Hatena::Diary

誰かの妄想・はてな版

2009-06-08

なかった説と30万人説は鏡像ではない

前回、「虐殺があったのは確かだろうけど、30万人ってのもないよね」という”中立”意見だっておかしいよ、と指摘しました。

なんでこういうおかしな思考が蔓延するかというと、

と、これらが左右の鏡像であるかのように捉える傾向があるのでしょうね。(実際には、この構図が偽の構図であることを青狐さんが指摘済みです。((http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20090602/p1)))


以下は、南京事件の話題にふっと立ち寄って、うっかり”中立”意見を述べてしまったような人を除いた考察です。


”中立”意見論者の中には、上記の両極論者を病的と捉えているかのような態度をとる人もいましたが*1、その認識は実態にそぐわないですね。

むしろ、両極論者を否定しておけば、自分は批評されない安全地帯にいることができるはず、という防衛本能を”中立”意見論者の中に強く感じます。

というのも、こういう人たちって自分の言葉で自分の主張を語ったりしないんですよね。

まあ、なかった説に対して史実派の意見を使用するのはありだと思うんですが、30万人説を否定するときには「ネトウヨと同じ」とか、ほとんどレッテル貼りだけです。

正面から、「こういう理由で30万人説は成り立たない」と主張する”中立”意見論者ってのは見た覚えがありません。

いたら教えてください。

なんで正面から30万人説を否定する人がいないのか?

思うに、否定の論拠をネトウヨのなかった説から拝借せざるを得ないから、ではないかと。

さすがにそこまでやったら節操がなさ過ぎる、というのもさることながら、ネトウヨのなかった説に対してはネット上での反論がテンプレで完成しているからでしょう。


”中立”意見論者の内的世界における自己の立ち位置

サヨクの極論 

犠牲者30万人説

|← ”中立”意見

なかった説

ネトウヨの極論

多分、”中立”意見論者はこういう内的世界観を持っていて、自分はバランスのとれた場所に立っている、と考えているのでしょう。



”中立”意見論者を批判する史実派は30万人説を支持しているの?

答えは否、ですね。

ネット上で史実派と言える方*2で、30万人説を積極的に支持している人は皆無と言っていいでしょう。

と同時に、30万人説はあり得ない、と断言している人も皆無と言っていいでしょう。

上記は私の知る限りにおいてなので、もしそういう論者がいる、ということでしたらお知らせください。

つまり、史実派にとっては、

という評価です。


”中立”意見論者の実際の立ち位置

それを踏まえて”中立”意見論者の実際の立ち位置を見直してみると・・・

論拠を重視・史実派

(あった説)(30万人否定できない)

|    

|← ”中立”意見

(なかった説)(30万人あり得ない)

論拠を軽視・ネトウヨ

こうなります。

つまり、”中立”意見論者ってのは、史実から離れたネトウヨ寄りなんですね。

もし、この構図が間違いだと言うのなら、論拠をもって30万人説を否定してみてください。それが説得力のある論であれば、結果30万人説を否定しても、史実派は文句を言わないと思います(もちろん、ちゃんとした反論はありえるでしょうが)。


まとめ

まあ、党派性を出来る限り排除したいという傾向から、両極端の中間に立とうとする動機は理解できます。

ですが、両端が「論拠を重視」と「論拠を軽視」であれば、「論拠を重視」側に立つのが当然であって*3、中間に立ってもしょうがないですよね?

まず、どういう軸であるかを考えてから立ち位置を決めるべきで、なんでもかんでも中間がいいわけじゃありません。


「あったことは認めるけど、人数は保留」という態度

まあ、字面どおり理解するなら、「人数は保留」なんだから、30万人説を否定もしていないわけですね。その意味で史実派に似ているようにも見えます。

とは言え、聞かれてもいないのに、わざわざ「人数は保留」と表明すれば、その行為自体が”30万人は多すぎるでしょ?”という含みをもちますよね。

なんせ、↓こういう内的世界に住んでいるわけですから。

サヨクの極論 

犠牲者30万人説

|    

|← ”中立”意見

なかった説

ネトウヨの極論

大体、南京事件以外の、例えば天安門事件について、犠牲者数について聞かれてもいないのに「中国政府の人権弾圧は許せないが、人数については保留」とか言われたら、どう思うんでしょうか?

私などは、「何でいちいち「人数については保留」とか言う必要があるの?犠牲者数が少なければ中国政府の罪が軽いとでも言いたいわけ?」と聞きたくなります。

その人の過去の発言などから、中国政府擁護の意図を感じないならともかく、コメント欄で一見さんに発言されればおそらく好意的な印象はもてないでしょう。


ブコメに返事

はてなブックマーク - なかった説と30万人説は鏡像ではない - 誰かの妄想・はてな版

zaikabou “30万人は多すぎるでしょ?”の人間を、全部両極の“中立”“中間”に位置づけてしまっている。藁人形ですよ、これじゃ/南京は、人数そのものがスローガンの一部になっているせいじゃないですか 2009/06/09

別にネトウヨ側に位置づけても良かったんですけどね。

論拠を重視するか軽視するかの軸上で考える限り、論拠もなく“30万人は多すぎるでしょ?”と主張すれば、中間かネトウヨ側のどちらかに位置づけることになります。

藁人形ってどういう意味?30万人は多すぎるでしょ?”の人間はちゃんと論拠を持っていると言いたいのでしょうか?

なら、その論拠を見せていただけないでしょうか?非常に興味がありますので。

ところで、スローガンの一部なら、論拠もなく否定して構わないとお考えですか?

yamuyam 論拠を重視するなら、蓋然性の高いほうを支持するのが普通だと思う。それなら30万より20万という気がするけれど、なんで0と30万で比較するんだろ 2009/06/09

だから、前のエントリで「否定もしないが、支持もしない」のが史実派のスタンスでしょう、と言ってますよ。

30万人説を支持する、なんて一言も言ってません。

「0ではないけど、30万人もないよね」と言っている人たちに対するエントリであって、「20万人説を支持する」とか「4万人説を支持する」とか言っている人に対するエントリではありませんし。でも、なぜか「俺は4万人説*4を支持する」と言う人ってあまり見かけませんよね?なぜでしょう?

論拠もなく「30万人はない」と言うより、「俺は4万人説を支持する」と蓋然性の高いほう*5を支持するのが普通なのに。


Naotoh なんでそう他人の立ち位置を気にするのかね?俺にはこの件でいくつか読んだエントリは主張があやふやで立ち位置論争ばかりしてるように見えるが?話が見えない論争に立ち位置示す人も少ないだろ 2009/06/09

他人の説を否定ばかりして*6自分の説を示さない「常に自分は外野」的な人たち*7が、自身を俯瞰された時にどう反応するかに興味があるんですよ。


okgwa 途中でなぜか「史実派」なるものが30万人説とそれ以下の説を同程度に受け入れるって前提になってる。本気でくだらない。詭弁というのはこういうのを指す。 2009/06/09

史実派が30万人以下の説を受け入れないなどという前提がそもそも存在してません。詭弁というのはこういうのを指す。


metalbabble ネタ 疑問を持つことすら許さない歴史盲信主義 2009/06/09

疑問を持つ=論拠を軽視する、ってことですか?あなたの脳内では。


JuliusCaesar 歴史, 議論 30万人説と対称なのは「死者は数千以下であり大虐殺というほどではない」説だろう。死者0はないって。

うーん、意図がわからない。

とりあえず、死者数千人でも大虐殺というほどのことだと思うが。


inumash “根拠”を明確に示されてもそれが自分に都合の悪いものなら適当に論旨をすり替えて逃げる人はたくさんいるからなぁ。そういうスキルばっか積んでる人もいるし。右にも左にも。 2009/06/09

示された”根拠”をまっとうに批判されても適当に論旨をすり替えて逃げる人もたくさんいますね。個人的には「なかった説」の人に多い印象がありますが。


matsunaga これはひどい より正確な実態を常に追求し続けるという意味での「現時点ではひとまず保留」が排除され、単に「左右のどちらでもないから安全と主張したいだけ」というレッテルが生み出されている。私は調べ続けるために留保する。 2009/06/09

えーと、何がひどいのかな?

私自身は、南京事件(というより、南京において、日本軍による民間人の殺戮行為)はあったと考えている。しかし、それは中国政府や台湾国民党の主張する「30万人」よりは少なかったのではないかと思う。だが、それは中国公式見解を否定する意見だし、一方では「南京事件は幻想だ」派から批判される意見でもある。さらに、では何人くらいだったのか、については、現時点で確定した数値は存在しない。したがって、「数値については保留」と言わざるを得ない。

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090603#1244128665

で、「中国政府や台湾国民党の主張する「30万人」よりは少なかったのではないかと思う」根拠は?

「判断保留」と「否定」は違うということがどうして理解できないのだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090603#1244128665

理解していないのはmatsunagaさんの方では?本当に「判断保留」なら「30万人」を「否定」したりもしないはずですが?

判断保留とか言いながら、そこだけは判断してるんですよね。根拠も示さずに。

まあ、断言しているわけじゃありませんけどね。

sionsuzukaze 南京事件, 歴史 30万人否定、無かった説も否定派の自分は中立扱いなのか。問題は30万と言う数字が政治的に象徴的意味を持っているから真相を知りたいわけ。日中戦争犠牲者が簡単に一桁増えることに疑問を挟んではいけないのか 2009/06/09

だから、何で真相を知らないのに、30万人説を否定できるの?

どうして理解できないのだろう?

否定するのに根拠はいらない、とか本気で思ってるのかなあ・・・。

*1:「病的」と直接表現したわけではないが。

*2:青狐さん、Apemanさん、ゆうさんなど

*3:少なくとも論理的な判断をしたいのであれば。感情的な判断をしたいのなら別です

*4:20万人でも可

*5:私が4万人説を支持していると意味ではありません。

*6:多くの場合は論拠を伴わずに。

*7:対案を示さない野党的な立ち位置ですね。

こまいぬこまいぬ 2009/06/09 10:04 それは、南京事件 (というか、普通聞くのは南京大虐殺の方だけど) の話を聞く時は、必ずと言っていいほど人数が強調されてるからだと思いますよ。
誰が強調してるのか知りませんが。
興味無い人にとって、親すら生まれる前の事件のことについてなんか言われても、「良く分からん」としか言いようが無いのです。
いろんな写真などを無視して無かったということも、当時の人口資料などを無視して30万人と強調するのも、同程度としか思えませんね。

kyoupon3kyoupon3 2009/06/09 11:54 >南京事件の話題にふっと立ち寄って、
>うっかり”中立”意見を述べてしまったような人

ぼ、ぼ、ぼくらの南京事件問題=高尚 という意識が見え隠れして微笑ましいです^^

scopedogscopedog 2009/06/10 00:35 >こまいぬさん

>それは、南京事件 (というか、普通聞くのは南京大虐殺の方だけど) の話を聞く時は、必ずと言っていいほど人数が強調されてるからだと思いますよ。
>誰が強調してるのか知りませんが。

ああ、否定論者は強調していますね。確かに。


>興味無い人にとって、親すら生まれる前の事件のことについてなんか言われても、「良く分からん」としか言いようが無いのです。

それはそうでしょうけど、あなた個人に南京事件のことについて何か言ったのは誰なんですか?
私には覚えがありませんけど。
まさか、言われてもいないのに、「良く分からん」と言うために首を突っ込んでいるんですか?


>いろんな写真などを無視して無かったということも、当時の人口資料などを無視して30万人と強調するのも、同程度としか思えませんね。
興味なくて良く分からん割には、「いろんな写真」とか「当時の人口資料」とかを知ってるんですね。
南京事件の話を聞く時に、必ずと言っていいほど出てくる話題ではないと思いますが、どこでその話を仕入れたんですか?



>kyoupon3さん
>ぼ、ぼ、ぼくらの南京事件問題=高尚 という意識が見え隠れして微笑ましいです^^

幻覚を見て微笑んでるkyoupon3さんを想像したら気持ち悪くなりました。

TBされてるので見てみたけど・・・。
kyoupon3さんの妄想、脳内変換バリバリで、やっぱり気持ち悪くなりました。
なんだかなあ・・・。

matsunagamatsunaga 2009/06/10 07:51 トラックバックされたので(一度書き直しました)。

現時点でどの数字とも定めがたいので判断保留、というのは、30万(なり他の数字)を否定し去ったことになるんでしょうか?
違います。現時点ではどれもまだ自分として採用しない、さらに検討する、という意味なのですが。

ただ、「○○説を受け入れない」のが許せないというのであれば、それはもうわたしは非難を浴びようが何だろうが、そんな断定をすぐにはしたくないと言います。
私個人の体験として30万という数字をびた一文まからないという態度の中国人もいろいろ見ましたが、30より多いか少ないかを含めて厳密な数字は今なお研究対象ということで「保留」しています(結果、増えることがあるとも考えていますので)。しかし、その「保留」をこれだけ熱心にいろんな人から否定されるのでうんざりし始めています。
また、私としては、いろいろな主張(30万人よりは少なかったという数字を出している研究者、笠原氏も含む)があること自体が「30万人より少なかった」という可能性が捨てきれないことを示していると思います。

そしてもう一点。30万から減らすことが日本の責任を軽減しようとしているかのような論調で言われることがありますが(特に数万程度の「中間派」は、中国語圏では幻想派と同一視されている)、私としてはたとえ仮に1万人だろうと、いや1000人だろうと、民間人がそれだけ死ねば「大虐殺」状況であろうとは思いますので(すべてが便衣兵説には与しない)、数字を減らしたいという希望があるわけではありません。

ここで書くと同一視するなと言われるかもしれませんが、「聖徳太子はいなかった、すべては不比等の創作だ」説と「いや、聖徳太子の事跡は史実を反映している」説の間で私は双方の意見を読み、自分の考えをまだ定められないでいます。それは、どちらの説を「否定」したわけでもないのです。
また、歴史的「事実」の認定というのは、確実な資料がなければ非常に難しいものです。本能寺の変の「動機」(数々の黒幕説も含めて)にしろ、邪馬台国の実態にしろ、文献資料だけでは不十分なデータしか提供されません。そこで「確定はできないのだ」ということを極めて強く意識した上で「自分はこの考え方を「選ぶ」」という思考態度が必要だと私は考え、そのようにしています。(私は本能寺の変は、織田一族体制に移行しようとしたために排除されると考えたのが光秀の動機であって黒幕はない、という説を現時点で選び、邪馬台国九州説を現時点で選んでいます。この「選ぶ」という行為に自分は思索上の責任を有しますが、一方でそれが絶対的に正しいとは主張しません)

繰り返して言いますが、30万人説だろうとなかった説だろうと10万人説だろうと1万人説だろうと、今の私には積極的にこれを選ぶということがまだできません。
しかし、まだできない、ある説を今すぐ受け入れないのが、思索を放棄しているかのように言われるのであれば、それはまったく違うと言うしかないのです。
「否定」と「まだ受け入れていない」の違いを理解してください。

ゲスト


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