馬場さんから聞いた思い出話をひとつ。
馬場さんはプロレス入門して1年ちょっとでアメリカ遠征に行くこととなった。
当時は武者修行とも言われ、遠いアメリカの地に行けることはレスラーの夢であった。
馬場さんが行った頃のアメリカマット界は強豪レスラーがひしめく黄金時代だった。
この第1回のアメリカ遠征は1年8ヶ月の期間となり、そのアメリカマット界での活躍で
帰国時には力道山に次ぐ人気レスラーになっていた。
だが、馬場さん自身から聞いた話によると、すぐに活躍出来たわけではなかったようだ。
出発前に知り合いに遠征祝いに10万円もらってアメリカに向かったのだが、
何と試合が組まれてない。一緒に行った芳ノ里とマンモス鈴木は組まれてあって、
馬場さんとは別行動になったらしい。
馬場さんは一人グレート東郷宅に居候の身となった。
しかし、倹約家としてつとに有名であった東郷はまだ若く大きくて食べ盛りの馬場さんに
常にうるさく言ってたらしい。
練習をしようとすると、腹が減るから止めておけ!じいっと寝ておいたら腹も減らない、
と言われたり、お前はトイレペーパーを使い過ぎるを文句を言われたりした。
結局家から追い出されモーテル暮らしとなった。と言っても試合がない。
という事は金を稼げないて事。当時1ドル360円。ドルが円よりはるかに強かった時代だ。
手元にあった10万なんかみるみる底がついてきた。安いハンバーグとホットドックの毎日。
アメリカに来て一ヵ月近いのに、まだ試合の要請がない。東郷は何も言ってこない。
食事がハンバーグからピクルスだけになった。2メートル9センチの身体を維持できない。
毎日が腹減った状態。
仕事もなく金もなく、言葉が通じない異国の地に腹をすかした大男が独り。
その時馬場さんはロサンゼルス近い太平洋を眺めながら、
当時アメリカでも流行っていた「上を向いて歩こう」を口ずさんでいたという。
この海の向こうには日本がある。何が夢の国アメリカだ!
自分に期待している両親の顔を思い出した。当然涙が頬をつたう。
東郷が自宅で面倒見てくれたのは最初の1週間だけ。
あとはたった独りのモーテル暮らし。
馬場さんはこの時、空腹と孤独のつらさを身を持って知ったという。
モーテルの支配人の好意でペンキ塗りのアルバイトをする事となった。
プロレスの修行で来てるのになんでこんな事をしなきゃならない!
食うためだ。生きるためだ!
1ヵ月過ぎてやっと東郷から連絡があり、試合が組まれた。
まさに馬場さんはハングリー!その後のアメリカマット界での活躍は周知の通り。
私は「上を向いて歩こう」を聞く度に馬場さんから聞いたこの話を思い出す。