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【2009.3.1.毎日新聞】 発言席「青年と平和」 創価学会名誉会長 池田大作
危機の打開へ若き活力を アインシュタインが精神分析の創始者フロイトに「戦争を避ける方途」を尋ねた。答えは明快であった。「人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻む」「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!(浅見昇吾 訳)。すなわち対話によって、心の温かみのある社会を建設することだ。そして文化の創造と交流である。特に良質の活字文化は絶対に護らねばならぬ平和の砦だ。
ノンフィクションライター泉流星 辻井正次理事長 辻井正次CEO
イルカ・セラピー 名誉毀損原告 浅見昇吾 浅見淳子
「子供たちの叫び
」 尾崎ミオ
ノンフィクションライター品川裕香
「イジメのプロ集団」による執拗な自閉症イジメ、差別は、私達患者や家族が自殺するまで続く。
本部 愉快犯によるたびたびの放火により改築に次ぐ改築現在の姿
2004年 「自閉症と発達障害研究の進歩」2004/Vol8 寄稿 山岸美代子
メールはこちら risco002@yahoo.co.jp
「ニキリンコ」や「アスペ」の連中の話を読むと、「パニックを起こしそうになったのを我慢した」と言う。
「自閉症のパニック」は我慢して押さえられる物か?
現実に自閉症の子供を目の前にしている親なら、簡単に答が出ると思う。
一度起きたら、なんともなだめようが無いのが「自閉症のパニック」である。
昨日も言ったように「ヒステリー」と言った方が余程しっくりくるのは、この様子を見なれているからである。
ヒステリーが電気的用語のヒステリシスカーブ
から来ているのか、その逆なのかしらないが、
(ヒステリーの語源が子宮ということで、ヒステリーの方が先で後にヒステリシスカーブが命名されたようだ)
このカーブを見て貰うと、下の赤いラインを感情のカーブとすると、いきなり高ぶる。
高ぶったところで行き着くと、それ以上高くならず水平に右にそのまま移動する。
この高ぶった水平の部分(ここのグラフの右外側)が、ヒステリーを起こしている部分である。
さあ、なんとかこの子をなだめなければならない。仕方ないから、そっとしておこう。
一度ヒステリーを起こしたのが、右から戻ってくる。
戻ってくるときは、立ち上がった部分を戻るのではなく、簡単には納まらない。
水平のまま左へ移行し、縦の黒いラインを超えた所で、ようやく気が納まってきて、
マイナス側の100の位置で、ようやく気が静まり、200の位置で平常に戻る。
簡単に言うと、我慢に我慢を重ね、+側の100の位置で突然ヒステリーを起こし、
静かにしても、-側の100の位置を過ぎなければ納まらず、200の位置でようやく静まる。
下側の赤の線を辿り、感情が高ぶり、上側の赤の線を辿りようやく感情が納まるのである。
ある医者によると、自閉症の8割は脳にてんかん波を持つそうだ。
昔、自閉症と診断された、厳密には自閉症では無い症例が混じっていると考えると、
自閉症であれば、脳にてんかん波を持っていると考えて間違いないようだ。
それから、考えると、「自閉症のパニック」はてんかんを起こしていて、我慢して押さえられる
物ではないと考えれば、皆さんの子供を思い返せば、納得出来るだろう。
私が、子供の頃、泣いて止まらないとき、なんとか「深呼吸」を繰り返し、より早く泣き止むように
努力していたことを思いだした。
一度、ヒステリーを起こしてしまったら、しょうがない。
肩の力を抜いて、深呼吸をする事を、子供たちに教えてあげて欲しい。
子供たちだって、いつまでも泣き続けていたい訳じゃない。自分だって泣き止みたいんだ。
但し、ここで強く言いたいのは、「てんかん持ち」だからといって、「自閉症」ではない。
「自閉症」が「てんかん波」を持つ事と、
「てんかん持ち」だから「自閉症」といのは全く成り立たないことを忘れないで欲しい。
「ニキリンコ」がパニックと一言で言うと、ほとんどの「アスペ」の連中はすぐ納得する。
自称、自閉症児を持つ親たちも簡単にパニックで納得する。
ところが、誰ひとり、「パニックってどうなるの?」と疑問を持たない。
「パニックってどうなるんだ?」「どうなることがパニックって言うの?」
「ニキリンコ」は「パニック」をパニック障害のパニックと混同して、
ずっと「自閉症のパニック」と「パニック障害のパニック」を同じ様に説明してきている。
そして、その話に同調する人間も全く同じ理解をしている。
ところが、「自閉症のパニック」と「パニック障害のパニック」は言葉は同じでも中身は全く違う。
「自閉症のパニック」は、自閉症がその時点で既に脳内での処理能力をオーバーして、
「ヒステリー状態」になったと考えた方が説明が付く。
この「ヒステリー状態」は「てんかん」とも密接な関係がありそうだ。
私が4/2’09東京都教育庁のシンポジウムに出席した時、アスペルガー当事者夫婦として
NHKに出演し有名な村上真雄氏が、休憩時間に突然私の所に近寄り、話し始めた。
「きいてくださ~い」「きいてくださ~い」「私は自閉症の診断を必要としないんです~」
「きいてくださ~い」・・
・・・・・「わ・わかりました」「わかりました」「あなたの話は、正式な場所で改めて聞きますから」
「きいてくださ~い」
あまりの気味の悪さに、私は「わかりました」「わかりました」と言いながら、
手で、向こうに行ってくれと合図した。
しかし、彼は「きいてくださ~い」と私にまとわりついていた。
結局、休憩時間の15分間これが続いた。
この様子を見た妻は驚いた。「ああ、これがパニックか」
私は、「私はパニックを起こしたことがない」とずっと思っていたが、
私が村上氏を向こうに行ってくれとする姿は、まるでカナー型の子供が手をぱたぱたさせている姿
そのものだったそうである。
確かに、小学6年生の頃までは、家で感情が高ぶりすぐ泣き出してしまった。
泣きたい訳ではなく、言葉に言い表せられない時に、言葉ではなく涙が出てしまうのである。
そうか、あれがパニックだったか。 そして、村上氏が目の前に現れ突然話し出したのを受けて
パニックを起こしていたのか。
妻曰く、村上氏の出現から、私の挙動が不審になり、今までとても見たことのない様子だったそうだ。
パニックと言っても、単純じゃない。奥が深いモンなんだよ。
ニキリンコの読者となんちゃってティーチは何故かいつも一緒なんだよな。
ここ で、現実に自閉症の子供を育てている親からの、貴重なコメントを貰った。
この本の11ページ、TEACCHプログラムの基本の中に、
「失礼を承知で言えば、読者各位の中には『ADHDもLDも高機能自閉症も軽度発達障害なのだから
同じ方法で教育すればよいのではないか』と考える方がおられるかもしれない。
どうしてTEACCHが自閉症だけを対象にするのか、本書を読み進めていただきながら
ご理解願いたいと思う。」
と、ある。
私は、1999年頃から、掲示板や新聞の投書、自身のホームページ、ブログなどで、一貫して
自閉症とLD等のと「味噌糞一緒教育」に反対してきた。
私の主張と同様の自閉症関係者の意見を公式な形で見たのは、初めてで大変驚いた。
そもそも、この本は、自閉症の子供を持つ親や、自閉症に関係する教育者などが読む本なので、
本当に、つい先日まで読んだことが無かったんだよね。貰いもんなんだ。
これ、いい本だわ。 こめんね内山先生。 みんなは「買って」読んでね。
ブログをやっていると、滅多にないが、現場の「真実」が明かされる時がある。
消されたブログの中にあった、貴重な親の証言を再録する。
●NO TITLE
息子にはかかりつけ医が2人いるのですが、診断名が双方で違います。
片方はリハビリセンター付属の小児科医師で、診断名は「高機能自閉症」です。
診断基準はDSM-ⅠⅤ(米国精神医学会の診断基準)とICD-10(国際室秒分類)。
2つはほぼ同じ内容とあります。
もらった冊子には、IQ70以上で言葉の発達に遅れがあるものを「高機能自閉症」
ないものを「アスペルガー障害(アスペルガー症候群)」と呼ぶとあります。
テストは発達指数(DQ)を調べるもので、83でした。
もう片方は国立の精神病院の医師で、診断名は「広汎性発達障害の疑い」です。
診断基準はどれとは言われませんでした。
対人関係の障害が認められるものが「広汎性発達障害」。
知能に遅れがあれば「自閉症」、なければ「アスペルガー症候群」ということのようです。
テストは知能指数(IQ)を調べるもので、44でした。
診断書を書いてもらうと、知的障害の欄は「軽度」です。
「疑い」については、「成長著しい時期なので知能指数が正確でない」ことと、
「言葉を話す子は何をもって社会性の障害とするかが難しい」
「もう少し話せるようにならないと正確な診断は付けられない」と説明されています。
正直なところ、初めは「一体何なんだ!?」と思いましたよ。
学派の影響もあるでしょうが。
最近になって、早期療育の影響もあるだろうと考えるようになりました。
実際は就学前に正確な診断は付けられないのだけど、療育や支援を受けるのに
診断名が必要で、どうにか付けなくてはいけない。
誤診は避けたいので本当は付けたくないが、どうしてもと言われるなら・・・で、
医者独自の補足が増えていくのだろうと。
>単純に「自閉症(カナー型)」と「アスペルガー症候群(障害)」に分ければいいのである。
難しいでしょうね。
療育は早い地域は1歳代から始まりますが、1、2歳の子が「カナー」か「アスペルガー」か
見分けるのは。
だから「自閉傾向」や「疑い」という言葉ができるのだろうと思います。
個人的に考えているのは、国が基準を決めて、就学後に一斉検査でもされれば、
診断名は統一されるし、データが明確に残って後に活かされていくだろうに・・・
というようなことです。
親によってはすごいクレームが出そうですけどね(笑;
[ 2009-05-04 ]
●Re: NO TITLE
> 療育は早い地域は1歳代から始まりますが、1、2歳の子が「カナー」か「アスペルガー」か
> 見分けるのは。
> だから「自閉傾向」や「疑い」という言葉ができるのだろうと思います。
現在ここまで事が進んでいるとは知らなかった。
何故なら、認知心理学の点から言うと、18~22ヶ月頃に「自己」を獲得するだろうと 言われている。
その時期を経て、初めて発達障害がある「可能性」が見いだされる。
とすれば、当然1、2才でカナーかアスペルガーか等と言うこと自体が論外だし、
1歳代から始まる「療育」(この場合の療育の定義が不明だが)はすでにその時点でカルトだ。
私が言うのは、かつての私のブログに書き込める年齢でありながら、尚、「自閉傾向」だの
「自閉疑い」にしがみついている事に問題があると言っているのである。
親の心理的プレッシャーが無ければ、小学校入学までならば、特別診断名も、 特別扱いも必要ないと考える。
ただ、道路に飛び出すとか、木から落ちるとか、屋根に登るとか、池に落っこちると言う事には 「特別に」気を付けてね。
[ 2009-05-04 ] [ Chip ]
●NO TITLE
うちの息子も1歳代で療育を受けるところでした。
1歳半検診でひっかかり、その後、保健センターから電話がかかってきて説得。 1歳9ヶ月で発達検査を受けました。
言語理解と表出が著しく遅れているということで、療育をすすめられそうになったのですが、
私の方が「失礼な!」と蹴って帰りました。
結局、月1回保健センターの母子教室には通うことになりましたが。
療育の内容は、母子通園で決められた時間に決められたことをする練習です。
名前を呼ばれたら返事をして前に出て出席表にシールを貼る、お遊戯をする、
イスに座っておやつを食べる、などです。
結局その後、2歳手前で周囲がうるさくなり、「おまえの言葉かけが少ないから話さない」
と家族にも言われ、段々気が滅入ってきて、「自分がおかしいのだ」と思って受診したのが、
後者に挙げた精神科で、診察をしたのが今現在『主治医』と呼んでいる医師です。
主治医には療育について「この子の場合、4歳からで充分ですよ」と言われましたが、
保健センターの例があったので、なかなか納得できず、2歳代の頃は自己流で良いと
言われることを何でもやってましたね。
それでも不安で途中からでも療育に入れてもらおうとして定員がいっぱいで、
自閉症協会など方々電話をかけまくったり、保育園に入れようとしたりしていました。
「早期に療育を始めれば症状が軽減する」という情報をうのみにしていましたから。
息子が言葉を獲得したのも家庭療育のおかげと思っていましたしね。
今振り返れば、きっかけを与えたに過ぎず、「元々話す能力を持っていたのだ」と考える
方が妥当、とわかりますが。
「療育には明確な科学的根拠がない」と知った時は愕然としましたし、療育を受けて
大きくなった子供が2次障害を起こしている話を聞き、「なんだ、私と同じじゃないか」
と思いました。
ノースカロライナで地域ぐるみで行われているティーチプログラムが成果を挙げており、
成人が2次障害をほとんど起こさず社会生活を送っているという情報を目にして以来、
ティーチについてはいくらか取り入れていますが。
これも絵カードを使ってなどという、小手先のことではどうにもならない印象です。
親と医者がコーディネーターになって、地域社会ぐるみで環境を整えてこそ効果を 発揮するものという印象です。
「日本向きでない」と言われる理由ですね。
療育神話とも呼べる、早期療育を推進する動きは加速しています。
最近では、親の掲示板に、1歳未満の赤ちゃんを持つ親によって「自閉症でないか心配」 と頻繁に書き込みがあります。
「生後10ヶ月の子に療育を受けさせたい」というような話もあります。
「早期療育は良いもの」と信じて、「良いなら先回りしてやっておけば安心」ということ なのです。
私は障害児用でない育児関係の本もたまに読むのですが、今は早期療育ならぬ、 「早期教育」も盛んですね。
0歳代からドッツカードやフラッシュカードを見せるような教育です。
そのせいか、2歳にしてカードを見せると顔をそむける子が出てきているらしいですよ。
なんにせよ、おかしいと思います。
>私が言うのは、かつての私のブログに書き込める年齢でありながら、尚、 「自閉傾向」だの「自閉疑い」にしがみついている事に問題があると言っているのである。
まあ、そうですね。
「しがみついている」がどういった状態を言うのかわかりませんが。
「自己診断であれば病院に行った方がいい」というのは、治療の意味でその通りです。
問題点と向き合うのに、「自閉傾向」「自閉疑い」などの視点が必要だと医者が言った
ということであれば、それは確定でなくても治療上有益ではないかと思いますし。
個人的には、自己診断で「自分は何も困ってないけどアスペです」と言うのも、
「自閉症者の気持ちを代弁しよう」とか、「自閉症児の親にアドバイスしよう」とか、
「書籍を出そう」とか利益目的でなければ、良いのではないかなと思います。
商売や顔売りに使われるのは、親としても当事者としても絶対に御免ですけどね。
[ 2009-05-04 ]
昔私が、3年間に渡って書き溜めたブログ(正確にはジオログ)は、自閉症の子供たちが
係わった事件の忘備録として書き溜めて居たのだ。
事件自体は覚えていても、それが、何処の誰だったかは忘れちゃうからね。
自閉症の子供がイジメられるだけならいざ知らず、イジメ殺されちゃうからね。
強制削除によって無くなったのは仕方ないので、此処に書き残しておく。
2006/6/26 奈良で起きた家族焼死事件。優等生の反発かと思ったが、妙。
小学生の時成績が良い(俺と同じ) 中学受験で1番 英語だけが苦手(俺と同じ)
成績報告会が恐ろしく(同感) 事件を起こした。
侵入した家では、長椅子の横に靴をきちんと置き(きまじめ)
冷蔵庫から勝手に飲み物を飲んだが、コップは流しにおき、しかし、賞味期限切れの葛切りは
手を付けずゴミ箱に捨て、あげくに捕まった。
灘高に入る程の知能を持ちながら、珍妙な行動。 なんだか気持ちが分かって嫌になる。
2006/9/1 ヤマト運輸で雇ってくれていた自閉症の青年が自殺。2005/3/3自殺 埼玉越谷の小林 年(みのる)君。
2007/1/18 八尾市で男が幼児を歩道橋から投げ捨ててしまった。吉岡一郎君。
ハイジャック事件の中島君と共に覚えておこう。
2007/3/7 似て非なる 京都塾女児殺害 萩野 裕 コイツの自己愛から見て、到底、アスペルガー障害とは納得出来ない。量刑も大変不満。
2007/3/21 栃木足利市の浜岡渡君。17年前当時55才の母親が倒れ、親族会議で未だ24才の浜岡渡君に介護を任された(丸め込まれた)。
母親の「死んでしまいたい」の訴えに抗しきれず、ついに首を絞めて殺してしまった。
3/15 執行猶予付き温情判決。 自閉症の報道は無し。
2007/9/17 広島福山市で、自閉症の二人の息子(5才と3才)を殺した母親の裁判。
母親は、自閉症の本を読み、勉強会にも参加熱心に育てていた。
どんな本を読み、どんな勉強会に出ていたのか。そもそもその診断は正しかったのか。知りたい。
2007/9/25 佐賀県で安永健太君が警官に取り押さえられ、死んだ。多分圧死じゃないか。
なぜ普通の人は、証言を嫌がるのか。不思議。彼は自閉症じゃないの?報道では無し。
2007/12/21 佐世保で馬込容疑者が銃乱射。萩野と同じで自己像肥大。自己愛型。
2008/3/7 思い出したくない話。伊達市の15才の少年が施設から居なくなった。
久しぶりに自分で読んで、この当時でも此処まで知っていたのかと、自分自身驚く記述。
是非、私の自閉症カンファレンス講演会
をもう一度読んでみて下さい。
残念。第一回ですぐ終わるかと思ったが、ちょっとそれは甘かった。
裁判官から、こちらの主張もするように言われたので、次回はこちらの主張。
ただ、すでに裁判に入ったので、浅見淳子社長、浅見昇吾上智大学准教授 側は、もう告訴を取り下げられない。
行けるトコまで行くぞ! で、裁判の日に合わせて嫌がらせのランキング外し。日にちを知るのは誰?でしょう。
日本は言論の自由が保障されているかと思ったが実は幻想だった。
にほんブログ村に登録し、しかし何度も通報により削除されてきた。
改めて、登録しようとしたところ、6/4 21:25 本登録され、
6/5 7:02 削除された。
何と準備の良いことか。少なくとも日に100人ほどは支持してくれていたブログ。
それ程不法行為に満ちているのだろうか。
現在、花風社 浅見淳子社長と上智大学准教授 浅見昇吾の二人から名誉毀損の
民事訴訟を起こされているが、同じ訴訟は2度起こせない。
果たして一体何がにほんブログ村から、私を排除しようとしているのか。
一体何を見せたくないのか、知らせたくないのか。
何方か心ある人は、私のブログをリンクして、自閉症の子供を持つ親たちに
真実を伝えて下さい。 お願いします。
自閉症の話を始めるととたんに、ランキングが外された。(6月4日の件)
自閉症の本当の話をされるのが本当に困るらしい。
週明けにまたどこかのブログが、強制削除されそうなので、今の内に書けることを書く。
インターネットと言っても、現実社会そのもので、現実にイジメを受ける側は、
インターネットの中でもやはりイジメられる。
学校で、イジメに遭っても、級友教師一緒になって面白がってイジメる。
「アスペ」の連中も、口では「ボクは学校で苛められた」なんて言いながら、
インターネット上では、嵩(かさ)にかかってイジメに加わり、本当に楽しそうだ。
彼らの言う苛めは、私達自閉症が体験するイジメとはレベルが違う。
自閉症、自閉症の仲間は、イジメられている時点ではイジメられている事を自覚出来ないから
死ぬまでイジメられ続ける。
私のブログを書いても書いても、通報して消すのは、楽しいんだろうな。
何が楽しいか分からないが、大切にしている日記や手帳を、
大切にしているのを知っていて、焼却炉に投げ入れ喜ぶ。
「だって、焼却炉に入れただけで、火を付けて燃やすとは思わなかったモン。
中を確認しないで、燃やした人が悪くて、私は悪くないモン。」ってか?
まあ、その程度だけど、イジメるのが楽しくってしょうがないんだろう。よっぽど楽しいんだろうな。
5月2日 訴状とは別に、内容証明で通告書が来た。あぼーん店を即刻消さなければ
刑事告訴するというのだ。以前強制削除されたジオログは麻布警察署に告訴状を提出済み、
このあぼーん店も警察署に刑事告訴をする。と言うんだ。
とても善いことだ。
私が警察に逮捕され、「花風社代表 浅見淳子」の潔白が証明されれば、
北海道の田中とかいう医者や、長崎の岩永、服巻、杉山、辻井、竹田、NHKの海老沢、その他自閉症関係者は
こぞってバンザイ三唱、みんな胸を撫で下ろすだろう。
私も、10年来追求してきた真実が明かされるから、バンザイ三唱に加わる。
しかし、もし、私が8年間主張していた、「ニキリンコ」「泉流星」「花風社代表 浅見淳子」が
同一人物であったら、「花風社代表 浅見淳子」は虚偽告訴で実刑だ。
さて、この刑事事件はどう転ぶか。 結末が出る頃には、またあちこち強制削除されていて、
わたしの情報をインターネット上で見ることは出来ないと思う。
ブログが強制削除されていて、結末を知ることが出来ない人は、メール:risco002@yahoo.co.jp
に、問い合わせて下さい。
鉄格子の中に放り込まれていなければ、返事を書きます。今日現在刑事告訴の動きはありません。
「この子トールとそっくり。」
「ほんとだ。トール君自閉症ナンじゃないの」 頑固で意固地な私を家族が、からかった。
それは、昭和42年、カナー型の少年の日常を写したドキュメンタリーだ。
自閉症という言葉もこのとき初めて聞いた。日本中の人も多分初めてだったと思う。
「重い子供がいるんだから、軽い子供だっているにちがいない」私は画面を見つめ確信した。
番組では、始めは耳が聞こえないのかと思ったこと。
呼びかけても向かないが、でんでん太鼓の音にはきちんと反応すること。
小学高学年になった今でも、写真撮影の時はこちらを見ようとしないこと。
など、その特徴的な事柄について、淡々と事実だけ、よけいな推測を交えず報じていた。
(当時の作り手は、まともだったね)
実は写真撮影の時、困らせるのは私も同じ。
目玉が強い意志を持って、さらにレンズを通し巨大化してこちらを見つめるのだ。
気持ち悪いっちゃあない。
別に写真に撮られるのが嫌いなんじゃない。
あの強い目を見なければいけない事が嫌いなのだ。
もちろん、そんなことが出来ないのは、4才ぐらいまで、5才になると嫌々従うようになる。
そんな私と、その子供に家族は無意識に共通点を感じたのだろう。
我が家は、西は博多から東は札幌まで、全国の主要都市を転居して歩いた。
それに伴い、小学校3校、中学2校、高校2校、さらには中学予備校迄含めると、
高校を卒業するまで、延べ8校を転々とした。
同じ地域に住んでいたなら、高校以外はだいたい似たような顔ぶれの持ち上がりだが、
私は、実に多くの異なる同年代(延べ2000人)と机を並べた事になる。
しかし、それでも話が合う(同じような思考回路を持つ)人間に巡り合うことは無かった。
大学を5年で卒業後、就職。 転職した先で妻と出会った。
彼女も一風変わり者。何とも変わっているのは私と話が合うことだ。
付き合いだした頃、彼女が怒り出すのを覚悟してこう言った。
「ねえ、厳密に言うと、あなたは自閉症の軽いタイプだと思うよ。」
意外にも彼女は怒ることなく、それどころかほとんどの人が知らない自閉症について詳しいことに驚いた。
そして、自身のことについては、否定も肯定もする事は無く、
その後も何度か同じ話が出たが、いつも同じ態度だった。
ところが、その時蒔いた種は結婚15年後、突然芽を出す。
結婚して15年。私は鬱になっていた。
もちろん自分でうつ病だなんて自覚もないし、そのうち気も晴れると思っていた。
しかし、気が晴れる日は来ない。
異変に気付いたのは妻だった。
彼女の異常なほどの答えを求める執念は、最新の自閉症研究資料の収集にねらいを定め、
新設のクリニックになんとか診察の予約を取り付けた。勿論二人分である。
私は、私が自閉症か自閉症でないかはどうでもいいことだった。
ただ、かつて見たカナー型の子供と私は繋がっていると強く感じ続けていたのだ。
妻は、診察の予約だけでは飽きたらず、講演会などにも出席していた。
その時、ある噂を聞きつけてきた。「ニキリンコと言う自閉症で、翻訳家の女性が居るらしい」
自閉症の翻訳家と言うことには別に驚かなかったが、それで食っている話を聞いて驚いた。
自閉症でそんなに世渡りが上手く出来る人が居るんだ。
しばらくしてNHK教育テレビにんげんゆうゆうにて「ニキリンコ」が登場した。
私は驚愕した。「こんな自閉症居るわけない!」
かつて、「太鼓と少年」と言う自閉症を紹介した真面目な番組を作った、同じNHKが
こんな「偽物」をまことしやかに放送するなんて。
その後、なんとNHKの取材と女性自身の取材を一度にコーディネートをし、さらに、
NHKでは言葉より筆談の方がコミニュケーション出来ると、パソコンのディスプレーを介して
会話する一方で、女性自身の取材では大いにしゃべり、打ち上げは、小料理屋で
話は大いに盛り上がり延々4時間に渡ったと言うのだ。
妻が申し込んだ自閉症の診察は、当日嫌ならキャンセルすれば良いと考えていたが、
そこで私の考えは変わった。
こんな偽物が大手を振って歩いては、今までの自閉症の環境は一気に壊れてしまう。
それを警告出来るのは、同じ当事者しか居ないだろう。
私は、怒りの勢いで、診察日にクリニックに向かった。
そして私は、日本では数少ない専門家の診察を受けることができ、
「アスペルガー症候群」と診断された。遅れて、妻もきっちり「アスペルガー症候群」と診断された。
「軽い自閉症」の自覚があった私にとって、診断や診断名など、どうでも良いことだったが、
現実は違った。
なぜなら、アスペルガー症候群は「脳機能薬」の感受性が一般の人と違うことがある。
私は少量の抗うつ剤の適用を受け、今では安定した日常を過ごしている。
もしこれが何の知識も無い一般の精神科だったら。
生活費の苦労の上に、抗鬱薬の副作用に悩む日々であったなら、考えるだに恐ろしい。
私はこんな大人。 山岸 徹 52才 自営(2009年)
自閉症のこどもを持つ親に会うと、自己紹介の後に、必ず訳の分からない説明がされる。
「うちの子は中機能自閉症です」・・・・・「?」
「うちの子は自閉が強い広汎性発達障害です」・・「?」
「私は自閉傾向のアスペです」・・「!!!!?」
自閉症は長い間「謎の病気」であり、おおよその障害者像というものがあったが、
それは、医者個人の能力に頼り切りの「診断」であった。
だから、実際に子供の頃「自閉症」と診断され、施設に入ったかつての子供たちの中には、
今の基準で見れば、首を傾げたくなる例が時々見られる。
テレビなどで、その様子を見ていると、少ないながらも、その子なりに上手く意志を伝えてる。
身近に自閉症の子供を見ている親なら、やはり「あれっ?」と思う例もあるだろう。
1990年代に入ってからは、ずいぶん自閉症の判定基準も整備されて来たようで、
2000年以降に診断を受けた人達は、かなり精度高く「診断」を受けていると思う。
科学というのは、地道なデータを整える多くの科学者と、時々現れる突拍子もない科学者によって
進歩する。小柴先生が良い例で、小柴先生無くしてカミオカンデもニュートリノの観測も無かった。
自閉症もそうで、ローナウイングが出てきたことで、一気にあらゆる事の関連づけが証明され、
自閉症の「診断基準」が世界的に認められた。
その一部が、自閉症スペクトラムという考えであり、知能指数70を境に自閉症を2つのグループに
分けるという考えである。
つまり、知能指数70以下を「自閉症(カナー型)」
知能指数70以上を「アスペルガー症候群(アスペルガー障害)」としたのである。
これは、今後40年以上この呼び方とこの区分け方が支持され続けるだろう。
しかし、世の中、名誉欲に溢れた人間が居る。彼らはローナウイング程の実績を残せない代わりに
何とか、自分が行った事、印しを残したい欲望が満ち満ちている。
そんな時に発揮するのが、呼び方の「マイナーチェンジ」だ。
自分の影響力が及ぶ範囲であれば、「高機能」「中機能」「低機能」の分類を決めれば、
その分類に倣って多くの人がその言葉を使うようになる。
その満足感を得るために、地方地方、学派学派独特の呼び方が定着する。
極めつけが「ニキリンコ」が提唱する「自閉」。せっかく医学的に明確な診断基準が出来たにも
関わらず、それと逆行するように「自閉」という言葉だけを定着させようとやっきだ。
患者側、あるいはその家族にしてみれば、学派だの思惑などは関係ない。
とにかく、この子のために、自分の為に役に立てばそれでいい。
もし、自閉症の為に役に立てるならば、それぞれが意味が分からない呼び方をするのではなく、
単純に「自閉症(カナー型)」と「アスペルガー症候群(障害)」に分ければいいのである。
そして、その上で、個々の子供たちがどの様に違うか。或いは同じか。
きちんと診断を受けた人間のデータを、少しづつ集めていけば、
20年後には、何か分かり易いガイドブックにでもなるかもしれない。
そのかすかな希望を持って、 ブログに裁判に張り切って行こう!