受け身の名手が… スポニチ記者が悼む
【三沢光晴さん死去】大風呂敷は広げない。うそは絶対に言わない。その分、口にする言葉には重みがあった。海千山千のプロレス界において、三沢さんは誰からも信頼される人だった。
男気にあふれていた。02年4月9日、三沢さんと全日本プロレスで若手時代をともにした故冬木弘道さんが、直腸がんのため引退を宣言。冬木さんは当時、陣頭指揮を執っていたFMWが崩壊した直後だった。三沢さんは同じ釜のメシを食った親友のために、手弁当で引退興行を手配。準備期間はわずか数日で、同14日にはノアの本拠地であるディファ有明で緊急開催し、収益金は冬木さんへ贈った。
リングではポーカーフェースの威圧感を醸し出していたが、リングを降りるとちゃめっ気のある人でもあった。カラオケでは笑顔全開でアニメソングを熱唱するのが恒例。記者が流行の歌を歌ったら、すぐさまリモコンで消され「みんなが知ってるものを歌えよ」としかられた。最後に会ったのは、野球担当へ異動していた2年前。先月上旬には記者の出張先から携帯電話へ連絡を入れた。それが広島だったことが何とも言えない。
ここ数年、トップレスラーを見送ってきた。シャイで優しかった冬木弘道さんが03年に亡くなり、破天荒を絵に描いたような橋本真也さんが05年に逝去。三沢さん、まだ早過ぎるでしょう。プロレス界で一時代を築いた受け身の名手が、受け身を取れずに亡くなったとは信じたくない。合掌。(スポーツニッポン新聞社 01〜04年プロレス担当・丸井 乙生)
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