昔の人の言葉には味わいがあります。今の世相を見ればどうでしょうか。混乱、混迷する政治や経済、社会のありさまを古人の名言で解説してみました。
中国明代末期の洪自誠による人生指南の書「菜根譚(さいこんたん)」に次のような一節があります。
「人の小過(しょうか)を責めず、人の陰私を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず」
「人のささいな過失をとがめたりせず、人の隠しごともあばきたてたりせず、人の過去の悪事をいつまでも覚えたりしない」という意味です。言葉を換えれば、人を許す心とでも言いましょうか。
犬馬難し。鬼魅最も易し
同書が書かれた三百数十年前から現代ではどうでしょうか。人の小さな過失を責め立て、個人的な秘密を暴き、古傷に触れてはやし立てる。週刊誌の記事やテレビのワイドショーにはそんな事例があふれています。いやいや新聞だって変わらない、という耳の痛い指摘もあります。
泥酔して全裸になったアイドルグループの一人が逮捕されたときは、大騒ぎとなりました。スポーツ紙の一面を派手に飾った女性タレントの離婚劇もありました。単に読者のニーズに応えるという目的なら、それはそれで意味があることかもしれません。
こういう例を見ると、紀元前三世紀の「韓非子」に出てくるたとえ話を連想します。「犬馬難し。鬼魅(きみ)最も易し」。絵の上手な男に「何を描くのが難しいか」と尋ねると「犬や馬」と答えました。みんなが実物を知っているだけに、確かに描写も難しいのでしょう。
では「易しいのは?」。これに対しては「鬼魅(化け物)」と返事したそうです。化け物はどう描こうと化け物です。「だから描きやすい」というのです。
亡国の補正バブル予算案
芸能人の話題や尾ひれがついて派手に騒がれるニュースも似ていませんか。テレビなどのメディア社会は、ある意味で「化け物」の世界かもしれません。生の情報に演出や操作が加えられた一種の仮想現実だからです。
一方で、実際の犬や馬のように、冷厳な現実があります。新たな貧困層と格差が増えている。何年も続けて年間の自殺者が三万人を超える。世界経済の危機的状況はなお続き、北朝鮮は無謀な振る舞いをやめない。さらに正念場を迎えた地球温暖化対策などです。
これらは、個人レベルの小過でも陰私でも旧悪でもありません。小沢一郎民主党代表代行の違法献金事件も小過とは言えません。これを含め、いずれも社会的、組織的に解決が求められる問題ばかりです。いわば政治の出番なのです。その政治は具体的な手だてを打ち出してくれたでしょうか。否定的な答えにならざるを得ません。
例えば二〇〇九年度予算です。補正予算と合わせ規模は史上初めて百兆円を超えました。国債などの借金が税収を超えるという異常さです。すでに国と地方の借金残高は八百兆円を上回っています。財政的には破綻(はたん)寸前なのです。
政府が段階的に消費税率を12%に上げる必要があると試算したのも、財政再建への狙いがあることに間違いないでしょう。問題は予算の使い道です。本紙の取材記者たちが、雑誌「世界」で麻生内閣の経済政策を「亡国の『補正バブル』予算案」と批判しています。
「生活保護を受給している母子家庭に対する『母子加算』は本年度から廃止になった。年間二百億円の予算を削りながら、何兆円もの箱モノや基金をばらまくのは、選挙目当てでなければ世紀の愚策と言うべきだ」
社会保障政策で重要なことは、国民の給付と負担をどう区分するかの作業です。これには消費税を含む税制が深くかかわります。
国防や安全保障の問題では、明治以降の課題である米・中・日関係をどのように構築していくのかが最大のポイントとなります。
こうした税制や安保などの基本政策をめぐる戦いこそが、二大政党による政権選択選挙です。次の衆院選は、日本をどうデザインするかという点での政治決戦です。
しかし自民党も民主党も選挙対策ばかりに目が向き、財政にも外交、安保にも、踏み込んだ姿勢を見せていません。中国の古典「荘子」に「大勇は〓(さから)わず(争わない)」の言葉がありますが、ここはさらに議論を「〓うべし」です。
情熱と判断力を駆使して
そして何より肝要なのは政治家としての資質です。ドイツの社会学者できょうが命日のマックス・ウェーバーがこう言っています。
「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」(「職業としての政治」岩波文庫)
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