岩見隆夫のコラム

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サンデー時評:92歳と82歳の「叫び」を聞こう

 お年寄りが怒りっぽいのは、残り時間が少なくなったあせりのせい、と言われてきた。一種の老害扱いだ。私自身の言動を振り返っても、その傾向は確かにある。

 しかし、最近は必ずしもそう思わない。高齢者はしばしば鋭い。しばしば責任の重いポジションで働いている。あるいは働かざるをえない立場にある。

 二人の老人の叫びに耳を傾けたい。

 以前、当コラムでも紹介したことがある元東京都北区議の鈴木康史さん、九十二歳だ。長年、毎週のように警世のレターを書き続け、各界の人たちに送ってきた。五月二十四日付のレターでは、〈目ざすべきは挙国一致の筈〉の題で、鈴木さんはこうつづっている。

〈何の見識もない一野人だが、持てる国力のすべてを総括して、昭和三十九年の日本を再現したい。あの時の日本は素晴らしかった。東京オリンピックを実現し、必要な高速道路を完成し、新幹線を走らせるところまで、すべてが挙国一致の収穫だった。日本人はすべて愛国者だった〉

 挙国一致、愛国者は戦時中の用語に聞こえて、若い世代にはなじめないかもしれないが、大正生まれの鈴木さんの心情をくみ取ってほしい。

〈要するに国民のすべてが同調できる大目標を設定せよということである。幸いにして、次なる東京オリンピックの構想が打ち出されている。

 もう一つの目標は日本の再生にある。日本人のすべてを、正直、勤勉、律義な人間に生まれ変わらせることである。そうなれば、やがて世界中が日本人の在り方に共鳴してやってくる。夢のような話だが、これこそ日本人の誇りを回復するチャンス、昔の日本にバックすることを、新たな日本人の目標にせよ、とまた街頭に立ちたい気分である〉

 気がついてみたら、正直、勤勉、律義、という日本人の美風、財産が薄れ、利己的な社会になっている。もうひとつ、思いやり・いたわりを加えたい。

 政治、行政にもいたわりが乏しい。それに怒りを燃やしているのが平塚光雄さん、八十二歳だ。平塚さんは、五月二十二日に開かれた全国抑留者補償協議会(全抑協)の理事会で第五代会長に選ばれた。

 名誉職ではない。全抑協は、第二次世界大戦終結後、旧ソ連によってシベリアなどに抑留された人々が三十年前に結成した組織で、国に求めてきた補償は実現していない。平塚さんは、就任に当たって、

「これからが最後の戦いだ。奴隷のまま死ぬわけにはいかない。金は謝罪の証しである。額は問題じゃない。それに無賃で働くのは奴隷だ。国は我々が死ぬのを待っているんでしょう。しかし残った体力をすべて注ぐ。何だってやりますよ」

 と声は細く小さいが、断固として闘う決意を語った、と翌二十三日付『毎日新聞』の〈ひと〉欄が伝えていた。

 ◇残された短い時間。私たち後輩は大切に扱わなければ

 私も以前、平塚さんにお会いしたことがあるが、八十二歳の闘争宣言とは、なんともやりきれない。敗戦後、日本人約六十万人が抑留され、極寒の地の強制労働で六万人が死亡した。生存する元抑留者はいま十万人弱まで減ったと推定され、平均年齢は八十歳台の後半に入っている。だから、平塚さんは若手なのだ。

 平塚さんは、十五歳で海軍航空隊に志願した。朝鮮半島で敗戦を迎え、シベリアの炭鉱労働で肺を病んだ。三十年前から、喫茶店を経営しながら全抑協の運動を続けている。脳梗塞で二度倒れたが、政党、国への補償要求に駆け回ってきた。

 しかし、日本政府の対応は鈍く、労働賃金はほとんど払われていない。フィリピンなど南方で捕虜になった人は、連合軍が労働証明書を出したので、日本政府が賃金を支払ったが、シベリア組は旧ソ連政府が証明書を発行しないため、未払いのままだ。

 全抑協はやむなく司法に訴えたが、一九九七年に最高裁で敗訴が確定、立法による救済に方針を切り替えた。この三月、ようやく野党各党が抑留者に特別給付金(一人二十五万円~百五十万円)を支払う法案を参院に提出、全抑協は同法案の成立に最後の望みを託している。

 それにしても、戦後六十四年、政府はなぜこうも戦後処理に熱が入らないのだろうか。昨年四月の参院厚生労働委員会で、民主、共産両党がこのシベリア抑留者の補償問題を追及した時も、舛添要一厚労相は、

「自分の国の歴史についてきちんとした認識を持たない国民は滅びると言われる。私たちのいまの繁栄は、そういう大変なご苦労なさった先人たちの犠牲の上にあるわけだから、今後も真剣に取り組んでいきたい」

 などと前向きに聞こえる答弁をしているが、なんら実効は上がっていない。

 昨年暮れ、『毎日新聞』夕刊(大阪)に連載された〈シベリア抑留-帰還者と遺族の戦後〉の取材で、約五十人にインタビューした栗原俊雄記者は、

〈彼らはシベリアで失われた、人間としての尊厳を取り戻そうとしているのだ。後に続く世代に悲劇を伝えたいという強い願いも感じた。

 しかし、残された時間は短い。全抑協の寺内良雄会長(平塚さんの前任者)は、取材を申し込もうとした矢先の〇八年十月、肺がんのため八十四歳で急逝した〉(一月二十八日付『毎日新聞』記者の目)

 と書いている。

 残された短い時間、を私たち後輩は大切に扱わなければならない。卒寿を過ぎた鈴木さんの叫びと、平塚さんのぎりぎりの訴えはひとつのものである。

 鈴木さんは愛国者たれ、と言う。だが、国のために辛酸をなめた抑留者に報いようとしない政府と政治家、それを傍観してきた国民は、国を愛しているという資格がない。お二人とも、腹の底から怒っている。

 この国は一体感が失われかけているのではないか。

<今週のひと言>

 なぜこんなに簡単に人を殺すのか。理解不能。

(サンデー毎日 2009年6月14日号)

2009年6月3日

岩見 隆夫(いわみ・たかお)
 毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
 
 

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