浅田真央非公式ファンサイト / Mao Asada Unofficial Fan Site

日経新聞に良い記事が載っていたので

以下、全文引用

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目標は「やっぱり一番」

 すい星のように現れ、10代半ばでフィギュアスケート界の女王に上り詰めた浅田真央(18、中京大学)だが、2006年トリノ五輪の扉は年齢制限で閉ざされた。あれから4年。待ちこがれた2010年バンクーバー五輪の高みをを目指し、浅田は跳び続ける。(題字・浅田真央)

 5月のモスクワで、バレエを見た。普通の舞台ではない。劇場専属のバレリーナが、浅田達のためにだけ稽古場で踊ってくれたのだ。「もーすごかったですよ。きれいで」。うっとりした声で話す。
 最近、ちょっと変わった。カラオケ、大学の授業、学食・・・・・、スケート一色だった生活に普通の学生らしい彩りが加わってきた。「息抜きも大切だなって」

小休止も必要

 昔でいう"モーレツ社員"のようだった浅田はスケートを始めた5歳の頃から毎日、何時間でも氷上にいて平気だった。練習するほどにうまくなったし、楽しかった。だから、周りの大人が訳知り顔に話すことも、自分には起きないと思っていた。

一度はスケートが嫌になる時が来るよ・・・。

 「多々ありました。昨シーズンは。辞めたいと思ったことはないけれど、もう、どうでもいいやって」。2月の四大陸選手権(バンクーバー)では笑顔がこわばっていた。
 3月の世界選手権(ロサンゼルス)はヘトヘトにみえた。
「スケートのことだけ考えていて、余裕がなかった。息が詰まっていた」。4位だったのに悔しさより、大きな試合が終わってホッとしたという気持ちが先に立った。
 練習とリラックスのメリハリが必要になる時期を迎えていた。今、週に1度はオフにする。「まだ、1日休むのは不安なんですけど、体もだんだん昔と違ってきているから」

 シニアにデビューした05年にグランプリ(GP)ファイナルを制した。世界選手権は07年に銀メダルで08年に金メダル、さらに08年GPファイナルでは2度目の優勝。早々に頂点に達した競技人生のその先は長い。全力疾走を小休止する時も必要だ。
 昨シーズンは、無謀にも見える挑戦を続けた。「(08年世界選手権で)優勝してなかったら、(09年は)絶対に勝とうとして、あんなには挑戦しなかった」。エッジの外側に乗るべきルッツジャンプの踏み切りが内側になる癖を修正、得意でないトーループやサルコウにも挑み続けた。
 体力アップのため、長時間のステップもこなした。長所をさらに伸ばそうと、フリープログラムに2度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を入れた。
 各要素の配点が厳密になった新採点のもと、得点を確実に稼ぐため、得意な技術に偏る選手が目に付く。代表例は金妍児(キム・ヨナ、韓国)。過去3年、ジャンプの構成は変えず、苦手な2種類のジャンプも、深入りせずにそのままにしてある。対照的に、浅田は変革する道を選ぶ。
 「新しいことがなかったらつまらないし、達成したときの充実感が違う」。求めるのは技だけじゃなく、演技の趣も「華やかなの、コミカルなの、強いの、悲しいの、壮大な演技も。真央は欲張りですよ」。
 心の欲するまま、目的にまっしぐら・・・。かと思うと、実はそうでもない。小学校時代から知るトレーナーの加藤修によれば「慎重で、気を使う子」だ。

好きこそ原点

 オフ何にしたい?と問えば必ず「ショッピング!」と返すほどだから、衝動買いが多そうだが「全部のお店をみて、悩みに悩んで納得して買う。後で悔やむことはない」。全日本の合宿の合間にゴーカートに乗ったときも、アクセルを踏み込むまでに2周ほど様子をみたという。
 昨季終盤の失速のワケもこの辺にある。石橋をたたいて渡るタイプで一度意を決したら強いが、迷いのふちも深い。「一つ引っかかると、それで頭がいっぱいになり、ほかも元気がなくなってしまう」と加藤。昨季引っかかっていたのはルッツ。「(実際は)直っている。『いっちゃえ』という気になれればよかった」とフィギュア強化部長の吉岡伸彦は話す。
 「(試合がうまく行かず)」情けなくて自分にむかつくこともあった」。うまくいっても不安をぬぐいきれず、石橋をたたきすぎて、最後は疲れてしまった。自分でも「ナーバスになりすぎていた」とわかっている。挑戦はしたけれど、勝負し切れていなかった。
 「真央らしく、滑らなきゃダメだよ。昔のことを思い出して思い切っていきなさい」。4月、元コーチの山田満知子の言葉がストンと心に落ちた。「誰のためでもない。真央が好きで滑っているんだし、余計なことは考えないでほしかった」と山田は言う。
真央らしさって何だっけ・・・・・・。「(デビューしたてのころは)ワクワクした気持ちで試合に向かっていた。あのころに比べて、気持ちが引いていた」
 4年前は怖いものなどなかった。「何も考えていなかったし、好き勝手話していたと思う」。人前でははっきり目標を発言することは逃げ道を断つためにも大切だと思っている。だがここ2、3年は「自分の力を出し切りたい」と言うにとどめがちだった。トップ選手になって、いろいろ知り、気を使ううちに無邪気さが消えていた。
 昨季の経験が原点を思い出させたようだ。「(表彰台の中央と横では)ぜんっぜん気持ちが違う。やっぱり一番がいい。何より自分が目指すのはいい演技をして銀メダルじゃなくて、金メダルです」
 攻めの真央に戻るのに必要な種はまかれた。その花を咲かす地はバンクーバー。新しい挑戦のシーズンが始まった。
=敬称略
(原真子)

日本経済新聞2009年6月10日(水曜日)朝刊

コメント(5)

じゅんこママ

管理人様ありがとうございます。
他のブログで日経新聞の記事のことを知ったので、
内容を知りたいと思っていました。
いい文章ですね。
こちらの気持ちも癒されます。
真央ちゃんロシアで真央ちゃんらしく
頑張ってほしいです。
DOIは残念でしたが、THE ICEを楽しみにします。

つなちゃん

山田コーチ、さすが…って感じです。
原点に戻るということは何に関しても大事なことですよね。
真央ちゃん、わたし達も気分は一緒に跳んでるよ!
と図々しく思っちゃいました…!

rio

管理人様
初めて投稿いたします。

記事のご紹介ありがとうございます。
とにかく とにかく じ~んときました。

これからもお邪魔させて頂きますので
どうぞよろしくお願いします!

noriko

自分には起きないと思ってた。

↑やっぱり、起こっていたんですね。

でも、やっぱり彼女はそういうことも乗り越えちゃうんですね。
本当に凄いアスリートです。


りこまま

管理人様
こんにちは、とても良い記事ですね。
御紹介有難うございます。

全部の店を見て回る真央ちゃん、ゴーカートのアクセルをなかなか踏み込めない真央ちゃん、想像するととても可愛いです。
でも、そんな真央ちゃんの、去年の緊張や悲しそうな顔を思い出し、すごく頑張っていたんだなあと、ちょっぴり切なくなりました。
また、前向きな気持ちを取り戻せたこと、とてもうれしいです。

週1回のお休みの固定も、とても良いと思います。
疲れた状態での詰め込みのトレーニングは、効率が良くなさそうですものね。

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