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2009-05-25

[]一国史からでは見えない風景 06:52 一国史からでは見えない風景 - セイキキ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一国史からでは見えない風景 - セイキキ 一国史からでは見えない風景 - セイキキ のブックマークコメント

お前ら韓国が軍事独裁政権だった事実を忘れすぎ - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!

こちらで批判的に紹介されているコピペが、いかに韓国が(日本と異なり)政情不安な国であるか、あるいは、指導者の資質に問題がある国かを印象付けるため、それだけのために作成されたものであるのは明らかだ。

しかし、こうして日本と韓国と単に対照的に並べるのは、極めて非歴史的な観点だと思う。id:buyobuyoさんは、韓国がかつて軍事独裁政権だったことを指摘しているが、それは第二次世界大戦後の東アジア世界の構造と深く関わっている。

その大筋を以下に記す。日本は敗戦後、占領され、GHQにより非軍事化された。このとき、米国は東アジアでのパートナーとなるのは蒋介石の中国だと考えていた。しかし、1949年の中国革命により、この東アジア戦略は根本から覆される。

また、中国革命の成功は、北朝鮮による南進・統一戦争へと連続していく。こうした事態に対応して、非軍事化されたはずの日本では警察予備隊、さらには自衛隊が組織されることになる。日本では「逆コース」という言葉が生まれたが、反ファシズムと同時に反共を掲げる米国としては、非軍事化から再軍備への変化は「転換」というよりも、当然の帰結だとする見方もある。

こうして、日本は被占領・非軍事化状態から急速に対米講和に進み、日米安保体制に組み込まれていく(米国側にとっては、日本との講和後も米軍が継続して日本に駐留することが必要だった)。

これより先の1948年、分断体制下にあった朝鮮半島の南半分では、米国が分断体制の固定化につながる南朝鮮だけの単独選挙を実施しようとした。これに反対する左派や農民が、米国の後押しを受けた軍事独裁政権により弾圧・虐殺された(たとえば済州島4・3事件)。つまり米国は、反共政策を進めるために、韓国では独裁政権を後押しし、民主化を抑圧したのだ。

ベトナム戦争が本格化すると、米国の斡旋で日韓国交が正常化される。これも、日米韓による安全保障体制の構築を目的としていた。米国は韓国軍のベトナム派遣を必要とし、朴正熙政権も派兵により米国からの支援を厚くしてもらおうと考えていた。さらに米国は韓国への援助を日本に肩代わりさせようとし、日本は韓国への経済進出、漁業権問題解決を目論んでおり、米国に対して沖縄の早期返還を有利にする意図もあって、早期妥結を目指していた。

ちなみに、沖縄には敗戦後から現在まで一貫して米軍基地が置かれている。マッカーサー1947年、「沖縄人は日本人ではないから、沖縄に基地を置いても反対する日本人はいない」、「沖縄を米軍基地とすることは日本の安全を保障する」と述べている。つまり、本土の平和や安全は、沖縄を軍事基地化することによって保たれているのである。

このように、一国史の束縛から離れてみると、そこには米国の東アジア戦略や、東アジアの冷戦構造が浮かび上がってくる。

韓国政権の動乱やスキャンダルも、ある程度までは日本の見かけ上の安定・平和と一体不可分のものであり、日本側が一方的に批判したり、笑いものにできる類の問題ではないのである。


参考文献

戦後史 (岩波新書 新赤版 (955))

戦後史 (岩波新書 新赤版 (955))