1923年(大正12年)9月1日、関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明者10万5千余り、家屋の全壊10万9千、焼失21万2千という未曾有の大災害がもたらされました。被害総額は当時の国家予算の1年4カ月分に達するといわれています。東京・横浜をはじめ都市部では地震後に発生した火災のために被害が著しく大きくなりました。この地震はフィリピン海プレートの沈み込みによって北西方向に押しつけられていた関東地方南部の岩盤が急激に跳ね返ることにより起きたプレート境界の巨大地震で、そのため地震直後房総半島南部から三浦半島、相模湾北岸にかけては地盤が隆起し、丹沢山地を中心に沈降しました。震源に近い相模湾沿岸と南房総地域にとっては正に直下型大地震に襲われたのに等しく、地震の揺れによる被害(震害)が甚大でした。山崩れ・崖崩れも数多く発生し、また地震発生後数分から数十分のうちに大津波が相模湾岸と伊豆諸島に押し寄せました。ここに紹介する写真は関東大地震直後の東京、横浜それに相模湾沿岸、南房総の被害の様子を伝えています。
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ここに掲げた関東地震の写真は、報告書に掲載するのに使われたもの、あるいは研究・教育・啓蒙に資するために集められたもので、東京大学旧地震学教室に置かれていました。写真のネガは一部のフィルムを除き大部分がガラス乾板となっています。またパネルに仕立てた印画もあります。印画は薄かったり傷みが進んでいたりして画質はあまり良くありませんが、ネガのない分については出しました。これらの写真は地震学者や地震計の写真とともに一括して当館で保存しています。因みに1925年に刊行された震災予防調査会報告第100号はその内容を関東大地震に充てており、ここにある写真の一部を含め膨大な被害状況の写真が載っています。しかしながら、その中で使われた乾板・フィルムの原板の多くは残っていないようです。なお※のついた写真はもともと当館で所蔵していたものです。
写真にある記載に従い、または報告書の図版などを参照して説明をつけました。その際内容をわかるように伝えるという考えから、特定の建造物については学校・企業などで著名なところは名前を出しました。もし誤りがあったり、関係される向きで不都合がありましたら御連絡ください。