2009-06-10 ”中村イネ氏への集団リンチ”の「まとめ動画」はまだか
■[ニコニコ動画]サイバー饗宴殺人劇
少々嫌味な表題になってしまったけど、これぐらいは言ってもバチは当たらないだろう。
全員がそうだとは言わないが、心当たりのある人間は沢山居るはずだ。弱みを見せた人間に対し、集団で物陰から石つぶてを投げ付けるような真似にいい加減飽きて良い頃合ではないのか。こういうことを何度繰り返せば気が済むのだろう。
未成年の喫煙という行為に対して厳格な態度で批判に臨むのは結構なことだけど、その厳格さを、彼らは常日頃持ち合わせているのかといったら、おそらくそうではないだろうと僕は思う。
犯罪を糾弾するとか、社会への悪影響を阻止するという明快な正義を、何か別のことに使っていると感じたのは僕だけでは無いはずだ。正義という名の鉄槌を、凶器として使ってる悪党が確かにそこに居るはずだ。
だいたい不倫のことまで取り上げて叩く必要がどこにあるのか。人様のプライベートを散々えぐっておいて挙句に「矢吹が一番の被害者だな」とは一級品のジョークのつもりか。そんな批判や矢吹同情論が、本当に矢吹作家にとって「励みになる暖かい言葉」と思っているのか。
僕はこの光景を見てるとどうしても故・石田真二(よど号ハイジャック事件の時の機長)の不幸を思い出す。当時英雄だったはずの石田さんは、どういうわけか完全にプライベートな問題であるはずの不倫についてが週刊誌などで暴露され、世間からバッシングを浴びた。会社を辞めるほどにまで追い込まれたのだから、そのえげつなさの程度は想像に難しくない。もしあんな真似を今やったのだとしたら、バッシングを浴びるのはむしろ報道側だろうし、旧来のマスメディアに愛想を尽かしている人間はますますマスメディア不審に陥るはずだ。
おそらく彼らも旧来のマスメディアのことを快くは思ってはいないはずだが、「マスゴミ」とやらを駆逐する存在であって欲しいはずのネットで、太古にマスメディアが犯した功罪が繰り返されていることに誰も気がつかないのか。気付いていてこういう狂った饗宴に異を唱えないのか。
しかし舞台がニコニコ動画などである以上、それも無理も無いという思いもある。
運営は「ニコラ」を開設してはどうか
そして、はてなブックマークの「書き捨て」に適したアーキテクチャが、結果的にはこういう卑怯者がreputationのコストを負わないで他人を罵倒するのに最適のツールになっている。
これはニコニコ動画の現状の掲示板や、2ちゃんねるなどにも言えることだ。僕は両方よく利用するのだが、この手の主張を展開することはまず無いし、しても無駄だということを学習している(残念なことに)。
匿名性の強い掲示板では、記名で不特定多数の相手を批判する時に非常に厄介なのだ。批判や議論をふっかけた対象がこちらから見えず、例えば今回のようなバッシングについて「批判を超えた誹謗中傷ではないか」と書いたとしたら、突如として彼らはその場から居なくなり、代わりに「僕は真面目に批判している人間なので、そういう人と一緒にしないでください」という善の人が突然増え出したりする。
前にも書いたが、匿名は「うざさ」が蓄積されないのでバッシングを浴びにくく、いくらでも自分をリセットできるので床屋政談レベルのことにかけては気軽に投稿できるというメリットがあるが、それは言い換えればひとたび議論に発展した場合、反論や批判から簡単に逃れることが出来るということだ。
reputationのコストというのはこのことを指すのかどうかはよくわからないが、これを負わせて掲示板への発言に臨ませる仕組みをニコニコ動画は作ってはくれまいか。
要はアゴラのようなニコニコ動画における言論プラットフォームを作ってはどうかということだ。発言は実名でもニックネームでも名無しでも構わないが、発言者の一意性が確実に担保されるシステムがあり、品質を保つためにある程度アカウントを育てた人間のみに発言権を与えるのが良い。現状の掲示板はアカウントとIDの紐付けがなされているようだが、アカウントが無料で簡単に取得でき、即投稿が可能という時点であまり意味をなしていない。
いくつ動画を投稿したとか、いくつ大百科の編集をしたとかでそれなりに価値を持ち始めたアカウントがあれば、おいそれとhate speechには及べまいし、逆に噛み付かれもしないので良い試みだと思うのだが、いかがだろう。
- 2009-06-09 WATERMANの外部記憶 3/32 9%