■カップリング人気投票・優勝記念SS 『しあわせなにちようび』(3)

・6月の第3日曜日

 そして、父の日当日。
 もみじは目をキラキラさせて、期待の眼差しで僕を見つめる。

「おとーさん、何して欲しい? もみじ、何でもするよっ」
「う、うーん。どうしようかなぁ…」

 結局今日になるまで「もみじにして欲しいこと」が何も思いつかなかった僕は、慌てて頭をフル回転させる。
 とはいえ、小さなもみじにはまだ家事手伝いは難しいだろう。料理なんかも包丁や火が危ないので、もみじがもう少し大きくなるまではさせないというのが僕の(いささか過保護な)教育方針だった。

「じゃあ、肩たたきとかは? 学校のお友達には、肩たたき券を作ってあげるって子もいたよ」
「そっか。でもお父さん、実はあんまり肩が凝らない方なんだ」
「あ、そうなんだ…」

 それを聞いて明らかにしょんぼりするもみじ。
 しまった、ここは余計なことを言わず肩たたきしてもらえば良かったんじゃないか? でも、こんなことでウソをついてもしょうがないし…。

「あ、そうだっ。もみじ、僕の背中に乗ってくれないか?」
「ふえ? おとーさんの背中に、もみじが?」
「そうそう。お父さん肩は凝らないんだけど、最近は腰とか背筋がちょっとね…」

 言いながらトントンと軽く腰を叩く僕。
 僕は近所の学校で非常勤講師として働いていて、職業柄立ち仕事とデスクワークが中心だった。その為やはり腰や背中に疲れがたまっているらしく、夜寝る時や朝起きた時なんかに時折痛みを感じることがある。

「だから、もみじが背中に乗ってくれると気持ちいいと思うんだ」
「そうなの? もみじが背中踏んづけて、痛くない?」
「もみじくらいの体重なら、多分大丈夫だよ」

 僕はリビングの床の、カーペットが敷いてある上にうつ伏せに寝そべった。本当は畳の上がいいんだけど、このマンションには和室がないから仕方がない。

「それじゃもみじ、よろしく頼むよ」
「う、うん…でも痛かったらすぐ言ってね?」
「大丈夫だから、遠慮なく乗っかっていいよ」

 僕の言葉に、もみじは恐る恐るといった感じで寝そべった僕の背中に片足を乗っける。シャツ越しに小さな足の裏の形がはっきりとわかった。

「よいしょ、っと」
「おっ…」

 ちょうど肩甲骨の辺りに両足を乗せるもみじ。裸足の指が背中のツボを刺激するらしく、ピリっと弱い電気が走るような感触が背中じゅうに伝わった。

「ぅおっ…おぉぉぉぉ〜…」
「ふぇえ? おとーさん、変な声出てるっ。やっぱり痛かった?」
「いや、今のは気持ちよくて思わず声が出たんだよ…これは思ったよりも効くなぁ」

 予想以上の効能に、僕は全身が弛緩していくのを感じる。
 そう言えば僕も子供の頃、父親に頼まれてよく背中に乗ってたっけ。当時はこんなことでどうして気持ち良くなるのかわからなかったけど、今はその心地よさを身を持って実感していた。

「はぁぁぁ、こりゃいいや…背筋がっ、伸びるぅ…ふぅぅ」
「ホントに? おとーさん、気持ちいいの?」
「ああ、もっとグリグリして…うん、そうそう、効く〜っ」
「わ、わかった。もみじ、がんばっておとーさんを踏んづけるからっ」
「ああ、頼むよ…ぉぉぉおおっ、ふうぅぅぅ〜…」

 もみじは足踏みするようにして、僕の背中にまんべんなく体重をかけていく。その重みが程よい刺激となってコリをほぐし、血が背中から手足の先まで押し出されていってるような錯覚さえした。

「よいしょ、よいしょ……あっ、はわわわわ?」
「もみじ? どうかした―――ぐえぇっ!」

 不意に背中の上の重みが消えたかと思うと、次の瞬間肺を押し潰すような衝撃が降ってきた。
 どうやらもみじがバランスを崩して、僕の背中の上に倒れ込んだらしい。子供の体重とはいえ、ボディプレスの要領で圧し掛かってきたその衝撃に一瞬息が詰まった。

「お、おとーさん、ごめんなさいっ。大丈夫?」
「あ、あぁ…大丈夫、何ともないから」
「でも、『ぐえぇ』って言ってた…」
「あれはその、ちょっと驚いただけだよ。ははは…」

 僕は首を捻って、背中の上に倒れ込んだままのもみじに笑いかける。実際多少なりとも苦痛を感じたのは一瞬だけで、今では全然何ともない。

「それより、もみじの方こそ大丈夫? 倒れた時、怪我しなかった?」
「うん。お父さんの背中の上だったから、平気だったよ」
「そうか、それなら良かったよ」
「………」
「? もみじ、どうかしたのかい」

 もみじはさっきから僕の背中の上で腹ばいになったまま、動こうとしない。もしかして、立てないのか――そんな危惧が頭を過ぎって、僕は急に心配になった。

「もみじ、やっぱりどこか怪我したんじゃ…?」
「ううん、そうじゃないの。ただ…」
「ただ?」
「こうしてるとね、おとーさんの背中…おっきくてあったかいなぁって」

 そう言って僕の背中に頬を当てるもみじ。あたたかく湿った吐息がシャツを通して素肌をくすぐる。パタパタと揺らした足が、僕のお尻の辺りで軽くバウンドしていた。

「こうしてるとね、お日さまで干したお布団みたいに気持ちいいの」
「そうなんだ。それは知らなかったな」

 ちなみに僕の方は、ほんのり温かい湯たんぽを背中に乗せてるような気分だった。ほどよい重みともみじの体温が、不思議な安心感を与えてくれる。

「…あのね、おとーさん」
「うん?」
「もう少しだけ、このままでもいい?」
「ああ、いいよ。もみじの好きなだけ、そうしてたらいい」
「わぁ…ありがとう、おとーさんっ」

 背中にぎゅっとしがみついてくる、もみじの感触。
 その体勢はまるで亀の親子みたいだった。親亀の上に子亀が乗って…もしここが青く澄んだ海の中だったら、このままもみじを乗せてどこまでも泳いで行きたいくらいだ。
 でもここはあくまで地上の(正確には埋立地の上にある海上ニュータウンの)マンションの一室で、僕はフローリングの床に寝そべったままじっとしていることしか出来ない。
 そのことを、僕はほんの少しだけ残念に思った。

「………」
「…もみじ?」
「…すう、すぅ…」

 そして気が付くと、もみじは僕の背中の上で静かに寝息を立てていた。
 僕は仕方なく、もみじが起き出すまでその体勢を維持し続ける。
 このままだと余計に背中や腰が痛くなるかもしれないが、その時はまたもみじに背中を踏んでもらえばいい。
 もちろん、その度にこうして背中でお昼寝されると、エンドレスになってしまうんだけど…
 それでも僕は、出来ればずっとそんな風にもみじを背負っていたかった。


 その日の夜。予想通り痛くなってしまった背中と腰を抱えながら、僕はお湯を張った湯船に身を沈める。

「いた、あたたたた…」
「おとーさん、だいじょうぶ…?」
「あぁ、大丈夫。ちょっと引きつっただけだから」

 同じ湯船に浸かるもみじが、顔をしかめる僕を心配そうに見ている。自分が僕の背中で眠ってしまったせいだとわかっているのだろう。

「ほら、そんな顔しないで。もみじがしょんぼりしてると、お父さんもしょんぼりしちゃうだろ?」
「けどもみじのせいで、おとーさんが――」
「もみじ、ほら笑って笑って」
「ふにぃ?」

 僕の正面で、肩まで浸かって首だけ水面から出したもみじ。その頬を両手でそっと摘むと、痛くならない程度に力加減しながらふにーっと横に引っ張った。

「お、おほーはん、はらひへほぉ」
「ダーメ。もみじが自分で笑えるようになるまで、お父さんはずっとこうしてるよ」
「ふえぇ〜…」
「お父さんはね、もみじにはずっと笑っていて欲しいんだ。今日が父の日でなくったって、それだけはいつももみじに望んでる」

 僕はもみじの頬を優しく引っ張りながら、その母親譲りの深い瞳をじっと覗き込んだ。それは宝石のように綺麗で、それでいてどんな宝石よりも価値のある、僕の宝物だった。

「だから笑って、もみじ。もみじが笑っていてくれるなら、お父さんは例えどんな痛みだってへっちゃらなんだから」
「おほーはん…ふん、わふぁっふぁ」

 僕の方を見つめ返し、神妙な表情で頷くもみじ。僕の言いたいことは伝わったみたいだけど、まだ自然と笑顔は出てこないみたいだった。
 だから僕はちょっとイジワルをしてみることにする。

「うん、なんだって? もみじが何て言ってるのか、お父さんわかんないなぁ」
「ふぉ、ふぉへはおふぉーはんはほひひのほおほひっはふはらぁ!」
「あはは、ごめんごめん」

 そこでようやくもみじの頬から手を離す。もみじは解放された頬を自分の両手でさすりながら、拗ねた顔をしてこっちを見た。
 それからしばらく、二人でにらめっこのように見つめ合い――

「ふふ、はははははははっ」
「えへへっ、あははははははははは…」

 やがてどちらからともなく笑みがこぼれ、僕達は声を上げて笑った。
 マンションの一室の小さな浴室で、同じ湯船に浸かって親娘で笑い合った。

「…ふぅ。さーてと、お父さんはそろそろ体を洗おうかな」
「あ、それじゃあもみじがお背中洗ってあげるっ」
「そうかい? じゃあお願いしようかな」

 そうして僕ともみじは一緒に湯船から出て、洗い場で体を洗い始めた。



「うんしょっと。ごしごし、ごしごし…」

 僕が自分で体の正面を洗っている間、もみじはいっしょうけんめい僕の背中を洗ってくれる。子供の、それも女の子の力なので、正直少しくすぐったい。しかしそれでも、我が子に背中を洗ってもらうというのは実にいいものだった。

「おとーさん、どうかな?」
「うん、気持ちいいよ。ありがとう、もみじ」
「そっかぁ、よかった。えへへへ…」

 どうやら背中を踏むよりは役に立っている実感があるらしく、僕の背後でもみじは満足げに微笑んでいた。

「じゃあねぇ、これからは毎日おとーさんの背中を洗ってあげるっ」
「ははっ、それは嬉しいなぁ」
「だからね、その代わり…」
「その代わり?」
「おとーさんは、これからもずっともみじの頭を洗ってね?」

 甘えるように、おねだりするように、僕の耳元で囁くもみじ。
 確かにもみじの頭を洗うのは、朝髪を結んであげるのと同じように僕の日課だった。
 ただこうして一緒にお風呂に入るのもそうだが、いつまでもそうしてあげるわけにはいかないだろう。

「もみじ…前から言ってるけど、頭くらい自分ひとりで洗えるようにならなきゃダメだよ」
「えーっ。だって怖いんだもん…」
「怖くないって。そんなんじゃ、いつまで経っても一人でお風呂に入れないだろ」
「いーもん。もみじはずーっとおとーさんと一緒にお風呂入るんだからっ」

 もみじは嬉しそうにそう宣言すると、後ろから僕の首筋に抱きついてきた。
 背中に直接伝わる、小さいけど温かくて柔らかな感触。もみじが懸命に泡立てた綿のように白いふわふわが、僕ともみじの二人を包み込んだ。

「そうだ。もみじね、おとーさんのお嫁さんになるっ。そしたらずっと一緒にお風呂に入ってもいいよね?」

 しまいにはそんなことまで言い出すもみじ。色々とツッコミどころはあるんだけど、それよりも無邪気で無垢なその言葉に胸がじんわりと熱くなった。
 こんな僕でも、もみじの幸せの一端を担っているのだと。そうはっきりと自覚することが出来たから。
 父親として、こんなに嬉しいことは他にない――

(ありがとう、もみじ…今日は最高の父の日だよ)

 もみじの重みを背中に感じながら、心の中でそう思う僕。
 うん、そうだな。もうしばらくはこのままでもいいかもしれない。
 いつかもみじを幸せにしてくれる相手が現れるまで、僕がこの子を幸せにする。
 それが僕の、何よりの幸せに繋がるのだから。
 泡まみれの背中に無邪気なもみじを負ぶって、僕は改めてそう誓った。

―END―

テキスト:海富一
イラスト:あんころもち

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