第二次大戦末期から戦後にかけ、旧満州などに攻め込んだ旧ソ連兵に乱暴され、妊娠した引き揚げ者に中絶手術を施した「二日市保養所」(現済生会二日市病院、筑紫野市湯町)。二度とこの惨劇が繰り返されないようにと、保養所跡にある水子地蔵で14日、供養祭が営まれた。
関係者によると、二日市保養所は1946年3月開設。敗戦後の博多港への引き揚げ者に妊婦が多かったことから、廃止された京城帝国大学(ソウル)医学部の医師グループが中心になり、違法だった中絶手術を専門に行った。日本赤十字社の看護婦などを含め十数人が勤め、閉鎖される47年夏ごろまでに数百人を手術したとされる。
赤ちゃんを抱いたデザインの水子地蔵は82年、病院長だった水田耕二さん(故人)が設置。供養祭は当初、病院関係者だけが営んだが、95年から戦争や歴史に関心を寄せる市民にも開放するようになった。
供養祭では、出席した約60人が水子地蔵に手を合わせて焼香。供養祭を主催する「済生会むさし苑(えん)」(特別養護老人ホーム)の中園秀朗施設長が「平和な時代だからこそ、この悲劇が風化しないよう命の貴さを伝えたい」と語った。
供養後の懇親会では、参加者が思いの丈を話した。保養所の看護婦だった村石正子さん(83)=筑紫野市=は目頭を押さえ「亡くなった子どもたちは桜の木の下に埋めました」と回想。田川市出身の書表現作家阿羅こんしんさん(69)=東京在住=は「戦争の記憶が薄らいでいる今、水子地蔵は歴史の証人として伝える必要がある。供養祭には毎年来たい」と語った。
=2009/05/15付 西日本新聞朝刊=