「マスコミは小沢(一郎・民主党代表)批判のホコを収めたのか。例によって日和見か」
という電話や手紙をいただいた。
そんなことはない。ただ、議論が出尽くした感じはある。民主党が世論の期待に応え、衆院選で健闘するためには、小沢が辞任するしかない、いや、その腹はすでに固めているだろう、などと書いてきた。
しかし、小沢は優柔なのか、二枚腰なのか、進退の決着を先延ばししている。自民党の麻生太郎総裁にとっては敵将が定まらない。政界は日々、空気がよどむ。
突破口はあるのか。一つ、思い起こすことがある。政局がギリギリまで行き詰まった時にみられる特異な現象だ。
34年余前の74年暮れ、自民党は田中角栄首相が金脈批判にさらされ退陣したあとの後継問題で大揺れしていた。
「結党以来最大の危機だ」
と騒がれ、後継指名は長老の椎名悦三郎副総裁に一任される。いまと違って、<三大福中>の4実力者が待機していた。椎名は悩む。
当時、ポスト田中のドラマを追跡した毎日新聞の連載記事<政変>に次の記述がある。
<「あらゆる可能性をもたせ、風船を大きくふくらませておいて、いざ、という時に1本にまとめる」
というのが、裁定にあたっての椎名の方法論であった。《風船の哲学》とでも言うか。パンパンにはち切れたところで、一気に口をあける>
椎名は意外にも少数派閥の三木武夫を指名し、異論噴出と思いきや、あっという間に政争は終息した。風船の効用というしかない。
それから約20年が過ぎた94年夏、似たようなハプニングが起きた。非自民・非共産の細川連立政権が短命で倒れ、あとの羽田政権も崩壊寸前の時だ。
最大勢力の社会党が、連立与党のなかでことごとにソデにされ、
「あの一・一ラインのやり方には、堪忍袋の緒が切れた」
と頭に血がのぼっていた。小沢一郎新生党代表幹事と市川雄一公明党書記長の一・一コンビによる強引な政権支配だ。
一方で、万年与党に慣れていた自民党は野党暮らしに耐え切れず、我慢が限度に近づき、
「村山(富市・社会党委員長)を担いで政権奪回だ」
と破天荒な奇策をひそかにもくろんだ。尋常では成功しない。だが、社会党の怒りと自民党の焦燥で風船のなかはパンパン、<村山首相>がすっと実現する。
今回の小沢政局も、そろそろ限界状況だ。風船がはち切れつつある。カードはいくつもあるかもしれないが、小泉純一郎元首相が、
「小沢は衆院解散の直後に、後継を指名して辞めるのではないか」
と予測してみせたのは、<風船の哲学>と重なる。
辞任を求められている党首に、常識的には後継の指名権などあるはずがない。だが、解散まで決着を延ばせば、党内には辞任論と続投論がさらに渦巻いて、いやがうえにもパンパンになる。悲鳴もあがる。
そこまで引っぱれば、想定外の無理なことまで通る、というのがこの哲学の妙味だ。辞めてくれさえすれば、指名権だろうと何だろうと、と。
三木、村山についで3人目の<風船人事>があるかもしれない。小沢は影響力を残し、名もあげる?
そんなことを、小沢が考えているかどうか知る由もない。ただの政界茶飲み話である。(敬称略)=毎週土曜日掲載
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毎日新聞 2009年5月9日 東京朝刊
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