名前:渕 正信(フチ マサノブ)
生年月日:1954年1月14日
出身地:福岡県北九州市
身長:183cm
体重: 105kg
デビュー:1974年4月22日 対 大仁田厚
得意技:フェイスロック
バックドロップ 各種拷問関節技
タイトル:世界ジュニア アジアタッグ
入場テーマ:
デンジャー・ゾーン/『トップガン』

1974年2月、全日本プロレスに入門。
1989年10月20日からの第10代世界ジュニア王者時代には、14連続防衛の長期政権を確立。
ヘビー級のジャンボ鶴田、ジュニアへビー級の渕正信として一時代を築いた。
2004年の5・22後楽園大会では、天龍と組んでアジアタッグ王座を見事に奪取。
最近はスポークスマン、小説家、テレビ解説者としてリング外でもマルチな活躍を見せる全日本の重鎮だ。
 
 
 
 
 
御冥福を心よりお祈り致します。
2009.06.14

三沢光晴の突然の死に言葉も出ない…。ショックである。



彼との思い出はあまりに多過ぎる。



御冥福を心よりお祈り致します。



 
全く説得力ないねえ。(笑)
2009.06.13

 

昨夜はまた六本木で呑んでしまった。(笑)

hitomiで中田さんの61回目の誕生日を祝うため出かけた。

あ、年齢書いちゃだめだったか?(笑)

 

 

 

 

後より武藤社長と内田さんも来てくれた。

内田さんは、ここんとこhitomiは馴染みでよく来てるようだが、武藤社長は初めての来店。

店の雰囲気を気に入ってくれたようだ。

そして、その後に寺崎さんも来店。楽しい飲み会となった。

 

 

 

 

本日土曜日は京平ちゃんがhitomiで働く日。

先週同様プロレスファン始めたくさんのお客さんが来てくれそうだね。

 

 

 

 

中田さんとはもう20年のお付き合いをさせてもらっている。

これまで何度かあった全日本のピンチの時には本当力になってくれた。

私の我が儘も聞いてくれた。本当に中田さん、いつもいつもお世話になっております。

どうか、身体を大切にあまり酒を呑み過ぎないように…。

 

 

 

 

なんて俺が言っても全く説得力ないねえ。(笑)

昨夜も一緒に焼酎を呑んだ仲だから。(笑)

 

 

 

 

今日と明日は埼玉から母と妹、甥っ子らが来てのパチンコ三昧となる。

どうか勝ってくれよ〜!渕家の財政は切羽詰まっているんだから!

それにしても、今年の区民税高くないかあ?

 

 

 



 
ドライブの楽しみ
2009.06.12

 

夏が近付いてきたね。まあ、その前に梅雨だけどね。

みんな身体を焼くだろうなあ。

私はレスラー間では色白で有名だが、それでも20代から30代にかけて

よく日光浴はしたもんだよ。

 

 

 

 

当時は車も持ってたからドライブがてら海にもよく行った。

湘南、鎌倉にね。江ノ島には1度だけ行ったなあ。

 

 

 

 

今は呑む方を優先してるから車は持ってないし、ドライブの楽しみは人任せとなっている。

昔、砧に合宿所があった当時、よくそこから女の子を迎えに行ったもんだよ。

相模湖までドライブしたり石神井公園に行ったりね。

 

 

 

 

確かに車があればドライブ出来るからデートの行動範囲が広くなるよな。

かと言って今の私は免許は持ってるが、どう考えてもペーパードライバー。

今更自家用車は買えないし、やはり健康的な夜の生活が似合っているかな?(笑)

 

 

 



 
全く懲りてない!(笑)
2009.06.11

 

10日の武藤祭りは大盛況だった。お客さんも喜んでくれたようだ。

また暖かいお客さんだった。有り難いもんだ。

 

 

 

 

控え室で和田京平ちゃんと西村と互いのブログのことについて話した。

私のブログに対しては非難轟々である。(笑)

「ブログなら写真のっけろよ!」

「いい年のオッサンレスラーが金がないとかチケット代で食ってるとか

夢のないこと出すなよ!」

「文が長過ぎる!」

「ゆうさんの話はどうなった?」

といろいろ言われた。(笑)

 

 

 

 

確かに金がなくなったなんて書き過ぎたかもなあ。

まあ、こっちとしてはその時の気分をそのままブログにしてるからね。

話はあっちゃこっちゃと飛ぶのも我ながら仕方なしと思っている。

 

 

 

 

写真はなあ、撮ろうと考えてるんだが、見るとメモリーがないと出るんだよ。

なにかやり方があるんだろうが、わからない。

だが、ま、何と言われようとこれまで通りのブログで行くつもり。

非難轟々?面白い!(笑)

 

 

 

 

それで昨夜後楽園大会終了後呑みに行った。平日である。

六本木に出ないわけにはいかないだろう?(笑)

メンバーは猪瀬さん、寺崎さんに藤本さん。3軒回っていつもの朝帰り。

 

 

 

 

控え室での京平ちゃんの忠告が効いたか、今回は私も金を払った。

当たり前の事だが。(笑)最後まで付き合ってくれたのは寺崎さん。

本日私は休みだが、皆さん仕事がある。

猪瀬さんも藤本さんも深夜過ぎまで付き合ってくれた。

 

 

 

 

私は今ソファに寝転がってこのブログを出してるが、

昨夜付き合ってくれた3人は午前から仕事をしてるのである。

…これはまた京平ちゃんに一喝してもらうしかないかな?(笑)

 

 

 

 

だけど昨夜も楽しい飲み会だった。

このオヤジ(私の事)全く懲りてない!(笑)

 

 

 



 
ニックネーム
2009.06.09

 

荒法師、人間発電所、鉄の爪、魔王、黒い魔神、生傷男…。

誰のことかわかるかな?

 

 

 

 

順番でいうと、ジンキニスキー、ブルーノサンマルチノ、フリッツフォンエリック、

デストロイヤー、ボボブラジル、ディックザブルーザー、

昔、一時代を為した一流プロレスラーのニックネームだ。

 

 

 

 

日本のプロレスマスコミがつけたネーミングだが、よく考えたもんだね。

本当昔はレスラー名じゃなくニックネームで新聞の一面を飾り、

プロレスファンもその名で納得したものだ。

 

 

 

 

「人間発電所ついに来日!」「荒法師、馬場殺し宣言!」「馬場、魔王と激闘!」

なんてね。

それで馬場さんが誰とやったかファンはわかっていた。

 

 

 

 

他にもあるよね。鉄人、と言えばルーテーズ、神様カールゴッチ、

殺人狂キラーコワルスキー、人間台風ゴリラモンスーン、仮面貴族ミルマスカラス、

美獣ハーリーレイス、呪術師ブッチャー、怪人ザシーク、リングの魔術師パットオコーナー、

帝王バーンガニア、銀髪の吸血鬼フレッドブラッシー、そして野性児バディロジャース。

 

 

 

 

日本では東洋の巨人ジャイアント馬場、燃える闘魂アントニオ猪木、

世界の荒鷲坂口征二…どうだい?よく覚えてるだろう。(笑)

古い事なら任せてくれ!

 

 



 
オールスタータイム映画
2009.06.08

 

私が映画好きである事は何度も書いたが、

そうなるとよくドラマなどを見て自分なりに配役なんかを考え当てはめてしまう。

 

 

 

 

極端な話、洋画を見てこれを日本の俳優がやったら、

誰をどの配役に置き換えたら面白いだろうてね。その逆もまた考えたりしてね。

 

 

 

 

コンピューターかなんかで出来ないのかなあ?

例えば亡くなった俳優女優を画面に蘇らしてオールスタータイム映画を作ってしまうとか。

忠臣蔵でもいい。今健在の俳優と往年大スターを共演させてね。想像すると面白いよな。

 

 

 

 

今忠臣蔵て書いたけど、これだったら、誰が大石内蔵助に持っていくか?

あるいは吉良は誰がいいか?なんてね。

それとも大胆にハリウッドスターを忠臣蔵に当てはめて見るとかね。

それも面白い!やってみようかな?

 

 

 

 

私がやるんだったらすでに亡くなってる往年のハリウッドスターばかりになるから

若い人にはわからないだろうなあ。

それじゃ今から暇つぶしに考えてみるか?

若い人を無視して。(笑)

 

 

 



 
どんと来い!
2009.06.07

昨夜は寺崎さん藤本さんと六本木で呑んだ。
そしてシメはラーメン。むろん私はいつものごとくこの30代の2人に世話になってしまった。



寺崎さんに2店ご馳走となり、藤本さんには脚本読んでもらった上にチケットも
買ってもらった。おまけに深夜のラーメン代まで払わせた。
55歳の迷惑オジンは相変わらず健在である。



2人と別れた後、また代々木までウオーキングで帰宅するかと思ったが、
青山墓地辺りでタクシーを拾ってしまった。



さて、10日には試合が組まれている。 私は心身とも絶好調だ!ス
トレッチは毎日やってるし、 人の奢りで旨いものを食べている。(笑)
ま、少々寝不足気味だが、どんと来い!だ。



 
思い出話をひとつ。
2009.06.06

 

馬場さんから聞いた思い出話をひとつ。

馬場さんはプロレス入門して1年ちょっとでアメリカ遠征に行くこととなった。

当時は武者修行とも言われ、遠いアメリカの地に行けることはレスラーの夢であった。

 

 

 

 

馬場さんが行った頃のアメリカマット界は強豪レスラーがひしめく黄金時代だった。

この第1回のアメリカ遠征は1年8ヶ月の期間となり、そのアメリカマット界での活躍で

帰国時には力道山に次ぐ人気レスラーになっていた。

 

 

 

 

だが、馬場さん自身から聞いた話によると、すぐに活躍出来たわけではなかったようだ。

出発前に知り合いに遠征祝いに10万円もらってアメリカに向かったのだが、

何と試合が組まれてない。一緒に行った芳ノ里とマンモス鈴木は組まれてあって、

馬場さんとは別行動になったらしい。

 

 

 

 

馬場さんは一人グレート東郷宅に居候の身となった。

しかし、倹約家としてつとに有名であった東郷はまだ若く大きくて食べ盛りの馬場さんに

常にうるさく言ってたらしい。

練習をしようとすると、腹が減るから止めておけ!じいっと寝ておいたら腹も減らない、

と言われたり、お前はトイレペーパーを使い過ぎるを文句を言われたりした。

 

 

 

 

結局家から追い出されモーテル暮らしとなった。と言っても試合がない。

という事は金を稼げないて事。当時1ドル360円。ドルが円よりはるかに強かった時代だ。

手元にあった10万なんかみるみる底がついてきた。安いハンバーグとホットドックの毎日。

 

 

 

 

アメリカに来て一ヵ月近いのに、まだ試合の要請がない。東郷は何も言ってこない。

食事がハンバーグからピクルスだけになった。2メートル9センチの身体を維持できない。

毎日が腹減った状態。

仕事もなく金もなく、言葉が通じない異国の地に腹をすかした大男が独り。

 

 

 

 

その時馬場さんはロサンゼルス近い太平洋を眺めながら、

当時アメリカでも流行っていた「上を向いて歩こう」を口ずさんでいたという。

この海の向こうには日本がある。何が夢の国アメリカだ!

自分に期待している両親の顔を思い出した。当然涙が頬をつたう。

 

 

 

 

東郷が自宅で面倒見てくれたのは最初の1週間だけ。

あとはたった独りのモーテル暮らし。

馬場さんはこの時、空腹と孤独のつらさを身を持って知ったという。

 

 

 

 

モーテルの支配人の好意でペンキ塗りのアルバイトをする事となった。

プロレスの修行で来てるのになんでこんな事をしなきゃならない!

食うためだ。生きるためだ!

 

 

 


1ヵ月過ぎてやっと東郷から連絡があり、試合が組まれた。

まさに馬場さんはハングリー!その後のアメリカマット界での活躍は周知の通り。

私は「上を向いて歩こう」を聞く度に馬場さんから聞いたこの話を思い出す。

 

 



 
酔った身体に心地よく
2009.06.05

昨夜と言っても、もう明け方で外はすでに明るかった。暑くもなく寒くもない酔った身体に心地よく私は六本木から代々木まで歩いて帰った。

 

 

 

1時間弱のウオーキング。さすがに一汗かく。帰って来てすぐにシャワーを浴びる。Tシャツと短パンでソファに寝転ぶと、そのまま眠ってしまった。

 

 

 

10時頃起きて、改めてベッドで寝ようと思ったが、今度は寝れない。そのまま起きてる事とする。軽めのストレッチの後に食事。チキンラーメンにオーガニック卵2つ入れての昼食。夕方までDVD映画を見て、またストレッチ。

 

 

 

夜は癌闘病から生還して退院した龍渕さんと馴染みのイタメシ屋で食事。腹一杯食す。そして呑む。龍渕さんはまだ退院したばかりで食事できず。その分私が食べてしまった。

 

 

 

酒はビールに始まり焼酎、ワインとなる。昨夜は少々日本酒を呑み過ぎた。だから今夜はこのくらいで。このくらいてどのくらいだ?(笑)

 

 

 

雨の中帰宅して、またソファに寝転がる。今夜は早めに眠気が襲ってきそうだ…。



 
悪循環
2009.06.04

 

まだ6月になったばかりの月始めなのに見事に金がない!(笑)

これまで何度も金がない預貯金がないと、

いい年をしたオッサンはこのブログに書いてきた。

書いたところで自分の恥を書いてるようなもの。

 

 

 

 

毎日毎日酒を呑み銀座六本木を徘徊してりゃ金なんて残るわけがない。

と言ってもやはりこのオッサン、ここんとこ、というかずうっと友人らに厄介になっている。

要するに奢ってもらってるて事。いい気なもんだ!

それじゃ別に金はなくならないだろ?と思われるが、そうはいかない。

 

 

 

 

友人らは翌朝早くから仕事のケースが多い。早めの帰宅となり、私は独り残される事となる。

呑み足りない。そこで初めて身銭を切って呑む。

そして西村に教わった深夜のラーメンを食す。眠気に襲われ帰宅する。

翌日は年寄りなので、どんなに遅く寝ても昼前に目を覚ます。

洗面してウオーキングかストレッチ。コンビニでお惣菜とかチーズなど買う。

そしてこれも西村から教わった昼に呑むビールを買う。

 

 

 

 

少しでも金を稼ごうとして会社から試合のチケットを送ってもらい、それを売る。

もちろん売ったチケット代は会社に払う。だが、それが問題。

皆さんわかってると思うが、すぐには払えない。

 

 

 

 

一発勝負でパチンコ競馬につぎ込む。当然ギャンブル運なし!

あるはずの金がなくなる。まさに悪循環。

 

 

 

 

若い頃、手元に3万円あったら身体が震えた。当時は事務所は六本木。

現金で給料をもらうとそのまま交差点まで吹っ飛んで行った。懐かしい!……、

55歳の今も変わってないな。

 

 

 

 

実をいうと今夜も六本木なんだよ。またまた友人にお世話になります。

私が宝くじ当たった時には御返ししますから!誰が信じるか!だよな…。(笑)

 



 
 
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