■カップリング人気投票・優勝記念SS 『しあわせなにちようび』(2)

・夢

 ――夢。
 今、僕は夢を見ている。
 これが夢であると、僕は自覚している。何故なら…。

「父の日に何かしたいなんて、あの子もそんな歳にまで成長したのね」
「ああ、そうだね…紅葉」

 何故なら、目の前には愛しい人の姿があるから。



 長く艶やかな黒髪。日本人形のように整った目鼻立ち。宝石のように深みのある色を宿した一対の瞳。
 今はまだ幼いもみじが成長したら、きっとそのような姿になるだろう――誰しもそう思うような美しい容姿をした彼女こそ、僕の亡き妻でもみじの母親である紅葉だった。
 彼女はもみじを生んだ直後に他界した。だからこうして彼女と話せるのは、記憶と想像の狭間にある夢の中でだけ。
 僕はこれが夢だと悲しいほどに自覚しながら、それでも紅葉の姿に嬉しさと懐かしさを感じていた。

「ついこの間まで、一人じゃ何も出来ない赤ん坊だと思ってたのに…この分だと慶吾さんもあっという間に、世話をする方からお世話される方になっちゃうかもしれませんね」
「ははは、まさかぁ。もみじが大人になっても、僕はそんなすぐにモウロクしたりしないよ」
「ふふ、そうですよねぇ。もみじがお嫁にいっちゃったら、お世話さえしてもらえないかもしれないですし」
「うっ…!」

 紅葉が何気なく言った『お嫁』という言葉に、自分でも面白いくらいに動揺してしまう。
 もみじがお嫁に…そりゃあいつかはいくんだろうけど、今から考えただけでなんかもう身悶えしそうな焦燥感に襲われてしまった。

「あなた、しっかりして。そんなの、まだ何年も先の話なんだから」
「そ、そうだよね。最近は晩婚化も進んでるし、あと十年、いや二十年は僕の傍に居てくれるかもしれないしっ」
「まあ私は学生時代に慶吾さんと出会って、卒業後すぐに結婚しましたけどね」
「はうぅっ」

 またも紅葉の一言に激しく揺さぶられる僕。
 そうだった…考えてみれば、僕は紅葉がまだ成人しないうちに彼女を妻として迎えたんだった。
 紅葉の実家…上条家も父子家庭だったという。なので紅葉の父、つまりお義父さんも僕たちの早すぎる結婚には複雑な心境だったに違いない。
 当時のお義父さんは文句も言わず僕たちを祝福してくれたけど、それはあの人が人格者だったからで、思うところは色々とあったのだろう。
 因果応報、歴史は繰り返す――もしかしたら僕も、自分がしてきたことの報いを受けるかもしれない。

「ど、どうしよう。もみじは可愛いから、大きくなったらきっとモテるだろうし…そうだ、女子校に進学させたらいいんじゃないか? あーいやいや、逆に異性に免疫がないと、悪い男に騙されてしまうかも!」
「あらあら、慶吾さんったら。今からそんなんじゃ、もみじが本当にお嫁に行く時はきっと大変ですね」
「だって、君が僕を煽るようなことを言うからっ」
「くすっ、ごめんなさい。でもあなたの反応があまりに大げさなんだもの」

 慌てふためく僕を見て、紅葉はほんの少し悪戯っぽく笑った。
 ああ、思い出した。うちの奥さんは楚々とした外見とは裏腹に、こういうお茶目な性格をしてたっけ。

「私も早くに母を亡くして、以来ずっと父と二人で暮らしてきました。それで小さい頃は、お父さんのお嫁さんになるんだって言ってたんですよ」
「そうなんだ。もみじも似たようなことはよく口にするけど…」
「でも、私は慶吾さんと出会った。あなたと出会って恋をして、あなたの元に嫁いだんです」
「紅葉…」
「親にとって、娘というのは残酷な存在なのかもしれませんね。どんなに愛情を注いでも、いつかは自分の元を離れていってしまうもの」
「………」

 確かに、紅葉の言う通りかもしれない。
 もしもみじが男の子だったら、きっと今と同じように愛していただろうけど、まだ先の将来の話でこれほど動揺することはなかったと思う。
 今の時代、娘が嫁いだらもうよその家の人間、なんて考え方は古いだろう。でも息子がお嫁をもらって新たな家庭を築くのと、娘がお嫁に行って別の家庭に入るのとでは、精神的にも大きく違うように感じられた。

「…うん、やっぱりそうなったら寂しいだろうなぁ」
「ですよね…ごめんなさい、余計なことを言っちゃいました」
「だけど、一番大事なのはもみじの幸せだから。もみじが幸せになれるのなら、僕が寂しいくらいちっとも構わないよ」

 いつの間にかさっきまでの動揺が嘘みたいに収まって、僕ははっきりとそう言い切っていた。
 そう、幸せの基準はあくまでもみじにある。もみじが幸せならそれは僕の幸せだし、僕の幸せとはやはりもみじが幸せであることなのだから。

「だから僕はもみじを幸せにする。僕の代わりにもみじを幸せにしてくれる相手が見つかるまでは、僕があの子の幸せを守っていくよ」
「…じゃあ、もしあの子が大きくなっても、そういう相手が見つからなかったら?」
「その時は、僕が一生もみじの面倒を見るから大丈夫さ」

 紅葉の問いに、少し冗談めかして答える。でもそれは紛れもなく僕の本心だった。
 紅葉、君の分まで僕があの子を守るから。だから――

「そう…それなら安心ですね」

 目を細めて優しげに微笑む紅葉。それはかつて臨月を迎えた彼女が、大きくなった自分のお腹を見つめていた目と同じだった。

「だから紅葉…僕たちのことを見守っていて欲しい。僕ともみじはきっと、幸せに生きてみせるから」

 例えこの先どんな困難が待ち受けていても。どんな不幸が襲い掛かってきたとしても。
 最後には必ず、もみじと一緒に幸せに笑ってみせる。
 それが僕の生涯の誓約だった。
 すると紅葉は僕の誓いの言葉を受けて、口を開き何事か告げる。

「――――」
「えっ? なに、聞こえないよ紅葉…」
「―――、――――」

 でもその言葉は、何故か僕には聞き取れなくて…
 ただその微笑だけが、僕の脳裏にしっかりと焼き付いた。

 気が付くと、僕は薄暗い天井をじっと凝視していた。
 ふとベッドの脇に置いてあるデジタル時計に目を向けると、点灯表示は真夜中を差している。



 そして隣りからは安らかな寝息が聞こえてきて、そこにはすやすやと眠るもみじの姿があった。
 同じベッドに入って眠る僕ともみじ。それはいつの頃からの習慣だったっけ…。
 まだもみじが幼いとはいえ、この子と同い年の子ども達は、毎日父親と同じベッドで寝たりはしないだろう。
 でも、もみじがそう望んでいる間は…別に構わないよな?
 眠るもみじの前髪を軽く梳いてやる僕。その穏やかな寝顔を眺めながら、今がこの子にとって幸せな時でありますようにと祈った。


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