「孝司(たかし)が死んだ。遺体を確認に行くところだ」。東京都新宿区に住む上野正博さん(82)は、36年前の73年2月1日深夜の出来事を鮮明に覚えている。
旧国鉄高田馬場駅前の商店街。正博さんは仕事からの帰宅途中、父と姉婿にばったり会い、全盲の弟孝司さんが同駅のホームから線路に転落し電車にひかれて死亡したと知らされた。3人で警察署に向かった。「あまりに急で……。本当なのか、ピンとこなかった」。正博さんは振り返る。
孝司さんは戦時中、広島県呉市で勤労動員に駆り出され、港の潜水艦内で作業をしていた際に、事故で片目を失明。成人後、工事現場での労災事故で全盲になった。
上京後、あん摩マッサージ指圧師免許の取得を目指して高田馬場駅近くの学校に入学。免許を取り、学校で出会った目の不自由な女性と婚約もしていた。視力をなくした失意の日々から自立に向けた生活へ。当時42歳。第二の人生の一歩を踏み出そうとした矢先の転落事故死だった。
高田馬場駅周辺には当時から視覚障害者施設が多く、道路には点字ブロックが敷設されていたが、ホームにはなかった。両親が原告となり、旧国鉄を相手取った損害賠償訴訟では、1審勝訴。控訴審で和解し、旧国鉄側に視覚障害のある乗客の安全対策に努力するよう求める和解条項が入った。この「上野訴訟」後、全国の駅ホームで点字ブロックの敷設が普及した。
しかし、昨年2月には、JR山陽線前空駅(広島県廿日市市)でしんきゅう師の男性(47)がホームから転落死するなど視覚障害者の事故は今も絶えない。
今年2月1日、正博さんの姿が高田馬場駅にあった。「上野訴訟」を支援した「全日本視覚障害者協議会」(東京都)が9年前から、孝司さんの命日を「鉄道死傷事故ゼロの日」と定め、ホームで献花して孝司さんの冥福を祈る。正博さんも約30人の参加者とともに、駅ホームの安全を目指す歩みを刻み続けることを誓った。
◇
視覚障害者にとって駅のホームは「欄干のない橋」に例えられるほどに危険な場所だ。安心して利用できる駅ホームのあり方を探る。【遠藤哲也】
毎日新聞 2009年6月2日 東京朝刊