『週刊文春』(4月30日号)が、「ミシュランさん、一見さんはお断りどす。京都・大阪版に老舗料亭が猛反発」という記事を掲載しました。『ミシュランガイド京都・大阪2010』の刊行が決定したことを知らせる記者会見を受けての報道です。昨年来、「出るぞ出るぞ!」と噂されていた頃から、この手の論調がメディアをにぎやかしていました。『週刊文春』では、先のメインタイトルに、「星に踊った東京と、千年の都・京都とは貫禄が違う。老舗料亭、割烹の店主が実名で語る料理人の心」と、京都のプライドをのぞかせて、ミシュランにケンカを売っています。拒絶派の旗頭としてコメントを出しているのは、「菊乃井」店主、村田吉弘氏。
ところがところが……その村田さん、今回のフードジャーナリスト会議「京都会議2009」会場にわざわざお越し下さって、シンポジウム開催直前に、「週刊文春の記事内容はまったく本意ではない」とおっしゃるではないですか! いったいどういうことかと興味津々でお話を伺いましたが、なるほど、そういうことだったのかと納得&衝撃の説明でした。どういうことかというと……
まず、村田さんをミシュラン拒絶派とする『週刊文春』の記事を先に紹介します。
(前略/ここから引用)
ナレ氏は、伝統、文化、歴史といったものを、本当にわかっているのか。
東京赤坂の支店が二つ星をとった「菊乃井」店主・村田吉弘氏は、京都の料理店事情について、こう述べている。
「京都の料理屋というのは、それこそ十代、二十代もかけて茶店からやってきて、料理を通じてお客や街と良好な関係性を築いて、やっとわたしらがあるわけですわ。それは間口を狭くして代を継ぐことで、三百年、四百年と何代ものあいだに、法事や祝いや子どものおまんまと、お世話させてもろてきた。だからわたしらはこれからの日本料理というものを伝えて行かなあかん責任がある。ずっと何代もやってきた店が、たまたまその息子の代になり、出来が悪かったとしても、それをお客も店の回りもみんなで支えて守ってきた。でないと街(の人々)が困るからです。京都はそういう文化であり、そういう街なんです。だからうちのおばあちゃん曰く、百年ええもんやってたら、もう百年後はある。心配せんでもエエ」
そういう共同体的な街にミシュランが入ってきている。村田氏が続ける。
「そういうけれど、今年は一つ星を取ると、人間て助平なところがあって次は二つ星、さらに三つというふうになる。逆になったら店は潰れますな。その年、二〜三年の評価で、星を増やしたり落とすことで、店が左右されること自体、そんなんで京都はええのんか、これからもずっと日本料理を伝えていけるのかという心配なんです」
村田氏は、掲載問題について「瓢亭(ひょうてい)」の高橋英一氏に相談した。高橋氏は瓢亭十四代目当主である。瓢亭は南禅寺門前の茶店として元禄年間に創業、天保八(一八三七)年に料亭としての看板を掲げた、懐石系京料理の総本山的存在だ。村田氏によれば、高橋氏は「ミシュランが来てなぁ、かんじのええ人やったわ。うちもどこにも組合とか一料理店としての立場もいろいろあるし、出る出ないはよういわんけど、まあ出えへん方がええわなぁ」
と述べたそうだ。
その頃、すでに京料理店七〜八軒の店に承諾書が渡されていて、村田氏はおのおのに相談されていた。その返答をどうするべきかを高橋氏に聞いたところ、
「ずっと持っといたらええんちゃう」
と答えたという。(後略/引用以上)
こういった論調が3ページにわたって展開され、「京都老舗はミシュラン拒否」というムードを煽っています。
ところが見ると聞くとでは大違い。実際はそうじゃなかったんです! 京都会議の直前、村田さんご本人にうかがった話によると……