三光作戦を日本軍になすりつける
進歩的歴史学者達

細谷 順(日本の教育を考える会)

旧日本軍が中国で行ったとされている「三光作戦」について、各種の事典に記述されている内容を調べてみた。

☆ 広辞苑…三光政策に同じ。日中戦争中、日本軍が行った苛烈で非人道的な掃討・粛正作戦の中国側での呼称。三光とは殺光(さっこう=殺しつくす)槍光(そうこう=奪いつくす)焼光(しょうこう=焼きつくす)をいう。但し 昭和四十二年第一版二十四刷までは記載なし。

☆小学館日本大百科全書…三光作戦。日中戦争において、日本軍が華北の解放区 を根絶しようとして行った作戦。三光とは、殺光(殺し尽す)焼光(焼き尽す)槍光(そうこう=奪い尽す)の意味。一九四〇年(昭和十五年)八月から十二月にかけて全華北で展開された八路軍(はちろぐん)の大攻勢(百団大戦)によって大きな打撃を受けた日本軍は、中国共産党とその根拠地への攻撃を強化した。

しかし民衆と深く結びついた八路軍を捕捉(ほそく)することはきわめて困難であったので、いっさいの抗日勢力を根絶し、民衆と八路軍との結び付きを絶とうとして採用されたのが三光作戦である。これは華北民衆に莫大な損害を与え、一時根拠地も縮小したが、八路軍はさらに民衆との結合を深め、これを打ち砕いていった。(石島紀之)

☆大辞林(一九九五年十一月三日)第二版 三省堂 松村明監修
三光…太陽・月・星のこと。
三光政策…日中戦争中、日本軍の残虐な戦術に対する中国側の呼称。三光とは殺光(殺しつくすこと)槍光(略奪しつくすこと)焼光(焼きはらうこと)のこと。

☆大辞泉(一九九五年十二月一日)第一版第一刷 小学館 監修松村明
三光作戦…日中戦争下、日本軍が行った残虐で非道な戦術に対する中国側の呼称。三光とは焼光(焼き尽す)殺光(殺し尽す)槍光(そうこう=奪い尽す)

☆ブリタニカ国際大百科事典(一九七三年初版)…三光作戦の記載なし

☆現代新国語辞典…三光作戦の記載なし

☆広辞林…三省堂…三光作戦の記載なし

☆字通(一九九六年十月初版)白川静著…平凡社発行…三光作戦記載なし

なお、『中国人民述語辞典』中華人民共和国の辞書には、蒋介石の国民党軍が人民を殺害するために使ったスローガンだと説かれている。

『中共述語彙解』中華民国の辞書には共産党軍のスローガンだとして「分光」(分け尽す)「吃光」(食い尽し)「用光」(使い尽す)の意味だと解釈している。つまり地主や資本家を粛正する清算闘争の用語だとの説明がなされている。

日本人には、光はすべて善なるものと考えられている。地球生命体の根源である太陽の光、光輝く未来・栄光などなど、光は悪の反対語と考えられ、聖書の解釈にも始めに神は光ありと仰せられて創造が始まったとされている。その他、光という言語から殺す・滅ぼす・奪うなど悪逆非道というイメージは浮かんでこない。光が命・財産などが無くなって、空っぽになるという意味に使われているということは、私の記憶の中には全然ゼロとしか言いようがない。

ただし、インドなどの熱帯地方や砂漠地帯に住む人々は、光に焼く・奪う・殺すというイメージを感じると言われるが、日本語には「焼光」(焼き尽し)「殺光」(殺し尽し)「槍光」(奪い尽す)という「三光」の言葉はなく、ほとんどの日本人はこの言葉を知らない。相当の年配者でも生まれて始めてこの言葉に出会ったという人が九九・九%だと言っても過言ではないと断言して間違いないと信じている。

この言語は、興亡常無き中国五千年の歩みのなかでは、飢餓の極みには人肉食が行われ、人肉が犬や豚より安い値段で売買されるなどの記録があるが、我々日本人には想像も及ばないような、生き抜くための殺戮の史実が繰り返された中から生まれた言葉で、日本人にはかつて経験がなく想像することもなかった言葉である。

それなのに日本の代表的な上記の「広辞苑」や「小学館日本大百科全書」などには日中戦争中の日本軍の非人道的な残虐行為だと記載されている。私は日本人として、この著者と出版社の良識を疑わざるを得ない。

日本の進歩的だと自称する社会主義的歴史学者達が引用する説明に、蒋介石のドイツ人軍事顧問ゼークトが指導する国民党軍の、瑞金討伐作戦を観戦した岡村寧次(後の支那派遣軍総司令官)が、そこで「三光作戦」を学び、華北の抗日根拠地攻撃でこの作戦を実行させたというものだが、これを一般に広めたのは昭和三十二年(一九五四年)カッパ・ブックス刊行の神吉晴夫編「三光」であった。

しかし私たち日本人は、中国から多くの文物・技術・政治体系を学び採り入れながら、遊牧民族由来の、肉体を傷つける宦官(男性の性器である陰茎・睾丸を切除して宮中で女官の世話をさせる)・纏足・盲妹(さらってきた女児の目を潰して娼婦にする)や科挙(現代の高等文官試験)などの制度を、わが民族の体質に不適合だとして排拒したが、これは農耕民族本来の血を見る事を好まない温和な国民性なのであるが、民族の本質を知らない者たちが、思い入れだけで書いた大いなる錯誤的な記述と断定せざるを得ないのである。

前述の岡村将軍は昭和十六年(一九四一年)十一月三日の明治節に司令部高官への訓示で、皇軍の誇りにかけて「焼くな、犯すな、殺すな」と強調している。さらに翌年四月八日にも全将兵に同様の訓示をしているのが真実である。

実態は、蒋介石の軍隊が共産軍に敗れて敗走するとき、入ってきた共産軍が利用するものがないように、『清郷(せいごう)作戦』『堅壁清野(けんぺきせいや)』(その際、中国では逃げ出す軍隊による略奪・暴行・破壊が行われる。南京でも同じ事が行われ日本軍の行為とされた)などの焦土作戦を行った。共産軍が敗退するときも同じような事を行っていて、「三光」は中国軍隊では日常茶飯事的な軍事行動なのであるが、日本人でありながら、ことさらに日本軍の悪行として強調し、自分の知識を誇示しようと思い込んでいる連中の詐術的な言葉である。

私たちは、この民族の矜持に関する問題に、今まで迂闊にも気がつかなかったことを、強く認識して重大問題として取り上げ、真実を追求してその責任の所在を明らかにしなければならない。

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