は苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をしていた。 何を言えばいいのか、それが脳裏に浮かぶようで浮かばない。なんとももどかしい。 ちらり、ちらりと横目で助手席に座る少年少女の様子をうかがいながら、彼女は考えあぐねていた。当たり障りのないことから話すか、それとも少女のことから聞いてみるか。 戦いの音は遙か遠く、山一つ向こうで当分ここまで届くことはなさそうだ。 多少意識を運転から逸らして質問に回しても、これなら問題ない。 (よし決めた) 「ね、ねぇシンジ君」 名前を呼ばれて、ビクリと少年…碇シンジが体を硬直させる。 「あ、はい。なんですか……その葛城さん」 「ミサト、で良いわよ。ん〜と、それでさあ、ちょっち聞きたいんだけど」 「は、はい」 声も語尾がかすれぎみで気の弱さを感じさせる。名前を呼ばれることに慣れてないのか、その表情は憂いを帯びている。気弱な少年は扱いやすいのかそうでないのか。じっくりと咀嚼するようにミサトは少年を見つめる。 ともあれ、今は少年自身のことより確かめなければならないことがある。 「あのね、だいたいわかってると思うけど…」 「はい…」 「その子、誰?」 ミサトはシンジに背中から抱きしめられ、小さくなっている少女に複雑な視線を向けながら言った。 確か呼び出したのは、総司令の子息である『碇シンジ』少年だけだったはずだ。彼以外の誰かが来る ――― 親類や育ての親なども ――― 予定はなかった。だとしたら一体誰だというのか。 鞘に収めた刃のような目をして、つまりいつでも臨戦態勢になれる構えでミサトは少女を見つめた。見たところ、シンジの学友のようにも見えるが油断は出来ない。 「わ、私ですか?」 まるで罠にかかった野ウサギのように、ビクビクと怯えながら少女はタダでさえ小さい体を更に小さく縮こまらせた。親しみに隠した剣呑な気配を敏感に感じ取ったのか。 長く艶やかな黒髪が不安と共に揺れる。そんな彼女を落ち着かせるように、優しく、だがしっかりとシンジは少女の肩を抱きしめた。 少女はほんの少し戸惑ったような目をするが、すぐに安堵した目をしてシンジの腕に手を添える。 「彼女は、その、第2東京の幼なじみ…です」 「幼なじみ?」 「はい、4歳の時からずっと…一緒だった」 「ふ〜ん、幼なじみね。名前はなんていうのかしら?」 ミサトの言葉を待っていたように少女は小さく、ぼそぼそと呟くように答えた。人見知りをするけど、人とのつながりを拒絶している訳じゃない、そう言う感じがする。恐怖しつつも、人とのつながりを望んでいる…。 「私は……山岸マユミです」 記憶野を検索するが、そう言った名前に心当たりはない。いや、なにか聞いたことがあるようなないような。そんな名前を聞いたのはどこだっただろう。 彼女の疑念を感じ取ったのか、補足するようにマユミは言葉を続けた。 「シンジ君が住んでいた家の、隣の隣の家に…住んでました」 なるほど、確かにこれ以上はないくらいの幼なじみだ。 どこかの組織の回し者ではないかという疑念が完全に払拭されたわけではないが、とりあえずミサトは肩の力を抜く。 「もしかしたらシンジ君の彼女? やるわね、それじゃああの写真は余計だったかしら」 あの写真とはもちろん、確認用として手紙に同封しておいた刺激がちょっと強い生写真である。言葉にしないが胸元はもちろん、太股もかなり自信がある。 「ち、違いますよ! 僕なんかに彼女なんてそんな」 「…あうっ。そんなはっきり、否定しなくても」 「ナチュラルに惨いこと言うわねシンジ君て」 「え? どういうこと…です?」 端から見てもマユミがショックを受けたことが手に取るように分かった。 かなり可哀想かも。なんか今にも泣きそうだ。 ともあれ、こんな初々しくてわかりやすい反応をするなら、スパイと言うことはないだろう。 「いやまあ、それは今はどうでも良いんだけど。 聞きたいのは彼女のことよ。 なんだってまた一緒にここに来たの。お父さんからの手紙についていた切符、1人分だけだったでしょう?」 「ええ、そうです」 それだけ言うと、勝手に捨て犬を拾ってきたみたいな顔をしてシンジは俯いた。同じく少女も俯いた。自分でもまずいことをしたという自覚があるのだろう。 「………すみません。勝手なことをして、皆さんにご迷惑を掛けて。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいシ、碇君。ごめんなさい…かつ…ミサトさん。 本当に……ごめんなさい」 「そんな、君が悪い訳じゃないよ。不可抗力だよ。 あんなことが起こるなんて、そんなことが分かるはずがないじゃないか」 「碇君は私を、責めないんですか」 「責めるだなんて、そんな! 君は何も悪くないよ」 「碇君、碇君、碇くぅん」 「まゆ…山岸さん」 バカップルだ! ミサトは銃口を突きつけられたときと同じくらいに戦慄した。 なんかやばい。何がやばいって、そりゃあんた決まってますよ。 このピンク色の空気のことですってば。なんて言うかドピンク。 こらこら人目もはばからず抱き合うな、と言うか私の存在覚えてますか? (ちょ、ちょっちやばいわこの子達。この年にして…!) 最近の中学生は…と数千年前から言われている事をミサトは考えた。 2人の余人の立ち入る隙を与えない雰囲気に飲まれる前に、ミサトは2人の会話を遮る。 「ちょっとストップ。順番に、何があったのか、幼稚園児にも分かるように教えてちょうだい」 「は、はい。その…実は」 ――― 早朝 ――― 人気のない早朝の駅。少し強めの風が衣服や髪をなぶる中、2人は無言で向き合っていた。 「行って……しまうんですね。もう、この町には帰ってこないんですか」 「うん。そうだと……思う」 ただちょっと顔を見るだけのつもりなら、あんな手紙を送ったりするはずがないから。 それに、手紙を受け取って早速、『先生』達は色々な準備を進めていた。部屋の処分、シンジがいなくなった後、父からの援助はどうなるのか…そんな、くだらないことを相談していた。 シンジを小馬鹿にし、邪険に扱っていても…内実、彼を養うことで得られる援助に頼り切った生活をしていた。今後の彼らがどうなるか…もはやどうでも良い。 この町に、この町の住人に、彼は何の愛着も持っていなかった。 ただ一つをのぞいて。 「………もう電車がくる。ありがとう、今までいろいろ」 「そんな、私の方こそ、いつも、し…碇君に、助けてもらったのに」 彼女のことが唯一の心残りだ。 いつ死んでもいいと思い、そんなことを作文に書いたりした自分だが、それは本当は嘘だ。いつ死んでもいいなんて…。 周囲の世界…つまり他人からいじめられ、無視され続けてる自分たちはいつもお互いをかばいあってきた。たとえ世界が自分たちを蔑ろにしても、お互いがいればなにも辛いと思わなかった。 恋愛感情とは少し違う。兄弟姉妹がお互いを思い合うような感情だ。 (僕たちはあまりにもよく似ていたらから) だからこそ、侮蔑の対象が一人減ったこの町で彼女が受けるだろう運命を思うと、自分の体が引き裂かれるように心が痛む。 心を見透かしたように、マユミが言葉を紡ぐ。 「でも、行かなくちゃ」 「うん。でも、僕は…」 遠目にこちらに向かってくる電車の車体が見える。 こうして、会話ができるのは後何分もない。 永遠に続くと思っていたけれど、それも、もう…。 漠然とした予感だったが、シンジはもう二度とマユミには会うことができないだろうと思っていた。そして新しい世界で、新しい他人との生活が始まる。 「怖いんですか、お父さんが」 「そうだね。そうかもしれない。僕は父さんと会いたいと思う一方で、父さんが凄く怖い。違う、父さんが怖いんじゃない。父さんと一緒にいることが、親子になることが怖いんだ」 「……お父さんが嫌いなんですか」 「嫌いだよ。ううん、嫌いなんだと思う。だって血がつながってるだけで、僕の家族じゃないから。僕の家族は、僕が一緒にいて欲しいのは」 何か言ったと思うけれど、それは自分でも思い出せない。電車が止まった音にかき消されたから。 そして催促するように、シンジの背後で両開きの扉が音を立てて開く。 ほんの数歩後退。それでシンジはこの町の人間でなくなる。 恐ろしい他人しかいない町へ旅立つことになる。 (そう、僕は……父さんだけじゃなく、人間みんなが嫌いだ。他人が怖いんだ。でも、人は一人では生きていけない。誰かが必要なんだ) その、他人でない誰かだった人と離ればなれにならなければならない。 行った先で新しい、他人でない誰かができるのかもしれないけれど。 でも、でも。 (山岸さん) 長い髪を風になぶられ、なんとか乱れを押さえようと四苦八苦している。 こんな時、自分がいつも助けてあげていた。そして自分もいろいろと助けてもらっていた。 『まもなく列車が発車します。お乗り間違えのないよう、ご注意ください』 無情なアナウンスが響く。 「じゃあ、行くね」 「はい。向こうでも一生懸命踏ん張って、一生懸命頑張って…ください」 髪の乱れを直してやると、嬉しそうな、それでいて寂しそうな目をしてマユミが自分の顔を見返した。 いいのか。本当に。 何度も何度も考えて考えて自問自答した。でも答えなんて出るはずがない。 (僕は、僕は…っ!) 『扉が閉まります。ご注意ください』 まだ躊躇している自分の胸に暖かい手のひらの感触を感じる。躊躇いながらも力強い。 「逃げちゃ…だめです」 そう、逃げちゃだめだ。彼女を意識するようになってからの自分の座右の銘。逃げて無気力なだけでは、いつまでも負け犬のまま。見下されたまま。逃げずに戦わなければ行けないときもある。そうしないと、自分だけでなく大切な人も巻き込むことになるから。 「まゆ…山岸さん」 胸に顔を埋めるマユミの頭は小刻みにふるえていた。 (泣いている…?) 本当は自分より怖くて不安だけど、でも、自分ためにその感情を押し隠して。 そんな彼女の心に報いるために。 「………いってきます」 「いってらっしゃい」 力強く一歩を踏み出す。ホームの石畳から電車の床へと。 振り返ると、マユミが涙が僅かににじむ赤い目をしてこっちを見ていた。ただし、息を感じるくらい至近距離から。 え? 至近距離? 「あ、あの。その、忘れてました。 これ…一生懸命作った、お弁当です。お昼になったら…その、食べてください」 そういう彼女の手には、先ほどから気になっていた小さな包みが。微かに感じる海苔のにおいから判断して、きっとおにぎりだろう。 って、そうじゃなく。 「ちょ、山岸さん! 電車、電車が出ちゃう!」 「えあ? そ、そうでした。私ったらなにしてるのかしら。って、ああっ!?」 無情に(?)扉が二人の目前で閉まった。そしてガクンと車体が揺れ、二人だけの乗客を乗せて電車は走り始める。 ガタンゴトン、ガタンゴトン…。 「ど、どうしましょうか? 私、見送り用の切符しか買ってないのに、電車に乗っちゃうなんて」 困る部分が違うと思うけど彼女らしい。 「とりあえず、次の駅に着いた時に考えよう」 (久しぶりに見た。彼女のあわてん坊なところ) その深窓の令嬢然とした身ためと雰囲気によくだまされるけど、本当の彼女は…。 自分しか知らない彼女の一面と慌てふためく様子に心和む物を感じつつ、シンジは暖かい笑みが浮かぶのを止められなかった。 「…でも、この電車、第三新東京市まで止まりませんよ。1時間くらいかかります」 「そうだね。完全自動制御で車掌がいる様子もないし…」 でも本当は好都合だと思った。 これで少なくとも、別れの時が後1時間は引き延ばせるから。 「とりあえず、座ろう」 「は、はい。その、隣…良いですか?」 「というわけで一緒に電車に乗っていたんですけど、途中であの怪獣騒ぎがあって電車が止まってしまって。 途方に暮れていたところにミサトさんがきてくれたんです。 って、あれ? どうしたんですかミサトさん。突っ伏して」 「話に呆れたのと、あと、さっき遠くでN2地雷が炸裂したからよ」 そういえば確かにそこら一面が火星みたいに荒れ果てているわけだ。 よく見れば遠くにキノコ雲が。 グルングルン世界がひっくり返ったような気もするし。 「ああ、だからこの車、天地が逆転してるんですね」 いちゃいちゃするあまり周囲の状況に気づいていないシンジの言葉に、ミサトは奥歯にヒビが入る音を、確かに聞いていた。 「その子がサードチルドレン…そっちの子は誰?」 「あ、やっぱり聞いてくる?」 「当たり前でしょう!」 目の前でミサトが怒鳴られてる光景に、シンジとマユミは言葉もない。 金髪で水着に白衣という珍妙な格好にも関わらず、その強い口調にシンジとマユミはともにこの人は怖い人だと認識していた。つまり、絶対逆らってはいけない、と。 「いや〜その、成り行きでここまで連れてきちゃって。で、今更ここで帰れとか言うのも何だと思ったし〜」 「ネルフは機密の固まりだってことを理解してるのあなたはっ!?」 「わかってるけど〜。でもどうせ公然の秘密ってことになるっしょ」 しどろもどろに良いわけをするミサトと、彼女に詰め寄るリツコ。リツコの怒りも宜なるかな。 これが結構いつも通りの光景だとシンジが知るのは少したってからなのだが、今はただミサトが責められてることでものすごく申し訳ないと考えていた。 つんつん、と控えめにシンジの袖が引っ張られる。 振り返るとシンジに負けないほどおどおどした表情をしたマユミだ。 「やっぱり怒られてますね」 「そりゃ…ね。本当は僕だけでないといけなかったみたいだし」 「まだ遅くないから、私、やっぱりどこかの部屋で待たせてもらった方が…」 「駄目だよ。ミサトさん達の話だと、あの使徒って怪獣はもうすぐ上に来てるらしいよ。いつここも壊されるかわからないって」 「ええ、だけど…」 なおも気弱なことを言おうとするマユミだったが、その言葉は途中で飲み込まれた。 ぎゅっ…。 強く、少し痛いくらいに手が握りしめられている。 そして目の前には…。いじめられてる自分を助けるために『おじさん』の息子、つまりは自分のイトコに詰め寄った時の目をしたシンジの顔があった。 「あ…」 「駄目だよそんなの。駄目だよ。ここまで来ちゃったんだ。上は絶対安全とはいえないんだ。さっきからズシンズシンって揺れてる」 「でも、絶対安全なところなんて」 マユミの頬が紅潮し、漏れる呟きが微かにうわずったようになる。 「…わかってるさ。そんなところ、ないって。 でも、僕は、君が」 「……………というわけよ。わかった? リツコ」 「ええ。よぉ〜くわかったわ。確かに無理そうね」 ミサトの説明以上にわかりやすい光景が目前で展開されていた。 「わかってくれた? さすがは親友。心強い限りだわ」 「最近の中学生って…。それともさすが司令の息子って言うべきなのかしら」 そんなことを言いつつ、こっぱずかしい二人を見るミサトとリツコの目は厳しい。 ミサトはもう慣れているが、初見のリツコの顔は苦虫を千匹単位で噛みつぶしたような顔になっている。 (中学生なのにっ!) 確かに二人をどうこうするのは大変そうだ。なにより時間がかかりそうだ。強引にマユミを別室に待たせると言うこともできるが、そうなるとシンジが協力的になるかどうかわかった物ではない。 シンジにはできる限り協力的で、かつ気持ちよくアレに乗ってもらわないと行けないのだから。 「仕方ないわね」 「良いのリツコ? いや、私が言うのも何だけどさ」 「まあ良くはないわ。でも見方を変えれば、彼女がいればシンジ君も説得に応じやすいでしょう」 「あなたまさか…」 ミサトの言葉にリツコは答えなかった。 無言であってもリツコの背中は語る。 場合によっては人質にできる…と。 厳しく冷徹な横顔をリツコは見せていた。半分やっかみが混じっているようにも見えたが。 (それにしても山岸…ね。フォースチルドレンの再有力候補がそんな名前だったわね。ふふ、まさかそんな偶然が) 「久しぶりだな、シンジ」 「父さん」 3年ぶりの親子の出会い。 それは両者の予想通り、心温まる物とはならなかった。 おろおろとマユミが、痛々しい目でミサトが、素知らぬ顔でリツコが見る中、シンジとゲンドウ、二人の碇の男の視線は複雑に交錯していた。千の言葉に匹敵する意志の交換が行われているようだ。ミサトはそう思った。 もしかしたら、シンジは初号機に乗ることを拒絶するかもしれない。 ここに来てすぐの素人を乗せるのは無茶だということはわかっている。しかし、唯一の適格者であるレイは重傷でとても戦える状態ではない。どうしても、人類が滅びないためには、シンジに乗ってもらうしかないのだ。 どんなに無茶なことだったとしても。 だが自分たちはシンジを説得できるほど、彼に近しい存在な訳ではない。どんなに心に響く言葉を奏でても、それでシンジを説得できるとは限らないのだ。 「無理だよ、見たことも聞いたこともないのに、できるわけないじゃないか!」 こんなことを言って、拒絶するに決まっている。 「その娘は何だ。おまえの女か」 「女…って、そんな言い方しか出来なのか。 誰だって良いだろ、そんなこと。」 「そうだな。どうでも良いことだ。 今は初号機に乗れ、シンジ」 「わかった。乗るよ。僕が乗らないと、乗って戦って勝たないとみんな死んじゃうんだろ」 「そうだ。物わかりが良いな」 「シンジ君、逃げたら駄目よ。お父さんから、なにより……ってあら?」 「なにを言ってるのかね、葛城一尉。早く準備をしたまえ」 「え?」 なぜかシンジは異様に素直だった。握りしめられる拳は堅く、ゲンドウをにらみ付ける目にはこれ以上ないくらいの敵意を抱いていたが。 内心に忸怩たる思いがあるのかもしれないけれど、はっきりと乗ることを承諾していた。 (あ、あらら〜?) 横ではリツコがてきぱきと作業員達に指示を出し、初号機の機動シーケンスを進めている。 なんだか自分の居場所がない。 確か自分は、シンジがグダグダ嫌だ何だと言ったときの説得要員としてここにいたはずなのに。事実、シンジはとても素直に乗りそうな感じがしなかった。なんだかんだ言って拒絶して、恐らくあの司令のことだから『レイを乗せろ』とか、血も涙もないことを宣ったはずだ。 「ねえシンジ君」 「はい、なんですか」 「…凄くあっさり乗ることを承諾したけど、本当に良いの? あ、もちろん乗ってもらわないと困るどころじゃないんだけどさ」 ミサトの言葉を少し考え、首を傾げ、それから小さくうなずくとシンジは答えた。 「そりゃ怖いですし、嫌ですよ。あの父さんの言ったままに、このロボットに乗らないと行けないなんて。父さんの書いた図面通りに動いてるなんて」 つまり、ゲンドウの言いなりになるのは死ぬより嫌だ、という訳だ。 「嫌なのに、何で乗るの?」 「だって、僕が乗らないと…人が死んじゃうんですよね」 「そうね」 人が死ぬなんて物じゃない。死ぬときは全部一緒だ。 そう、あの時南極を消滅させた第一使徒の再現が起こって人類は滅亡する。 「……僕は、いつ死んでも良いと思ってます。生きていたって、仕方ないから。生きているのか死んでいるのかわからないから。生きていても、誰も僕を必要としてくれないから」 そんないい加減な気持ちで! と怒鳴りそうになったミサトだったが、寸前その罵声を飲み込んだ。 シンジの目が、今まで見た中で一番の優しさをもって、タラップにいる小柄な人影を見つめている。 先程から成り行きについていくことができず、おろおろと頭上のシンジと、目前の初号機のマスクを交互に見ているマユミだ。一瞬、シンジと目が合ったことに気がついて嬉しそうな顔をするが、すぐに初号機におびえたような顔をしている。 「でも……それは嘘なんです。本当は、死ぬのが怖い。怖いんです。 怖いから、だから乗るんです。死ぬのが怖いから。みんな…が死んじゃうなんて、そんなの嫌だから」 ただのませたバカップルかと思っていたが、自分は表面的なところしか見てなかったのかもしれない。 「発進準備完了。シンジ君、エントリープラグに搭乗してちょうだい リツコに促され、エントリープラグの開口部にシンジは足をかける。 そして乗り込む寸前、ちらりとマユミに最後の視線を投げかける。 見つめられ、マユミの口が小さく動く。 「…いってらっしゃい」 「いってきます」 この二人は、そこらの恋人とか夫婦などよりもよっぽとお互いのことをわかっている。 悔しいけれどミサトはそう思った。 シンジとマユミ、この二人はお互い同士ではとても素直だ。だから今更、行かないでとか頑張ってとか、そんなことは言わない。 まるで朝に出かける連れ合いに言うみたいに、ごく自然に言葉を交わすだけで、それだけですべて分かり合えるのだ。 「LCL注入」 地上に射出され、使徒とにらみ合う初号機。 ミサトは初陣であることも忘れて、初号機の勝利を確信していた。シンジには負けられない理由がある。 (そう。シンジ君は彼女のために…戦おうとしている) 本来なら部外者のはいることのできない発令所に今マユミはいる。 モニターに映るほぼ実物大の初号機に、対峙する使徒に交互に視線を向けながら、今にも泣きそうな顔をしていた。別室で休ませるべきかもしれないけれど、戦いを見守ることこそが彼女のたっての希望だった。 「大丈夫よ。シンジ君は勝つわ」 そっとミサトはマユミの肩に手を乗せた。 ビクリと体をすくませるが、マユミは無言でその手を握りしめてくる。小刻みにふるえる。 「はい。信じてます。しん…碇君は、私とした約束を、破ったことはありませんでした。 シンジ君に会うまでずっと裏切られてばっかりだったけど、碇君は」 「そう」 「帰ってきます。そして『ただいま』って、言ってくれるんです」 「そうね。きっと…」 「エヴァンゲリオンリフトオフ!」 ミサト達は知らないが…。それは歴史の枝分かれ。あったかもしれないifの物語。 ほんの僅かな違い。たった一人の少女が、僅かに時間と場所をずらして彼のそばにいた。 それだけでなにもかもが大きく変わる。 彼は人を守りたいと思った。 シンジは勝つだろう。 人類は滅びはしない。 「どうしたね碇」 どうしたもこうしたもない。ってくらいガタガタブルブルとゲンドウは震えていた。面白がるようにゲンドウの副官である冬月は追求の言葉を続けた。 「圧倒的ではないかね、我らがユイ君。もとい初号機は。 ほれボディだ、チンだ。なんのこしゃくなアッパーだ」 あの素早い身のこなしと、圧倒的な攻撃を見れば見るほど、あの日々を思い出す! 彼女がゲンドウを『かわいい人』と言い放ったときは趣味は最悪だ…と思った。だが、あの後、どう可愛いのか教えられたときには。いや、確かに可愛かった。 (ふっ、このむさい男がなぁ) ユイ君、確かにこの男は可愛い男だよ。いや、正しくは『可愛がってやりたい』男だ。 ゲンドウが脅えるのもやむなしだ。だがだからこそ愉快だ。 この無駄にでかい男が哀れなほど体を縮めて。 「おお、そろそろ決着が付きそうだぞ」 ATフィールドを障子紙のように引き裂き、殴る蹴るどつくと好き放題やった後にくる技は。 腹這いになった使徒の背中に馬乗りになり、背骨を強引に反り返らせていく…! 「ユイ君得意のキャメルクラッチ。懐かしいなぁ、碇」 「冬月」 「なんだ」 「私は少し休む。いや、ちょっと旅に出る」 逃げる気だな。 「そうはいかん。おまえは最後まできっちりと見守らないといかんよ。息子と…彼女の戦いぶりを」 「いやだ。はなせ」 「誰が放すか。おまえはここに残ってきっちり仕事をしなければいかんよ! そもそも逃げてどうする!?」 「だって、見たらわかるでしょう冬月先生!」 明らかに苛ついているでしょうが! スクリーンに映る初号気はどこか狂気じみて…。 「10年ぶりの再会を楽しみにしていたんだろうな。言葉で伝えられなくても、ユイ君はたくさんおまえの息子と話したかったことだろうよ」 それが、再会したと思ったら隣に女の子が。 普通の親なら間違いなくとまどう。 そして理屈でなく、息子を盗られたと感じるはずだ。子供は親の所持品などではない。意志を持った一個の個人だ。そうとわかっていても、子供が一番好きなのは母親であって欲しいと思うものだ。 (その言葉にできない苛立ちと憤りをぶつけられる使徒が、まあ何というか哀れだよ) 「勝ったな」 初号機は引き裂いた使徒をやけ食いのようにむしゃむしゃと食べ始めている。阿鼻叫喚の地獄絵図に、階下では『うえっ』とか『ぐえっ』とか、『駄目です、もう見てられません!』とか柔弱な泣き言が聞こえてくる。 「まさかこの時点でS2機関を内蔵するとはなぁ」 「うううっ、冬月…。エチケット袋を持ってないか。ううおおっ」 「軟弱な奴だ」 いきなりシナリオがもの凄い方向に狂い始めているが、冬月にはやたら愉快だった。 漠然とした予感だが、既にゲンドウにもキール達にも予測できないほど事態は複雑になり始めている。既に裏死海文書の記述など当てにならないほどに。 (だが、だからこそ面白いと思わんかね。ユイ君) 筋書きの読めた話のなにが面白い? 未来はわからないからこそ、白紙だからこそ素晴らしいのだ。 それもたった一人の少女と、サードチルドレン碇シンジの仲が少々良いだけでここまで未来は混沌とした。 これからもっともっと話が面白可笑しくなることだろう。 天に向かって咆吼する初号機を見つめながら、冬月は口元をゆがませた。 そして世界は違った方向に流転する。 この世界がその後どういう歴史を導くのか…その答えは全ての人の手の中に。
To be continued ?
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