岩見隆夫のコラム

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サンデー時評:お笑いタレントに丸投げのテレビ

 先日、ある雑誌の企画取材で橋本龍太郎元首相の長女、井上寛子さん(大分県別府市在住)にお会いした時に、寛子さんがこんな話をした。

「小学生のころ、父はほとんど東京にいて、週末に家(岡山県総社市)に帰ってくるんですが、そうすると父はNHKテレビの夕方七時のニュースを見ますので、私たち子供は同じ時間帯の〈まんが日本昔ばなし〉(TBSテレビ)が見れなかったんです。でも、八時になったら、ドリフターズは見てもいいというふうに……」

 橋本さんが厚相として第一次大平内閣に初入閣したのが一九七八(昭和五十三)年暮れで、そのころだという。寛子さんは小学校五年生だった。

 ザ・ドリフターズの〈8時だヨ!全員集合〉(TBSテレビ)が圧倒的人気を誇っていたのである。ドタバタだが、ただのドタバタでなかった。妙になつかしい。

 いかりや長介、加藤茶、高木ブー、それから仲本工事。志村けんが加わったのは少しあとだったか。あのころは日本の社会もまだほんわかとしていた。いまみたいにギスギスしていない。

 日本人の平均寿命が世界一になり、ゴルフやボウリング、ジョギングが盛んになった。たしか、歩行者天国なんていうのも始まり、戦後二回目のベビーブームは七〇年代初期だった。

 いまと違って、テレビのお笑い番組もコクがあったように思う。先月、『毎日新聞』の投書欄で、静岡県沼津市の五十三歳の会社員が、憤慨していた。

〈最近のテレビ番組は、つまらないと思う。出演するのは、お笑いタレントばかり。なかには業界内の話で盛り上がるだけの番組もある。これが延々と夕食時から夜、床に就くまで続くから、たまらない。

 思えば、昔のテレビ番組は面白かった。個性があり、夢があり、笑いがあり、感動があった。テレビ局側の工夫や熱意も感じ取れた。

 いまは、「バラエティーの時代」で、出演者ははしゃぎ回り、放送局のアナウンサーまでが大きな顔をして登場する。同じような番組を「またやってる」「まだやってる」「またでてる」と批判されても仕方ない。テレビ全盛時代を知る私にとって、寂しい限りだ〉

 まったく同感である。それなら見なければいいじゃないか、と言われそうだが、テレビの威力でなかなかそうはいかない。俗悪番組は見ないように心掛けてはいても、気がついたら見ていることが多いのだ。とにかく、お笑いタレントに丸投げしているような最近の安直な傾向はひどすぎる。

 ◇ドリフのコントは計算し尽くされた真剣勝負だったのだ

 同じお笑いでも、かつての〈8時だヨ!全員集合〉が終了して四半世紀たってもなお好印象で記憶されているのはなぜだろうか。いまのお笑いは瞬時に忘れてしまう。

 読売新聞芸能部編著の『テレビ番組の40年』(日本放送出版協会・九四年刊)によると、〈8時だヨ!全員集合〉は六九年から十六年間続き、平均視聴率二七%を記録した。七三年四月の五〇・五%を最高に、七〇年代前半には常に四〇%を超え、二〇%あれば「当たった」と言われるテレビ界で、お化け番組と呼ばれたのだ。

 長寿で高視聴率の秘訣について、番組の生みの親だった居作昌果TBS制作局長(当時)は、同書のなかで、

「千人以上入る会場での公開生放送という新しいスタイルが長持ちの理由だ。お客さんの反応が一目瞭然だから、独りよがりになることはなかった」

 と言っている。〈先生と生徒〉など何十回も演じたコントがある半面、大受けしたものでも、反応が鈍くなったらやめた。一見同じようなことを演じ続けても飽きられなかったのは、常に客席の反応をバロメーターにしていたからだという。

 企画の練り上げ、稽古に週四日かけた。メンバーの登場や退場の仕方、ズッコケる時の格好に至る細部まで、ザ・ドリフターズの面々とスタッフが延々と議論する。アドリブが多用されたように映っていたが、思いつきではなく、時間をかけ計算し尽くされていた。

〈ヒゲダンス〉とか、〈東村山音頭〉とか、いまも忘れ難いギャグだが、ギャグをめぐっては、リーダーのいかりや長介と居作さんがよく衝突した。いかりやは、そんな時、

「舞台に立つのは俺たちだ。TBS社員のあんたは、番組が失敗してもメシを食えるが、俺たちはすぐに降ろされるんだ」

 が決まり文句だったという。

 低俗批判も終始ついて回り、たたかれた。子供たちに圧倒的人気があったからで、品がいいとは言えない番組をわが子が大喜びで見入る姿に、世の親たちは眉をひそめたのである。加藤茶が、

「ちょっとだけよ。あんたも好きねー」

 で始めるストリップまがいの踊りは、

「あまりにも下品だ」

 と非難された。志村けんが、

「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」

 と歌うと、

「童謡の心をねじまげる」

 と放送中止の署名運動に発展した。人形の首をギロチンで切り落とすギャグには、

「残酷だ」

 と抗議が殺到した。笑い自体を低級とみる風潮が親の間にはあったかもしれない。しかし、いかりや長介は、

「決して子供向けには作らなかった。ただ、社会風刺のように、考えなくては笑えない〈不純な笑い〉ではなく、一目でおかしいドタバタに徹したから、子供でも楽しめたんでしょう。本来、笑いに大人向けも子供向けもない」

 と笑いの哲学を語ったという。 

 お笑い重視のフジテレビと激しく争い、〈8時だヨ!全員集合〉は〈コント55号の世界は笑う〉、ついで〈欽ちゃんのドンとやってみよう!〉を打ち切りに追いやったが、八一年に始まった〈オレたちひょうきん族〉に食われて消える、という運命をたどった。

 かつては真剣勝負だったのだ。いまは居作さんが言う〈独りよがり〉に陥っており、薄っぺら、このままではテレビは墓穴を掘る。

<今週のひと言>

 小・鳩の民主、はばたけるのか。

(サンデー毎日 2009年6月7日号)

2009年5月27日

岩見 隆夫(いわみ・たかお)
 毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
 
 

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