朝日新聞の新しい指針
情報の出所を明示/容疑者・被告と捜査側言い分対等に
裁判員制度が今年5月に始まる。
市民が参加することで、刑事裁判に対する理解が深まり、刑事司法への信頼が高まることを目的にした新しい制度だ。市民は、裁判員という裁判の当事者として、新聞の事件報道を読むようになるだろう。また、事前に争点が絞られて公判は短期間に行われるなど、仕組みが大きく変わる。
こうした変化に合わせ、わたしたちの事件報道も、いままで以上に正確で、埋もれた事実や背景事情を含めた事件の全体像を提示するものにしていきたい。そのためには、何が必要か。
朝日新聞社では検討チームをつくって議論を重ね、考え方を記事の書き方に反映させる「試行」を行うなどしてきた。その基本的な姿勢と考え方を以下に指針としてまとめた。
「試行」については、社内外から様々な意見があった。また裁判員制度は初めての制度だけに実際に運用が始まれば、見直しや手直しが必要になってくるだろう。取材現場での実情、情報の出所明示に対する社会一般の意識の変化、裁判員制度の運用状況などに合わせ、国民の知る権利に応えられる事件報道となるよう、絶えず見直していきたい。
【1】基本的な考え方
1 事件・事故報道の意義を再確認
「自分の周りや社会で何が起きているのか」について知りたいという市民の強い社会的関心に応えることが事件・事故報道の「原点」であり、犯罪や事故などの危険情報を共有して再発防止を考えるリスクコミュニケーションの役割、隠された事実を明らかにし、権力を監視するなどの目的・意義があることを確認する。
裁判員制度導入によって争点が絞られ、公判は短期間で行われ、判決文も簡略化されることを念頭に、その事件の全体像が明らかになるよう積極的に報道していく。
2 「公正な裁判を受ける権利」と報道の調整・調和「公正な裁判を受ける権利」(裁判員への予断・偏見の排除)の保障は一義的には国の制度設計の問題で、法曹3者の責務であり、報道に規制の網をかけるべきものではない。従来の事件報道の基本的な枠組みである「容疑者・被告の人権を不当に侵害しない」といった取り組みをきめこまかく実施することで、報道の自由との調整・調和を図る。
3 問題点と改善策事件報道の最大の問題点は、「捜査情報=確定的事実」と受け止められる恐れがあることと考え、改善点としては、
(1)情報の出所は読者がその記事の信頼性を判断するための重要な要素で明示が原則だが、捜査情報の多くは情報源の秘匿を前提に提供されること、一定条件下で情報源の秘匿を約束した場合はそれを守るのが記者の基本的な倫理であることに留意しつつ、情報の出所をできるだけ明らかにして、情報の主体と性格をはっきりさせる
(2)事件の公共性・重大性と容疑性の濃淡、容疑者のプライバシーなどの人格権を比較衡量し、報道側の主体的な判断と責任で何をどこまで報じるかを自主的に決める――という考え方をとる。
【2】具体的な改善点
1 情報の出所明示
事件報道では、報道機関や記者が独自に進める取材による情報と捜査情報があるが、捜査段階の情報は変遷する可能性があるほか、情報の裏付けを報道機関が即座に行うには困難を伴うことがある。しかし事件の核心に迫る上で捜査情報は非常に重要で、報道機関の判断で、いち早く読者に提供しなければならない。
そこで情報の出所を明示することで、その情報は捜査側から伝え聞いたもので、あくまで捜査段階の情報だから確定した事実ではないと、示すことができる。「情報の主体と性格をはっきりさせる」というのはこうした意味だ。
捜査情報を確定した事実と受け止められることのないよう、情報の出所をできるだけ明示する。そのために
(1)従来の「調べでは〜の疑い」といった表現をやめ、「○○署によると、〜した疑いがある」などと情報の出所を示す。
(2)警察当局の発表である場合は、「発表した」「発表によると」などと発表であることを示す。
(3)独自取材にもとづく場合は、「捜査関係者」「捜査本部」などを使い、情報の出所がわかるような書き方にする。弁護側や容疑者周辺から取材できた場合は「弁護人」「容疑者の関係者」などの表現を検討する。
(4)容疑者・被告の「供述」は、社会の正当な関心事であり、特に自白は、事件の全体像を探るカギとなる。再発防止にも重要な要素であることを改めて確認するが、供述はしばしば変化し、人から人に伝えられるうちにバイアスがかかることなどに留意し、「捜査本部」や「捜査関係者」などと情報の出所を示し、こうした情報源から伝え聞いた供述内容であると読者に伝わるよう客観的な表記にする。
2 対等報道の徹底もう一方の当事者、とりわけ弁護側への取材に努め、その言い分を報道し、できるだけ対等な報道を心がける。事実関係や捜査当局情報に対する意見・反論だけでなく、公権力の監視という意味からも、深夜に及ぶなど不当な取り調べが行われていないか、不当な長期間の勾留(こうりゅう)が行われていないかなどの状況を確認し、掲載するよう努める。また容疑者・弁護側の言い分を安易に批判・弾劾しない。
3 前科・前歴・プロフィル報道安易に報じると、裁判員に過度の予断・偏見を与える可能性があり、容疑者の名誉やプライバシーを不当に侵害する恐れもあるため、容疑性の濃淡などを判断要素にしながら、事件の本質や背景を理解するうえで必要な範囲内で報道する。少年の場合は少年法の趣旨をふまえてより慎重に検討する。
4 識者コメント(1)事件の背景や社会性に焦点をあてた場合は読者の有効な判断要素になると位置づけ、事件の態様や容疑性の濃淡に応じてコメントの要否や内容の適否、掲載時期を検討する。
(2)逮捕直後で状況や証拠、動機が十分に明らかになっていない場合、容疑者個人についてのコメントは原則掲載しない。
5 被害者報道犯罪被害者等基本法を受けた刑事訴訟法改正で裁判参加(情状証人への尋問、被告への質問、量刑などへの意見陳述)が可能となったが、被害者遺族の処罰感情の表現が、裁判員や世論に過度の影響を与える恐れがある点を考慮し、表現や見出し、記事の扱いに配慮する。
6 公判報道今後の事件報道は、「事件発生直後や容疑者の逮捕」といった段階に加え、「公判前整理手続き」「裁判員制度による公判」といった段階でもこれまで以上に多角的に報道する形になっていく。
また裁判員裁判の公判では、裁判員や一般市民にもわかりやすくするため、視覚に訴えたり、口頭でやりとりしたりする審理になるが、こうした公判段階でも、被告を一方的に犯人・有罪と決めつけた報道はしない。
従来以上に、起訴状、冒頭陳述、論告などは、検察側の立証予定や意見、主張であることなど、刑事手続き上の位置づけ・性格が明確になるようにし、確定的事実との印象を与える表現は避ける。弁護側の反証も積極的に報じる。
従来は被告本人の雑観記事などが中心になることが多かったが、今後は、裁判員制度がわかるように法廷の様子を中心に書いたり、事件の背景・解説的な記事を充実させたりする。
7 見出し記事の書き方の変更にともない、見出しも、以下のような視点を心がける。
(1)情報の出所を明示するなどの記事の書き換えに即して、見出しも「捜査」「県警」「検察」「関係者」などを必要に応じて使い、情報源を具体的に示すことで確定事実と受け止められないよう工夫する。
(2)「容疑」の文言は、容疑事実に直接結びつく表現に努め、確定事実との印象を与えないようにする。
(3)対等報道を意識し、とりわけ弁護側の言い分に見出しをつけるよう努める。
(4)処罰感情を必要以上に強調しない表現に留意する。